7月5日(金)、
僕は僕だと思えることが、僕にとっての一番の幸せなのかもしれない。
結局は僕の記憶だけが、僕の持ち物なのだから。(My brain is an airport.)
7月7日(日)、
暑くなってきたからかな? 体調が悪かったり、気分が悪かったりする。
7月11日(木)、
ここ数日、寝ても覚めても疲れている。いくら寝ても、寝た気がしない。
7月12日(金)、
疲れが取れない。でも音楽はくっきりと聞こえる。音楽の世界にもう少しで入れそう。
7月13日(土)、
今週は寝たり起きたりを繰り返していて、一睡も出来た気がしない。
7月19日(金)、
僕は苦しい時を過ごしてきた。でも苦しいとばかり言っていたら、人は離れていくと思ったし、実際多くの人と疎遠になってしまった。辛いときって、辛いとしか言えない。死にたいとか、やっぱり生きようとか。そう友人Mに言ったら、生死のことはひとまず置いておいて、今この瞬間に少しでも興味があることに目を向けた方がいい、と言われた。生きたいという抽象的な決心をするよりも、今具体的に何をしたいかについて、考えたり、書いたりした方がいい、と。
「君は真面目すぎる。いろいろ考えているから作家向きだけど、でもそれだけじゃ早死にするから、もっとクズみたいな人間になって長生きして欲しい」と言われて、それだけで僕は嬉しくなって、ハイにさえなって、ともかくまず、何にもしてない自分に罪悪感を持つのだけはやめようと思った。病気だろうが、障害年金で好きな物ばかり買っていようが、そんなことはどうでもいいから、気にせずのうのうと生きればいい、と彼が言ってくれたので、素直にそうしようと思った。父や母に堂々と迷惑をかけてやろうとさえ思った。後で恩返しすればいいし、恩返し出来るだけの人間になればいいだけのことだ。
彼はびっくりするくらい、僕を非難しない。僕はもしかしたら、まるで女の子のように、彼に恋しているかもしれない。ずーっと片思いしながら、ただひたすら甘えているかもしれない。でも同性なので、「好き」を、友情の形に置き換えられる。男同士として堂々と一緒にいられて、しかも秘かに女の子っぽい気持ちを抱いていられる。僕は男であることを、大抵重荷に感じているけれど、たまには男として産まれたことで、少しはいいこともある。
それにしても、何故彼が、出会ったときからずっと、僕に自然な態度で接してくれるのか、いつも心配していてくれるのか、僕には全然分からない。
7月20日(土)、
夜中から早朝にかけての、素晴らしく美しい時間。
7月26日(金)、
社会の中では、産まれたら成長し、ある程度成長したらもう、自分の死が目前にあるみたいな空気がある。生活感という拘束が、僕は嫌いだ。遠い国に目が注がれている限り、僕は常に遠い世界を永遠に彷徨える。
不安という、常に自分を揺り動かす、お腹の中の空洞のような感覚が、僕はもしかしたら嫌いではないのかもしれない。安心は幻滅と表裏一体だから。安心という磨かれたコインの裏は、べったりとした不満で錆び付いているけれど、コインの表を生きる人には、裏側が見えない。でも頭の片隅で、脳味噌の裏側で、何か不穏を感じているものかもしれない。
僕は日本や日本語には、愛憎の両方を抱いている。日本語は確かにいい言葉、美しくて表現力のとても高い言葉だと思う。日本語の文面、字面は、世界で一番じゃないかと思うくらい、美しいと思うし、曖昧さを曖昧なまま正確に描き、意味の不明さを不明なままで表す力にかけては、日本語は相当に優れているんじゃないかと思う。
僕の心はいつも宙に浮いている。あるいは心の底で不定形に揺れている。その掴みがたい揺れを、揺れたままでしかも端的に表すことは、日本語以外の言語では難しいのではないかと思う。もちろんあくまでも推測だけれど。
けれどその曖昧さが、時にとても嫌になる。洗練されてない、べたべたした感触を、日本語には感じる。日本語には日本の鬱陶しい季節感が染み付いているようで、自然に殆ど興味のない僕は、もっと人工的で正確な、プログラム言語のような冷たい言語にとても憧れる。
英語はたった26文字の人工的なアルファベットだけで構成されていて、読んでいて心地良い素っ気なさを感じる。アルファベットの26文字だけで書けたら、どんなに気持ちいいだろうと思う。無機質な宇宙の拡がりと緻密な気持ち良さを、両方感じられるのではないかと思う。おそらく情念を感じる度合いは、日本語よりずっと少なくて、粘着質な表現が時々極端に嫌になる僕は、英語の方がずっと書いていて熱中出来そうだと思う。
