メモ(溶けたいこと)

僕は多くの人たちがいろいろなものを大事にするのがどういうことか、段々分かってきてしまった気がする。両親が、多分世の両親の多くがそうだと思うのだけど、お金や勉強のことで、毎回、お前の為に言っているんだ、と言っていたのも、あながち嘘ではなかったのだと、分かってきた気がする。両親は、僕に死んで欲しいなんて思っていないし、また苦しい思いをして欲しくないのも、本当だったのだと思う。今はもう、あまり両親を責められない。

書いているとドーパミンセロトニンやエンドルフィンが出てくる感覚を、少しずつ思い出してきた。読むことも快感だし、音楽を聴くのも気持ちいい。

部屋の中の空気が懐かしい水中のように鳴る。僕の先祖が海から陸に上がってきたのは、もう何億年も前のことだと思うけど、それより今に大分近い過去、僕は海にとてもよく似た羊水の中に一年近くも住んでいたし、今生きている僕の、身体中の細胞もまた海水みたいな液体に満たされている。身体中が海を求めているどころか、僕は海と共にいないと死んでしまう生物だ。

僕は、乾いた、少し湿った皮膚の中に海を有している。けれど僕はまた、海と、乾いた場所を分離することで、人間生活を構築している。この部屋が本当に水中だったら、本は読めないし、コンピューターも使えない。ギターの木も腐って弾けなくなってしまう。声だって音だって、空気を媒介にして伝達されるものだ。ある種の海の生物は、超音波や低周波音を使って会話するらしいので、彼らには彼らの音楽があるのかもしれないけれど、少なくとも魚にはピアノもギターも弾けない。宇宙空間でも歌は届かない。歌や音色は、地球上の乾いた表面でだけ通用する、とてもローカルな表現手段だ。だとしても、僕は宇宙に行っても深海に行っても、多分音楽を聴くだろう。宇宙、空気、音楽、心拍、などなど。僕が僕である限り、多分僕から切り離せないものたち。

けれどいずれ、アコースティックギターだって海の底で、タコやアノマロカリスの棲み家になるだろう。

扇風機は首をかしげたまま神経質な風を運んでくる。不安はこの部屋の水圧を高める。見えない何かが僕の輪郭から漏れていく。僕の皮膚は、澱んだアルコールみたいな部屋の空気の浸入を拒むことが出来ない。不安はふわふわしてて何処にも無いみたいなのに、同時にごつごつした石みたいな重さと手応えがあって、僕の内臓の中をぐるぐると回り続けている。吐くものなんて一切無いときの吐き気みたいに、無いのに、あるという感じがすごくある。

この部屋に実際に何かが棲み着いていると感じるときは、多分本当に頭がおかしいときだと思うけど、少しの不安や、気分の波のちょっとした変化で、僕の部屋は僕に敵意を向けているみたいに感じるし、僕は僕の部屋の空気のじっとりした視線のようなものに怯えたりする。楽なときは、部屋は気さくだ。一番いいのは、この部屋には何もいなくて、僕さえもいないと感じられるときだ。

