涼しい崖の下のような廊下。私はプラスチックの四角いキーをゆっくりと叩いている。白い四角い画面に、真っ黒な電子の文字が連なっていく。ここから遠い街の光は、まるで琥珀の中の物語のように見える。
目を瞑ると、今まで過ごしてきた夏が、ひとかたまりになって、私の身体を包んでいるよう。水槽の中の一匹の小魚のように、全身で全世界を生きていけたらいい。眼鏡越しの世界は、ゆらめくような気持ちでいっぱいになっている。
……
柔らかな赤い空の下で、石鹸水の中にいるみたいに迷ってる、
「許して、」って言いながら、
電気の甘いノイズ、辛いノイズ、眠りのノイズが電線から垂れてくる、
空には穴が空いていて「許して、」の声が木霊になって落ちてくる、
……最近お風呂に入りながら霞むみたいな息で呟いている、歌う、宇宙が、
歌っている、「消えていけたらいいのにね」っていつも言いながら、
親指に薄い、べっ甲柄のピックを付けていて、そしていつも一日は、
赤で終わる予感に充ちている。
青い雲の向こう側に手を伸ばす、私はここの先住民、
子どもたちの声には夢が滲んでいる、その声の余韻が耳の奥で震えている、
私は、浅い夢をみぞおちの辺りに抱えながら、どこまで帰ろうか?、と
帰る場所のことばかりを、もう今は、考えている。
……
私は、生き残ってしまった。頭の中のお喋りをやめる。
書くことは呼吸に似ていて、キーを押したり、文字を消したりしながら、私はこの場所と、遠い街や海の柔らかな記憶を行き来している。それは、記憶ではないのかもしれない。私は遍在している、私は拡散している、とときどき唱えている。
つまりはね、……と私はいつも結論を急ぐ。結論なんて宇宙の終わりまで無いかもしれないのに、そして宇宙に終わりは無いかもしれないのに。
「私は私として生まれて、私として死ぬ」という、本気で吐く嘘、それは嘘だけど、かたくなな信念として、私の命の芯を形成している。けれど、私は本当はこう思っている。
(私は生き残ってしまった。全ての死の総体として。
そしてこれから生まれる光たちの、そのきらめきの総体として。)
……
私は、泣きたくなると薬を飲んでいる。舐めている。今も。
それは、泣きたい気持ちを心のずーっと奥に留めたままでいたいからかもしれない。
睡眠薬は私を波にする。音楽は、……
そして私はギターを弾いている、遠い遠い、何かを願って。
埃をかぶったピアノを見やって、ピアノの蓋に置かれた缶チューハイ(ゆずサワー)を一口だけ飲む。ぬるい。薬と混じって、それは心をとろかせる。
波のようになる。私はいない、けどいるのかな?、というその淡い場所が好きだ。
……
私は最近、インドに行きたいとか、沖縄に行きたいとか思っている。
私が旅をするのではなく、多分、旅先の風景と、私という点が、
一瞬交差するだけなので、そこから帰宅した私は、さらに波に近くなる。
そして「私らしさ」はもろく破れて、望み通りに私は拡散し、流れていけるだろう。
生活……、生活がおぼろげになれば、どんなにいいだろう。
食べて、眠る、眠る、眠る、ギターを弾いて、ピアノを叩いて、眠る、眠り続ける。
歌う、……そして書く、、、キーボードを叩いて、叩いて、眠るように、、、
そして心から、一点の曇りもない朝の海のように、目覚めていて。
……
私は生き残った。時計を見ると3時だ。夜中。
ヘッドホンを付けている。ニック・ドレイクと、最近は青葉市子さんが好きだ。
私はまだまだ起きている。
全てが溶け合っていきますよう、と私は私に向かって、呟いて。
溶け合った先には、幸せしかあり得ないのだと。
そのことを、私はとてもよく知っている気がする。
……
真夜中、の海でひと粒だけ光る、量子や、甘い、波のように。