日記(8月が終わる)

8月18日(日)、
 今日もまた、何故か2時間も眠れなかった。

 どんな大人の中にも、小さくて我が儘な子供がいる。両親を見ていても思う。まるで子供じゃないかって。けれど、いい歳をした大人が、若者や子供のように振る舞っていると大人げないと言われてしまう。子供はいつ、大人になるのだろう?

 自分の身体や脳や心や感情を侮らないこと。どんなに歳を取っても、命自体は完璧なのだから。

 

8月19日(月)、
 起きて、食欲が無いので、本を読んでいた。尾崎翠(おさきみどり)の小説に何度かうぃりあむ・しゃあぷ氏という詩人が出てくるのだけど、てっきり架空の詩人だと思っていた。しゃあぷ氏はふぃおな・まくろおどという令嬢に扮してしゃあぷ氏とは作風の違う詩を発表していたらしい。調べてみるとウィキペディアにはちゃんと『ウィリアム・シャープ (英語: William Sharp1855年9月12日 – 1905年12月12日) は、スコットランドの作家である。フィオナ・マクラウド(英語: Fiona Macleod)の筆名でも特に詩や伝記文学を発表していたが、このことは存命の間は伏せられていた』と書かれていて不思議な感じがした。

 昼過ぎにようやく人心地が付いてくる。栄養ゼリーを飲む。ゼリーの感触はもやもやしていて苦手だけど、他には何も食べたくない。

 ……

 

8月20日(火)、
 夜は憂鬱だ。両親の不仲をどうやって切り抜けるかが問題だ。

 

8月21日(水)、
 どうして人は、本当にどうでもいいことばかり悩むのだろう?

 

8月23日(金)、
 昨日の朝からずっと起きていて、書きものと楽器の演奏で、絶え間なく手首を酷使しているので、また右手が震え始めてきた。ギターとウクレレとピアノを弾いて、ペンでノートに書き込んで、キーボードを叩いて、の繰り返しなので、右手首は休む暇が無い。

 昼、手に力が入らなくて、タイピングがしんどいので、ずっとしまい込んでいた東プレの変荷重のキーボードを出してきた。軽いタッチが売りのキーボードだ。秘密兵器になるかと思ったが、いつも使っているキーボード(All45g荷重)と感触が違うので、叩きやすいのかどうか、うまく判別が出来ない。

 今は、勉強をしていたい気分だ。あまり創作向きの気分じゃない。勉強不足ばかり感じている。哲学の本だって殆ど読んだことが無いし、数学も知らないし、歴史にも興味を持ったことがない。頭の中は要らない自己嫌悪とか、ネガティブな考えでいっぱいになっている。読書が出来るようになってきたので、いろんな本を読んでみたい。読書なら身体(主に手首)を壊すようなことはないし。
 精神状態はもう大分しっかりしてきていると感じるので、今の内にいろんな知識を心に投げ込んでおきたい。少し焦っている。精神状態は良くても、頭が全然働いていない。少し脳に負荷を掛けたくなってきた。

 手首には、片手だけで8個もの骨があるのだそうだ。筋肉も非常に細かく張り巡らされているらしい。とても繊細な構造なので、無理な力を掛けると、手首はすぐ駄目になってしまうそうだ。一度傷めると、治るのに時間が掛かる場所でもあるらしい。もう少し、腕だけでも鍛えた方がいいかもしれない。あとは手首周辺のストレッチとかマッサージとかも大事かもしれない。

 夕方、空腹と煙草の吸い過ぎのせいか、気分が悪い。麦茶ばかり飲んでいる。

 夜、一日中続いていた手首の不調がややましになる。キーボードはAll45g荷重のに戻した。

 母は、僕がプレゼントしたウクレレを弾き始めて一週間になるのだけど、今日、急に腕前が上がった。見ていても嬉しい。ウクレレの基本コード4つ(C、Am、F、G7)が弾けるようになったのだ。母は昨夜1時間くらい練習したときには、全然音が出なかったのだけど、今日の昼には、たどたどしくではあるけれど、きちんと鳴らせるようになっていた。人間の成長ってすごい。

 

