体調が良くなってきた

11月19日(土)、
 このところ、本格的に鬱が治ってきたと感じる。まだ少し、ぼんやりとした匂いのような憂鬱感は残っているけれど、死ぬほど重い鎖が心臓に巻き付いているような、死ななきゃどうにもならないような、絶対的な絶望感は無くなってきた。みぞおちの奥に絡み付いて取れないチェーンのような鬱陶しさはあっても、ときどきは胸の中の温かみさえ感じられるようになってきた。まあまあ、生きていける程度には身体が軽い。

 本当は身体全体で、水と一体化した魚のように、自由な気持ちでいたいのだけど、ここまで回復しただけでも有り難い。僕の精神は、多分壊れやすいと思うけど、休んでいたらきちんと回復するのだからすごい。それから、毎日鬱陶しい顔でだらだら自己嫌悪してばかりの僕に、気長に普通に接してくれた友人たちや両親の存在も、すごく大きな助けになった。もう大丈夫、かは分からないけれど、遠からず、鬱だった自分を過去形で語れるようになれる気がする。

 昨日と今日、夕食時に、日本酒を飲んだのだけど、ビールより日本酒の方が、酔い心地がほやほやして、冬には日本酒の方がいいかもしれないと思った。刺身で飲む日本酒は、最高に美味しい。獺祭というかなり有名な日本酒を、通販で買って飲んでいる。今日、試しに、獺祭じゃなくても案外飲めるんじゃないかと思って、よく宣伝されている銘柄の大吟醸を買ってきて飲んでみたけれど、獺祭の美味しさを再確認できただけだった。多分、他にも美味しいお酒があると思うので、冬の間に、何本か買って飲んでみたいなと思っている。去年くらいまで、薬を飲んでいる内は、アルコールはあまり飲むなと父に言われていたのだけど、最近は、僕が見るからに元気になってきたからか、特に何も言われない。けっこうふらふらになるまで飲んでいる。

 本。一冊一冊、一頁一頁に、果てしない世界が隠されている。本棚の前にいると、溜息を吐きたくなるくらい、満ち足りた、何というか、豊かな世界にいるような気持ちになることが増えた。僕の眼に映る世界は、それぞれが僕の意識から独立した小世界で、そして風景たちは満遍なく、僕のシナプスの発火と反応し合って、普遍的なような、特殊なような柔らかい光を発している。真空管のような、甘く柔らかな光。ドーパミンのおかげで、何もかもがビビッドに見えることもある。本の中の風景も、眼前の風景も。

 音楽は、やっぱりロックが好きだ。この間は頑張ってクラシックを聴いてみたけれど、音の輪郭を掴まえるのに苦労した。まだ慣れてないせいもあるだろうけど。スピーカーから流れ出してくるギターの音を浴びていると、全身の細胞が気持ちよくなる。

 人間には興味が尽きない。人という言葉に温かみを感じるようになってきた。人はそれぞれ、みな固有のストーリーの中を生きている。人が生きている世界に生きていたい。人間として生きていたいな。