日記(入院と退院のこと)

1月23日、
 昨日まで五日間、入院していた。自殺に失敗して病院に搬送されたのだ。二日間意識を失っていた。目が覚めてからは、死にたいという切羽詰まった気持ちが消えてしまっていて、何だか何もかもに寛容になれるような不思議な気持ちでいた。会う人ごとに懐かしさを感じるみたいだった。でも、何処となく計算高くもあって、もう十分元気だと医者にアピールしつつ、元気さを強調し過ぎて、焦っているとか、躁状態だと思われない程度に、自分をコントロールすることも出来るだろう、と考えたりもした。本当に有り難いことに、譫妄状態が晴れると、自分が、いつも以上に正気だと感じられた。だから、医者の先生にも、僕がもう狂っても、歪んでもいないことを、話せば十分伝えられるだろうと思った。先生にも、初めて会う看護師の方たちにも、親しみというか、旧知の仲であるような、好感みたいなものを感じられて仕方なかった。
 ただ、薬を大量に飲んで死のうとしたので、血液検査の結果が剣呑で、食肉置き場の跡みたいな、鉄製ベッドがひとつの部屋で、三日間ひたすら薬と煙草(と多分お酒)からの急速な離脱症状に耐えているのは、寒い寒い道を、汗をいっぱい掻きながら、裸足で延々歩いているような、かなり辛い作業だった。心の中で歩くのをやめると何かが壊れて、叫ぶか何かしてしまいそうな感じもあって、そういうときは自分が嫌な感じもした。

 夜、8時に睡眠薬を一錠だけ貰って、部屋が消灯されて、それから朝食までの12時間が残酷で、何年もあるように思えて、腕時計の針を見たり、常夜灯を見詰めたりしながら、世界の果てで、人知れず生死の中間で苦痛を彷徨っている永遠に孤独な人たちの仲間入りをしているんだなあ、と人ごとみたいに思った。バロウズの小説かエッセイで、収監されたドラッグ中毒者が、ドラッグの欠乏感に「ひたすら耐える」という何でも無いことを、身を以て学ぶ場面が、たしかあった。
 「耐える」以外、何ひとつ選択肢が無い状態に身を置くと、絶望でも拷問でもない、まるで自分自身からも閉め出されたような特有の孤独感だけが、生きる感覚の全てになる。気を緩めると狂いそうで、ますます精神を張り詰めさせると、時計の針の動きは意地悪いみたいに遅くなる。こんな夜にも、平和に眠っている人たちがいる、ということが、遠い遠いおとぎ話みたいに思える。僕は絶対に眠れないことが分かっている。そんな風にして、丸二晩を過ごした。昼間は、元気な振りをすることに集中していると、点滴や採血や診察や食事で、時間が細かく分割されるので、多少は時間が早く過ぎる。それに何より、昼間は音楽が聴けた。ヘッドホンの中は、僕のいつもの住み家だ。愛する音楽たち。食事は吐き気との戦いだったけれど。

 これがあと一晩続いたら自分を保てないと思って、せめて退院の目途だけでも付けて欲しいと、昨日、昼食を胃に無理矢理押し込んだ後、主治医の先生に直談判しに行こうかと立ったり座ったりしていたら、急に看護師さんが入ってきて、「退院許可が出ました」と、唐突に、何でも無いみたいに、今すぐ帰っていいという風に、僕の少ない荷物の入った段ボールを、でんと床に置いたので、本当に気が抜けて、嬉しくて嬉しくてならなくなった。
 冷静に考えてみると、家に帰ったからって眠れる訳ではないのだけど、そして実際今、眠ってない訳だけど、どんなに夜が長くても、パソコン(ワープロ機能)と音楽があれば、僕は殆ど無敵の状態になれる、僕の通常の時間軸に戻れる、と、眠れない夜に、情けないことだけれど、つくづく何百回も、そう思った。状況次第で簡単に折れてしまう自分の精神を情けなく思うけれど、真夜中、ずっと音楽が付き添っていてくれる、ということが嬉しい。僕は数年間、音楽さえも恐怖の雑音でしかなかった時期があった。
 その(看護師さんが入ってきた)瞬間にすぅっと楽になって、点滴を受けていると、ひんやりした海にぷかぷか浮いているみたいな、この世には自由しか存在しないみたいな、地球も何もかも、自由の海に浮いているみたいな、素晴らしい万全感に包まれた。この世界に素晴らしくないものなんて、ひとつも無いように思えた。