8月26日(月)、
 昼過ぎに、注文していたリストバンドが届いたので、右手首に着けている。リストラップという名称で売られていた。ゴムが入っているのがリストバンドで、ぐるぐる巻き付けてマジックテープで止めるのがリストラップなのだろうか? ともかく僕が着けているのはリストラップらしい。

 

8月29日(木)、
 最近は起きたらすぐに何かを書いて、本を読んで、楽器を弾いたり、歌ったりしている内に、すぐ一日が終わってしまう。何かをしていないと、焦りでいっぱいになってしまう。

 10日間ほど、毎日母にウクレレを教えている。母はやる気があるので、教えるのが楽しい。それに、母に教える曲を、僕自身が弾けなかったら話にならないので、僕もそれなりに一生懸命練習する。僕の停滞していた頭も、少しずつ動き始めている。夜もまあまあ眠れるようになってきている。

 

8月30日(金)、
 リストラップが届いてから5日間、お風呂に入るときや、手や顔や食器を洗うとき以外は、大抵リストラップを右手首に巻いている。本当に全然手首が痛くならないので、必需品になりつつある。
 手首の怪我の防止のために、手首の周りのストレッチや握力のトレーニングを少しだけしようかと思ってる。トレーニングなんてしない、身体も鍛えない、とこの間書いたばかりだけど、手や手首を壊したら、書くこともままならないし、楽器も弾けなくなってしまうから。

 僕は5年間ほど、手の震えが止まらなかった時期があった。リチウムを飲んでいたせいもあるかもしれないけれど、幻覚に悩まされるくらいの不安と、毎日死ぬことしか考えないような鬱状態で、もしかしたらドーパミンが全然出ていなくて、パーキンソン病に近い状態になっていたのかもしれない。キーボードもまともに叩けないような状態で、非常に苦労して書いていた。手書きはほとんど出来なかったし、ギターももちろん弾けなかった。おまけにてんかんまで発症して、カルテはもう、訳の分からないことになっていた。(段々病気の話になってきているけれど。)

 5年ほど前から、本当にうんざりするようなペースではあるけれど、徐々に手の震えが治まってきて、今残っている症状は、ひどく死にたくなる期間が数ヶ月続いては、また生きたくなる、ということくらいだ。

 手がいつも震えている間は、たまに何かをしたくなっても、たどたどしくキーを叩いて書くことくらいしか出来なくて、一生これが続くのかと思うと、ますます人生に対して悲観的になっていた。いつも今日こそは死のうと考えていた。自殺未遂は何度したか、もう思い出せない。出鱈目に薬を飲んでいたし、一時はウォッカにコーラを混ぜたものが主食だった。5年間ほとんど歯を磨かなかったので、上の前歯4本を含む、8本の歯を根元から失った。不思議なのは、僕はエンドレスな悪夢の中にいたのに、僕の異常さに、おそらく誰も気が付かなかったことだ。僕は、自分が全然まともじゃないことを意識していたけれど、「まともじゃない」と人に思われることが、とにかく一番怖かった。

 今は、手がきちんと動くことがとても嬉しい。と同時に、また手が思うように動かなくなることは、少し怖い。

 ……今日もまた、母に、一時間ウクレレを教えた。

 

8月31日(土)、
 今日は左の手首にもリストラップを着けている。

 寝不足は、僕に悲愴な決心をさせる。……もし僕が、今を感じることをいつも先送りにしていたら、仮に僕が半永久的に生きられるとしても、永遠に、全然生きていないのと同じだ。……と考えて、和やかな心なんていっぺんに忘れてしまう。とにかく急がなければ、と思うし、みんなのんびりし過ぎだ、と思えてくる。死はすぐそこにあるのに、と。

 嘘笑いを続けていると、自分の感情が全然分からなくなる。楽しくないのに笑っていると、自分が本当は孤独だということを忘れてしまう。孤独感は麻痺していく代わり、常に何か大切なものを忘れているという感覚が自分に付き纏う。その内、自分が何かを忘れていることさえ忘れてしまって、人生なんてこんなものだと考えてしまう。
 でも、たまに心から、思わず笑ってしまう瞬間があって、笑えるとしばらくの間は、生きているだけでいいな、と思える。笑うことって、世界の意外な繋がりを発見することだと思う。退屈っていうのは、全てが決まりきったことのように感じられることだから。

 ……8月もあと1分で終わり。