仮に僕がイギリス生まれだったとしても、日本語には興味を持っていたと思う。でも僕は僕である限り無精者だろうから、第二言語としての日本語なんてとても身に付けられなかったと思う。その点に関しては、日本に生まれ育って良かった。
7月31日(水)、
僕はもうすぐ死ぬのかな、と最近よく思う。
8月13日(火)、
今日はお盆ということで、祖父母と叔父が眠る(?)墓に参りに言った。世界が透明で、すごく明るかった。外ってこんなに美しいんだ、という驚きは、普段引き籠もっているからこそ味わえる喜びかもしれない。本当に美しかった。外から帰って来ると、自分の部屋の中も新鮮で、何もかもがカラフルに見える。外出はすごく面倒くさかったけれど、出掛けられて良かった。手ぶらで出掛けたので、帰ってきて吸う煙草も、とても美味しかった。
父も最近、身体の調子が悪いようで、ひと月に一回くらいは、朝、立ち上がれなくなって仕事を休んでいる。僕とどちらが先に死ぬか、というところだ。父は内臓が悪いので、もっと余程悪くなったら、僕の内臓をあげる、と僕は父に言っている。何の見返りも要らない。一番近くにいる人に、たかだか内臓を一個あげるだけで役に立てるなら、それだけで十分だ。僕は自分の身体をあまり大事にしていないけれど、父なら僕の内臓をとても大切にしてくれるだろう。
何にしろ僕は、血液検査などの数値がどんどん悪くなっている。視力が急に落ちたのも、おそらく身体の不調の一環だ。読書をもうちょっとして死にたいな、とか思っていて、自然に死ねるなら、自殺はしなくていい、という気楽さもある。ギターとウクレレを馬鹿みたいに弾いている。楽器って素晴らしいよね。木材の響きが好きだ。
父もウクレレに興味があるらしい。けれど父は長年の抗生物質か何かの摂取の影響で、指があまり動かない。母には時々ウクレレを貸してあげているけれど、僕のテナーサイズのウクレレは母の手には大き過ぎるし、弦を押さえるのも大変なようなので、近々母にソプラノサイズのウクレレをプレゼントしようと思っている。
いろんなことが過ぎていく。いいことも、悪いことも。雨が嬉しいときもあれば、嫌なときもある。結局は僕自身の世界の捉え方で、世界の綺麗さとか、光度が変わる。
ここ数日は、ギター……エレキギターとクラシックギターとウクレレばかり弾いている。クラシックギターと言っても、おもちゃみたいなミニクラシックギターだ。青葉市子さんがヤマハのミニクラシックギターを使っているので、僕も同じギターが欲しかったんだけど、サウンドハウスでは売り切れだったので、同じサイズのCórdobaのギターを買った。夜中に部屋でぽろぽろ爪弾くのには使えるかな、と思って買ったのだけど、意外にもかなりしっかりした作りで、ちゃんとクラシックギターの曲も弾ける。
エレキギターは、あちこちネジを回したり、油を差したりするのがなかなか大変だ。弦やピックアップの高さを変えたり、サドルをあれこれ交換したり、アンプの真空管を取り替えたりしている内に、一日が終わってしまったりする。その点、電気を使わない楽器は、ほとんど弄る場所が無いから楽だ。手に取って、あとはただひたすら弾いていればいい。
僕のウクレレはマーティンのテナーサイズ。と言ってもメキシコ製の安めのモデルなんだけど、非常に良く鳴るし、作りがすごくいいので満足している。ずっと弾いていると、マーティンのすごくいいウクレレ(アメリカ製)が、きっと欲しくなるだろうけれど。
テナーウクレレと言っても、ソプラノウクレレより音が低いわけではない。ボディが大きいだけだ。その為、ソプラノウクレレより大きな音が鳴る。欠点としては、手が大きめじゃないと弾きにくいと言われていることと、押弦するのに、ソプラノより大分力が要ることらしい。ソプラノウクレレを持っていないので、確かなことは分からないけれど。
普段ギターを弾いていると、テナーウクレレを弾いてても、特に力が要るとは感じない。テナーウクレレは、昔は低い音で調律していたらしいけど、段々ソプラノサイズやコンサートサイズと同じ音程で弾くのが一般的になったのだとか。テナーウクレレはギターに近い感触で弾けるので好きだ。ソプラノウクレレのからりころりとした可愛らしい音も好きだけど、テナーウクレレのぱりっとした張りのある音も好きだ。
ギターは普通、演奏するときに上に来る弦(6弦側)ほど音が低くて、下の弦(1弦側)ほど音が高い。つまり上から下に弦をかき鳴らすと、低音から高音の順に音が鳴る。なのにウクレレは一般的に、一番上側の弦(4弦)がかなり高い音(ソ)になっている。ウクレレの演奏者には、高いソ(High-G)の弦を、一オクターブ下げた低いソ(Low-G)の弦に取り替えて弾いている人も多い。