 入院中、昼間は、ベッドの上に中原中也の『全詩歌集』とノートとウォークマンだけを拡げて、ひとりで音楽と言葉の世界に耳を澄ませていた。周りの声や物音や人たちから、自分が乖離していて、時々、僕には社会的な役割が無いことが心細くなったのだけど、その心細さがまた、中也の詩の気持ちと不思議にシンクロして、こんなにふたりきりで中也と語り合えたのは、そう言えば本当に久しぶりだと感じた。まだ友達もいなかった、大学の入学前のアパートで感じたような気持ち。中也が確かに生きている世界に、自分もまた、存在しているということ。

 入院の何日か前から、薬を抜いていた。急に薬を抜くと、感情が真っ白になる。自分のコントロールが出来なくなってしまって、気持ちの中の穏やかな着地点を見失って、訳もなく怒りが湧いてきてしまう。周りの誰もが、生きている人間に見えない。動いているだけ。僕も含めて? 「大人になれば分かる」とみんな言ったけれど、何にも分からなかった。僕は大人になって、ただ疲れただけだ、とどす黒く、苛々したりさえする。
 不安を突き抜けた所にある、白いような心細さ。もやもやした灰色のように無感情でいるか、かと思うと孤独で痛いような気持ちになったりする。何故バランスの取れた感情を保てないのだろう? 今年は穏やかに、懐かしい気分で生きていこうと一応は決めた。でも、気分は自力では変えられないこともある。具体的に毎日継続しようと考えたことは、今のところきちんと続けられているから、気分に関係なく、義務的に行えることを目標にした方がいいみたいだと、律儀に考えたりしていた。けれど、それすらも自力では続けられないと思うほど自信が無くて、今年は正月からずるずると毎日お酒を飲んでしまっていた。
 安らいでいるのではなくて、ただ怠くて動きたくないだけの状態が何ヶ月も、何年も続いたりする。そしてそれはきっと薬のせいで、薬を抜けば何か変わるかも、とあまり根拠も無く考えた。でも薬をやめたらやめたで、急に身体が戦闘モードに入って、自分が何をしでかすか分からなくなったりする。そして溜めておいた薬を一度に飲んでしまった。

 僕が敬愛するニック・ドレイクも処方薬の過剰摂取で死んだ。死にたかったのか、何かを変えたかっただけなのか、分からない。僕にもニックにも、多分誰にも分からない。
 手のひらにいっぱいの錠剤をウォッカで飲み下してから、次に目覚めるまで、丸二日間の記憶が飛んでいる。まるで自分が新たな世界に移送されたかのような。医者が僕の名前を大声で何度も呼んでいたと思うけど、それも朧気で、気付くとベッドの上に、当たり前のようにいた。尿道からカテーテルを抜かれたときの気持ち悪さを覚えているような気もする。ぬめぬめした悪夢のような時間が、あったような気もする。何にも無いような気もする。二日間の間、僕は何処にいたのだろう? その間の、断片的で取り留めのない感覚や思考が、残っているような感じもする。半分だけおかしくて、同時に完全に正常、という世界に、これまでずっと生きてきたような。一面的には、世界は完全に継ぎ接ぎだけれど、継ぎ接ぎなりに世界は完結している。出鱈目な継ぎ接ぎや、僕の自分勝手な継ぎ接ぎ。それぞれの継ぎ接ぎの一部一部が、でも、今こうやって遠くから眺めていると、けっこう美しいな、とか、妙なことを考えていたと思う。
 言葉……。「言葉」っていう単語はとても美しい。ということを、繰り返し脈絡もなく考えていた。

 

1月24日、
 誰からも好かれないことではなく、誰も好きになれないことが、本当の絶望だと思う。

 彼らは僕に語りかけている。オレンジ色の空に賛辞を送る。けれど多分、空は賛辞の言葉を知らない。僕は空っぽで、空っぽだからどんな破綻も受け入れられる。
 僕は滅びゆくのだと思う。疲れて傷だらけの皮膚と、壊れかけた内臓。血圧はすごく高く(200くらいは普通)、それなのに顔には血の気が無い。一日に一度は、動悸が起こるようになった。ギターの音がとても好きで、古い音楽が好きだ。
 僕は滅んでしまうのだと思うけれど、でもそれは何だか、どうでもいいことに思える。世界は僕を超えていく。愛していたいな。好きでいたいな。その願いだけが叶えばいい。