ひとりの時間についてのメモ(日記からの抜粋)

 ……でも、それにしても、もっとずっと大事なことがあるんだ。無私の心って、やっぱりあると思う。好きになれない理由を探す前に、さっさと人を好きになった方がいいと思う。少なくともその方が自分も生きやすい。お互いが自分だけに拘っていたら、愛し合っていたふたりでさえ、いずれは不倶戴天の敵同士になってしまう。かと言って、自分を殺してまで相手に尽くすと、見返りが少ない分、段々恨みがましい気持ちになってしまうし、それ以上に自分を見失う。

 例え家族同士でも、皆がひとりの時間を大切にして、お互いがお互いの時間を尊重し合うことがとても大切だと思う。そして、ひとりでいる時には、家族のことなんて一切考えないのが、一番いいんじゃないかと思う。誰かに言われたことも、されたことも、全部キャンセルできる時間があった方がいいと思う。ついでに、自分がどうだこうだということもデリートしてしまう。
 いつも生活や、他人や、自分のことを抱えていたら、重苦しいし、何も出来ないし、しんどくて、下手すれば自殺にまで追い込まれてしまう。キャンセルしてデリートしてフラットになった状態でも、まだ文句を言ったり書いたりしたいなら、書けばいいんじゃないかと思う。悪気はゼロでも、誰かに文句を言ってしまったらまた面倒になるので。
 フラットな状態だと、感情まかせの主観的な青みどろみたいな言葉は出てこなくて、例えまだ怒っているとしても、怒っている自分を観察している状態でいられるので、書いていると、気分が大分落ち着くんじゃないかと思う。多分、自分自身を意識している自分が、本当の自分なのだと思う。

 いつも「僕は駄目だ」とか言っている「僕」が消えたところに、本当の僕がある、というのは、僕の昔からの感慨だ。……とは分かっていても、「生活」や「他人」や「自分」という概念の呪縛ってとても強い。
 けれども、僕はいつまでも子供のままでいる訳にはいかないんだ。良い意味での子供らしさとか子供心ってあるけど、大人にはそれと同等に素晴らしい、自分を制御して意識的に変えられる能力がある。きちんと良い部分だけ大人になれたなら、きっと僕は、子供の時よりずっと楽しくなれるはず。
 人生で最高の時間が、もう過ぎ去ったなんて絶対に思いたくない。最高の時間、そして期間は、これから訪れると思ってる。