High-G弦を張るメリットは、じゃかじゃか弾くときに、上から弾いても、下から弾いても、同じような音色になり、和音が爽やかで軽やかな、いかにもウクレレらしい響きになることと、高音弦が二本あるので、とてもテクニカルな高音の主旋律を弾けることらしい。
Low-G弦のメリットは、もちろん低音域が弾けることと、ギターとほぼ同じ感覚で弾けること。ただし、響きは少し重たくなる、と言われていて、良くも悪くもウクレレらしくない、ギターに近い音になる。
僕は、せっかくウクレレを弾くのだから、敢えてギターとの差別化を図って、High-G弦で弾こうと思っていたんだけど、どうしてもギターの感覚で弾いてしまうので、すぐに諦めてLow-G弦を張ることにした。High-G弦を張ってギターと同じ弾き方をすると、しばしば高音同士がぶつかり合って、不協和音が鳴ってしまう。
ギターだと、ベース音とメロディを同時に鳴らすことが多いけれど、High-G弦を張ったウクレレにはベース音が無いので、少しギターとは勝手が違う。高音域だけをうまく分散させて弾かなければならないので、ギターに慣れた僕には難しく感じた。
ウクレレの演奏者として、おそらく一番有名なジェイク・シマブクロは、High-G弦で弾いているらしい。Apple Musicでいろんなウクレレ奏者の演奏を聴いてみたのだけど、どうもLow-G弦とHigh-G弦の使用者は、半々くらいに分かれている印象だ。
ウクレレの弦は四本しか無いから、弦が六本あるギターと比べて簡単かというと、そうでもない気がする。ベースだって弦が四本だし、ヴァイオリンもチェロも四本だ。けれど、ウクレレは持ち運びがとても楽で、気が向いたときに、何処ででも(自室でもリヴィングでも、車の中でも、野外でも)弾けるから、他の楽器より早く上達出来るかもしれない。ギターに比べると、一般的にはずっと安いし。それに心が落ち着くいい音だ。
8月14日(水)、
今日もお墓参りに行った。それからハードオフに行って、いろいろ売ったのだけど、全然大したお金にならなかった。例えば、1万2千円で買ったばかりのギターのチューナーに50円の値段しか付かなかったのには驚いた。多分、あまり楽器に詳しくない店員さんだったのだろう。8千円で買ったギターのペグ(ほぼ新品)が500円。8万円のアコースティックギターが2500円。ボトルネックには値段が付かなくて「これは何に使うのですか?」と訊かれた。「こんな風にスライドギターの時に使うんです」と説明したけれど、スライドギターも知らないようだった。そんな感じだ。捨てるよりはややまし、というレベル。でも、誰かが買って、きっと大事にしてくれるだろう。僕が持っていて、使わないよりは、ずっといい。
それからオフハウスで、適当なジーンズを試着もせずに買ったら、ぴったりだった。エドウィンの新品同然のジーンズだけど、1500円くらいしかしなくて、すごく穿きやすい。まるでサイズを測ったみたいにぴったりだったので嬉しかった。
それから、とても可愛いイタリア製のガラスの瓶(ドリンキングジャー)を300円で買った。ジャムの瓶に似ているけれど、取っ手が付いていて、コップとしても使える。早速麦茶を入れて飲んだ。
残念だけど、今日はあまり外が美しいと感じなかった。ただごちゃごちゃしていると感じて、疲れるので、車の中ではイヤホンで音楽を聴いていた。気持ちが落ち着かなくて、外で安定剤を何錠か飲んだ。少し、調子が悪いかもしれない。
8月16日(金)、
指が痺れて、少し震える。力が入らない。数日間、起きている間はずっとギターとウクレレを弾いていたので、手首に負荷が掛かって、腱鞘炎気味になってしまったのだと思う。思うようにギターやウクレレが弾けないのは、けっこう辛いことだ。これでピアノも弾いていたら、本当に腱鞘炎になってしまうかもしれない。気を付けないと。
腱鞘炎に一度なってしまうと、回復するのに時間が掛かると言われている。そのせいで長期にわたって演奏活動を中断した世界的なピアニストもいたようだし、一日あたり長くても6時間くらいの演奏に留めておこうと思う。弾き始めると本当に一日中だって弾いてしまうので、時間通りに中断するのは、少し名残惜しい感じがするのだけど。でも、手首の健康を優先していないと、結局、長い間全然弾けなくなってしまう。十分に休みながら弾こうと思う。
8月17日(土)、