小さな夕暮れ。壁には夕暮れが染み付いている。冬の冷気も染み付いたまま。

何が僕の人生や生活を不動のものにしているのだろう? 雨の日が好きだ。雨音が少しずつ全ての物音や事物を溶かし去ってくれるから。

シャーペンのこと

ぺんてる5というシャーペンを、もう18年使い続けている。それまで多分100本くらいはシャーペンを買っていて、僕にとっての理想のシャーペンを探し求め続けていたのだけど、ぺんてる5を買ってからは、もうこれしか使っていない。ぺんてる5は6本持っている。その内2本は最初に買った復刻版で、あとの4本は1970年前後、ぺんてるがまだ「大日本文具」という社名だった頃のオリジナルだ(「ぺんてる」という名称は「大日本文具」が一部の商品に使っていたブランド名らしい)。レトロな文具を売るネットショップやネットオークションではたまに売られていて、今でも探せば手に入ると思う。復刻版が出ていたくらいだから、当時は人気があって、かなりたくさん製造されたシャーペンなのだと思う。特にべらぼうなプレミア価格が付けられている訳ではなく、大体2000円が相場みたいだ。ちなみにオリジナルの定価は700円だったらしいから、当時としてはけっこう高級なペンだったのではないかと思う。50年以上前に作られたペンなのに、錆もガタも全然無くて、今でも全く普通に使える。中のバネや機構も全然錆びてないし、かなりハードに使ってても壊れる気配がまるで無い。昔の日本の会社が全て真面目な物づくりをしていた、という訳ではないだろうけど、少なくとも「大日本文具」は精巧で長持ちする製品を、相当に真面目に作っていたという感じがする。というのは、ぺんてるが改めて作った復刻版の方のぺんてる5は、プラスチックのグリップ部分とステンレスの本体の継ぎ目が、単に接着剤で固定されているだけなので、何年か使っている内に接着剤が劣化して、真ん中から折れてしまったのだけど、オリジナルの方はきちんとネジ式になっていて、十年以上使っていても、全くネジの緩みが無いし、ノックしたときの感触も、オリジナルの方が精密で上質な感じがするからだ。それに、中身を見てみると、復刻版は芯を入れているパイプの部分がプラスチックなんだけど、オリジナルはどうもアルミで作られている。とは言っても、復刻版は500円だったので、コストダウンの為に仕様を変更せざるを得なかったのだとは思うけれど。ちなみに「ぺんてる5」または正式にはおそらく「ぺんてる・シャープ5」(ペン本体にはPentel 5と書かれているので、僕はずっと「ぺんてる5」と呼んでる)というペンは、同名で何種類かあるみたいで、同じだと思って買ったペンが、全然違うものだったことがある。僕が使っているのは下の画像のぺんてる5です。(すごく久しぶりに写真を添付します。)

右端の2本が復刻版です。

左のは社名変更前のものなので、Pentelのロゴが違います。

キーボードのこと

パソコンのキーボードが好き。東プレのRealforceのAll45g荷重の初代のを以前、何年間か使っていた。とてつもなく長持ちするのがRealforceの売りのひとつだけど、エンターキーとスペースキーが少し軋むようになってきたので、第二世代(R2)に買い換えた。R2は1年近く使っていて、この頃打つのにかなり慣れてきた。身体の一部みたいだ。

初代のRealforceは、本当に特徴的なキーボードで、キーが冗談みたいに傾斜しているので、ひどく打ちにくく、そして打鍵音が、真夜中に窓を開けて書いていると、隣り二軒くらいに聞こえるんじゃないかと思うくらいうるさかった。でも、すごく書いている実感があって、かなり気に入っていた。今でもたまに懐かしくなって使っている。というか今まさに、出してきて使ってみている。デザインの野暮ったさも好きで、Amazonのレビューでは昔のワープロのキーボードみたいだ、ということを書いている人がいて、ワープロの時代は知らないけれど、確かにかなり古めかしい感じで、そこが好きだった。

R2は、キーの傾斜も平坦に近くなり、打鍵音も全然けたたましくなく、同じ45g荷重だけど、キーストロークが浅くなったのか、打鍵感が軽く、デザインもかなりスタイリッシュになって、何か普通のキーボードだな、と思った。初代のRealforceの金型が古くて使えなくなってきたので、新しく金型を作る代わりに、定評のあったゲーミングキーボードの金型を流用したらしい。初代の正統的な(?)進化版を期待していたら、全然違うキーボードだったので、最初は戸惑ったし、あまり気に入るとも思えなかった。キーの傾斜は一応、人間工学に基づいているとか書かれていたけれど、近年かなりしばしば売り文句として使われている「人間工学」という言葉を、僕はかなり胡散臭いと思っていて、だって人間ひとりひとりの体型や骨格、指の長さは全然違うし、そもそもデザインの好みは人それぞれだから、一律して「人間にとって使いやすい」デザインなんて無いんじゃないかと思う。それでも確かに打ちやすいのは間違いなくて、最初はとても普通だと思ったのだけど、ずっと使っている内に、本当に良いキーボードだと思うようになってきた。今は初代のよりずっと好きだ。

