良くなったり、悪くなったり

11月20日(日)、
 今日は午前中は頭の動きがすごく悪くて、こんなのでやっていけるのかと思ったけれど、午後には気分が晴れた。心身共に軽くなった。

 エマーソン,レイク&パーマー(ELP)はキーボードとベース、ドラム、という少し変則的な編成なので、ギターの音はほぼ入っていないけど、大好きなバンドだ。グレッグ・レイクジミ・ヘンドリックスを入れて、バンド名をHELPにするつもりだった、という話もある(ただしファンの後付けかもしれない。ジミ・ヘンドリックスと組みたかったのは本当らしい)けれど、ジミ・ヘンドリックスELPでは多分合わなかったと思う。僕はELPの一枚目を十六年くらい愛聴していて、ピアノが主体の幻想的な曲調にいつも引き込まれる。魔法の森みたいだ。二枚目からはオルガンが主体になって、テクニックを惜しげも無く披露しているのだけど、冷たい泉のような感触が無くなって、熱っぽくなったし、エマーソンのオルガンの音数が多すぎる感じがして、たまにしか聴いていない。二枚目以降の方がロックとしては格好いいし、ファンも多くて、プログレッシブ・ロックとして実に完成された感じはあるのだけど、僕はロックはどちらかと言うとタイトな音の方が好きだ。
 本来は僕は、ロックに使う場合はピアノよりもオルガンの方が断然好きなのだけど、キース・エマーソンの弾く美しいメロディには、ピアノの音がすごく合っていると思うので、もう少しだけ多くピアノを使っていて欲しかったなと、勝手に思っている。
 ……昼からは60年代から70年代の音楽ばかり聴いていた。00年代までの音楽はたまに聴くけれど、10年代20年代の音楽はあまり聴いていない。たまには新しい音楽も発掘しようと思うけれど、テクノ以外ではなかなか好きなミュージシャンが見付からない。

 夜、ヘッドホンで音楽を聴いている。最近、多分ひと月くらいは、音楽はもっぱらスピーカーで聴いていたのだけど、少し気分を変えようとヘッドホンで聴いてみたら、ぐっと内向的な気分になれて、やっぱりヘッドホンもいいなと思った。もしかしたらもっと内気になれるかと思って、ノートパソコンを出してきて、少し書いてみたら、こぢんまりとした画面と窮屈なキーボードの感触が懐かしくて、同時に新鮮な感じもして、かなり書くのに集中できそうと思ったのだけど、どちらかと言うと、やっぱりデスクトップの方が書きやすいと思った。その時の気分にも大分依るだろうけれど。一太郎の仕様のせいもあるだろうけれど、デスクトップパソコンのディスプレイの方が、明朝体が綺麗に映るし、外付けのキーボードの方が、打ちごたえがあって、書いている実感を得やすい。でもノートパソコンのキーボードのぺたぺたとした感触も好きだ。もしかしたらその内また、ノートパソコンばかり使って書くようになるかもしれない。
 この間読んだ小川洋子さんのエッセイでは、原稿用紙に手書きでも、ワープロを使って書いても、文体は変わらないと思う、と書いてあったけれど、僕はけっこう変わると思っている。僕の指はQWERTY配列に最適化されている。QWERTY配列が大好きだ。QWERTY配列だからこそ、無意識的に書けるし、即興演奏みたいに、ピアノを弾くみたいに書ける。
 QWERTY配列は一般に、書くのにはあまり適していない、と言われることが多くて、一番効率がいいのはDvorak配列だとか、それを日本語向けに少しカスタマイズした配列とか、かな入力がいいとか、日本語を書くのには親指シフトが最強だとか、いろいろ言われているけれど、僕は個人的には、QWERTY配列で完璧に十分だと思っている。それは、過去、QWERTY配列で完璧に書けたという記憶があるからで、だから例え書けなくなったとしても、それはキーの配列とは関係ない、と思っている。
 原稿用紙は常備していて、時々手書きで書いている。升目をひとつひとつ埋めていく作業は非常に面白い。手で書くのはやっぱり体力が要るので、息の長い文章を書くのは骨が折れる。それにはいい面もあって、パソコンだと長くだらだらと書きがちなのが、手書きだと、短く纏まって、凝縮された言葉を、自然に書くようになる。

 言葉の毒に触れたい。何故かは分からないけれど、昔からずっと、意地悪な小説が好きだ。それから、言葉そのものの面白さを感じさせてくれる小説や詩。未来を感じる言葉や、取り憑かれたように書かれた言葉たち。言葉って、本当に無限だよなと思う。僕もたっぷり勉強して、いろんな言葉に触れて、たくさん書きたいと思う。心身の調子をどんどん良くして、やっぱり音楽も作りたい。