今朝は10時間くらい眠った。もう一ヶ月くらい不眠が続いていたと思う。特にここ一週間は毎日どういう訳か2時間くらいしか眠れずにいたので、多分体調の悪さは、単なる寝不足のせいだったのだろうと思う。よく寝たおかげか、腱鞘炎気味だった手首がすっかり良くなって、ギターもウクレレも存分に弾ける。でもまた弾き過ぎてしまいそうなので、自重しつつ弾いていようと思う。ギターに疲れたらウクレレを弾いて、ウクレレに疲れたらギターを弾いて、というループが延々続くので、一日中弾いてしまうことが多い。せっかく電子ピアノを持っているから、ピアノも練習したいと思っているし。それに、楽器を演奏していない時間は、キーボードかペンで書いていることが多いので、手首にはとても負担を掛けている。運動はほとんどしていないのに、手ばかり酷使しているので、全身の筋肉のバランスも悪いかもしれない。腕や指にはかなりがっしり筋肉が付いていて、血管が浮いているけれど、他の部分はへろへろだ。
ここ二週間くらい、いつも何かをしていないと、焦りの気持ちに飲まれてしまう。常にそわそわしている。読書をして、楽器を弾いて、書いて、英語を勉強している。それから数学やフランス語の勉強もしたいと思っている。一日が終わるのが、とても早い。精神的に、いい状態なのか悪い状態なのか、よく分からない。部屋の中をときどき綺麗に整理しても、数時間で本だらけになってしまう。気が付くと床も机の上も本の山になっていて、今にも雪崩が起きそうだ。何かに集中している間は気にならないけれど、ふと部屋の中を見渡すと、そのあまりの汚さにげんなりしてしまう。
朝、けっこう早い時間にウクレレが届いた。母に贈る為のウクレレを一昨日に注文していたのだ。たった二日で届いたのでびっくりした。Amazonよりも早い。本当は、今までギターやウクレレを購入して、リペアも何度かお願いしたことのあるクロサワ楽器で買うつもりだったけれど、品切れだったのでミュージックランドKEYというお店で買った。
母にあげたのは、安いウクレレだけど、弾いてみると十分に音が良かったので安心した。ソプラノウクレレなので、とても小さくて、デザインも可愛い。サウンドホールがハート型なのだ。リーズナブルな値段だけあってペグ(糸巻き)が少し回しづらかったけれど、潤滑油を吹き付けるとスムーズに回るようになった。作りは全体的にとても良いけれど、ナットが少し高くて押弦に若干力が要るので、母が弾きにくいようだったらリペアに出そうと思っている。
個人的には、ソプラノウクレレの音量はテナーウクレレとあまり変わらないと思った。テナーよりも優しい感じの、ころころした音がする。僕には小さすぎて弾きにくいだろうと思っていたけれど、そうでもなかった。
夜、父が仕事から帰ってきたので、一端ウクレレを僕の部屋に隠したのだけど、隠し通すのも不便だと思って、夕食後に堂々と台所で母と一緒にウクレレを弾いていたら、父が近付いてきて、「いいなあ、ウクレレは、優しい音がして。少し弾かせてくれ」と言って、母のウクレレを持ってコードをぽろろんと優しく弾いたので、少しびっくりした。父は昔ギターをやっていたということを忘れていた。母にも「いっぱい練習したらいい」と言ったのが意外だった。僕は、父は母が何か目新しいことをしていると、大体何か小言を言うものと思っていたし、僕が母にだけウクレレをプレゼントしたのを、あまり快く思わないだろう、と考えていたからだ。父がちっとも気を悪くしていないので、僕もすごく気が楽になって、何だか楽しい気分になった。楽器はいいよね。
だから、父には、コンサートウクレレ(テナーウクレレとソプラノウクレレの中間サイズのウクレレ)をプレゼントしようと思っている。父は手が大分不自由になっているのではないかと思っていたけれど、どうもそれほどでもないらしくて安心した。
母には悪いけれど、父には少しだけいいウクレレをあげたい。父の方が、何となく真面目にウクレレを弾いてくれそうなので。父はひとつのことにとても集中する性格だ。それに意外と、やりたいことが多いらしくて、仕事が定年になったら、ドローンを買って操縦の練習をしたいとよく言っている。ウクレレをあげたら、とても喜んでくれると思うんだ。
……そういうこともあって、僕も今夜は少し上機嫌だ。家の中の雰囲気がいいことは、とても嬉しい。
明日も楽しいといいな。手首の調子は良くなったみたいなので、明日もまたギターやウクレレをたくさん弾けるだろう。読みたい本もある。勉強したいことも山ほどある。長年続いた精神の不調が、今は何処かに飛んでいったみたいだ。向精神薬や睡眠薬はまだ大量に飲んではいるけれど。あと、お酒をいい加減やめたい。実は毎日、昼間にビール一缶程度のお酒を飲んでいた。そうしないと不安でどうしようもないのだ。あまりいい徴候ではない。
眠ろう。どうかいい日々が続きますよう。向上して行けますよう。