Realforceには、もう第三世代(R3)が出ていて、少し興味があるけれど、今のこのキーボード(R2)が壊れてから買おうと思っている。キーボードを替えたからってよく書けるようになる訳ではないし、それにキーボードが2つあると、どちらのキーボードを使うか迷ってしまうだろうから。……それに、身も蓋もないことを言えば、キーボードは必ずしも高価なものほど書きやすいというわけではない。安くても自分に合ったものが見付かることがある。安っぽいかちゃかちゃした打鍵感の方が、案外気持ちよかったりする。僕は以前、ハードオフで350円で売られていたキーボードを愛用していた。そのキーボードで、随分楽しく、たくさん書いた。けれど、安いキーボードの難点は、手放せないくらい愛用していても、すぐに壊れてしまうところだ。僕は毎日何かしら書いているので、一年もすれば、廉価なキーボードは大体壊れてしまう。東プレのキーボードの一番の利点は長持ちするところだと思う。東プレの商品情報を鵜呑みにするならば、5000万回の打鍵に耐えられると書いてあるので、計算上はR2はあと10年くらい使えるはずで、多分これから、このキーボードでかなりいろんなことを書くだろうと思う。多分次はR3を飛ばしてR4とかR5を買うんじゃないかと思う。段々、本当に個人的に、泳ぐように、踊るように書く感触を思い出してきている。ずっと遠かった言葉が、またすごく近しくなってきた。東プレのキーボードは書いてて気持ちよくて、とても頼りになる。

夢と標識と浮遊の、街

カーテンが揺れている。憑依されたように。心がリズムに合わせて踊るように。
残酷なくらいのリアルがこの向こうにはあるのだろう。
僕は一秒一秒を食べて生きられることの僥倖に浴して生きているけれど、
グループホームにもデイケアにも行かないし、最後の煙草を吸っては、
指折り数えて僕をナンバリングしている。数はとても涼しいけれど、
数は緑色に横たわっていて、そこには待ち人は誰もやって来ない。
僕自身は待ち人の世界からやって来たというのに。

世界には正解は無いから、僕に言えることはただひとつ、
僕にも口先くらいはあるということだけ。

岩波文庫
新潮文庫
角川文庫
講談社文芸文庫
白水社
旺文社
早川書房
三省堂
ちくま文庫
……ショーケースみたいなガラス越しの活字
痛苦を伴う自然言語たち、デスクの上のささやかな世界
BOSEのCDプレーヤー、ライフのノート、
Panasonicのパソコン、DELLのディスプレイ、
Pilotの万年筆、ぺんてるシャープペンシル
そこから未来は始まる?、これが僕の世界だ。
デスクに載った、僕の世界の全て。

薬のシートが見える、赤いクロスを拡げた街のように、
スピーカーからは意識の下を流れる音の清流、氷混じりのような
暗さと明るさの入り交じった、ベースと、あとはもう
同じ青白い霧のような音楽ばかりが。

それでも、全ての小さなアルバムには、それぞれの味と噛み応えがあって、
世界って多分天国なんだろうなと思う。
CDと次のCDの間の無音の線の架け橋は、その都度僕を二つの人間に分けるに足る。

壁の色が変わっていく、ここに座ったまま、僕は階段を降りていく。

破れたカーテンが白い月の光で僕を照らす。
その時まで僕は全ての季節を一度に浴び、何十万人もの意識が起こるに任せて、
ハイになったりロウになったり、僕を演奏し続けるんだろう。

霧がかった家、世界の何処にも存在しない家。
カエルの歌が聞こえる街で、刑務所の外壁をいつまでも眺めていたい。
Amazonで買ったヴィシー・セレスタンを飲みながら、
小説の街を散歩して、ゴールなんて何処にも無くて、
世界の終わりの、円形広場に入っていく。夢の中で夢を見て。

冷たい雨と、死んだような夢。誰も来ない時、
人生はまるで夢みたいだ。赤いマグにジュースを注ぎながら、
カーテンの揺れのリズムにだけ合わせて生きている。リズムにだけ。
ああ、それでも精神には曲がり路があり、
今度ひとつの角を曲がれば、何かあるか?
何かあるか、とずっと待っているのだ。
それがゴミでも構わない。
何か、いつか、何かきっと面白い何かの為にだけ、
僕は生きる。

ガラスのコップにまで許しを請うている。
木の下で眠る夢から目覚めると、
ゲームの無い世界にいて、僕の半分は木の下で
まだ湖を眺めていた。
全てがゴミのようにも見えたし、
全てが寂しそうにも見えた。僕のせいで。
僕には何のチャンスも巡ってこないだろう。この部屋で、
全てのものに謝らなければならない気がした。
初めに目に付いたガラスのコップに謝り、
それからもう、何も見えないので、分裂していく僕は、
あるものがあるべき場所にあるように、許しを請うしか無かった。

花火

赤、青、緑、、、青、青、青……

僕は君に届きたいだけ。でも僕は君に永遠に届かない。
君はメールを透ってやって来る、その行間から、
雨は降り続け、楽しい時も、悲しい時も、
僕は酸性雨の中にいる。

海から選ばれ、空から選ばれ、
僕は花火の最後の一粒。

僕はメールの行間に付いた染み、
誰も気にしない、僕の叫びには温度が無いから。

君に目覚めていて欲しい、けれど君は君自身に気付かない。

君は大きな海そのもの。
僕はそこに落ちていく、花火の最後の一粒。

カプセル

ガラスの時計。
カプセルの中に、いつまでもコインと枯れ葉。

脳波が虹のように垂れている。
先ほどまで木の椅子に座っていた看護師の、
やわらかな脳波が、夢のように、
歌のように。

小石の上にはいつまでも枯れ葉。
石盤の上には置き石
幾星霜の嵐、春、逆さまの感情。

石の卵のように古い、桜の白い、写真の下で、
笑っていた私とあなたの、今はもう
読み取ることの出来ない、石碑の文字。

いつか見た路に、黒と白を、
コントラストを付ける。
路は何処までも延びて、
私たちの息吹となるガラスの山がある。

石の卵、石の卵。
いつまでも産まれない。
空気は絶えて、
笛も産まれない。

コインと枯れ葉から小さな泡。
秘かに籠もる私の細胞。
(そうっと銃を持つ、いくつかの手。指。骨。神経。)
電子墨のような脳波、紫、白、虹、虹の色。

気紛れな、太古の眠りに眠れれば、
この部屋の、最後の夕焼け。

やっぱり、産まれるのかもしれない。

青い蜘蛛

青い蜘蛛
紐を綴じるように目蓋を閉じて
空を眼窩に閉じ込める、そこにお店を開けるように
大好きな、銀色の、音楽を流せるように

ディスプレイで、ちかちか光ってるけど、それは違う
私のじゃない、あらゆるアニメやCGが、私に何かを伝えようとしている
けれど、私は画面の真ん中のピクセルの洞穴から、眼を離せない

  ディスプレイの向こう側では人たちが笑ってる/怒ってる
  でも向こう側ってどこ? こちら側ではヘッドホンの中の私
  2022年の音楽が、2022年の扉を私に提示する
  私の頭の中、電脳内の子宮の中で
  私はディスプレイの中の私たちに笑いかける
  「寂しくない?」「恥ずかしくない?」
  「ハロー。ハロー、私。…私は何も感じず、
   そこに映るだけの存在になりたいです」

愛着心の中心で、孤立した眼の中で、目蓋を閉じて、
私の海だと知りたい、薬屋みたいな、
引き出しが天井まで、陳列台と、「」「」と書かれたサインボード、
LPのナンバリングを撫でている
一日中
配置された歓迎会、海の壁、
サムネイルの中に並んだ私のURL、画像認証、

空は相変わらず掴まえられない、どこまでも
空の虹色の音楽が私を浸みる、脳の中
ディスプレイの上を這う青い蜘蛛
の影

言葉では見えないけれど

言葉にならないことの多さ。
そしてそれが、言葉の豊かさ。

まるで眠っているみたいに、
夢の中でタイピングしていたい。

困っているのはあなた?、それとも僕?
ベッドの上、
僕は無限の数の住人で、一人で、
たまに宇宙の全て。

何も見たりしない。
盲目で、
脳に直接ディスプレイだけが繋がっている。

赤い物の多さ。
言葉に出来ない音や匂いが、
次々通り過ぎて行く。
夜。

私は言葉を豊かにしたい。
世界に、ひとつ、ひとつの、ひとつの世界に
入りたい、住みたい。

悲しい心――そんな言葉で書き表せない心をずっと
ずっと抱えていたい。

人里離れた木の家で
タイプライターで小説を書いていたい。

静かに、小さに、ひとり、ひとりで。

忘れられたピンボール・マシン
白黒写真にだけ残ってる
兄弟の、白骨化した遺体みたいに

静か   私はここにいる
ヘッドホンの中に

ヘッドホンは、最強の武器
異世界への、頁

退屈していたい
散り散りにはなりたくない.
退屈していたい

退屈して、退屈して、
人里離れた私の家で
ギターやチェロやトランペットの隣で
白骨化した私の遺体が
楽器と見間違えられるといいな

親しい人みんなに
弾いて欲しいな