メモ(まだまだ考え中)

 この世界をプログラミングしている神のような存在がいないとしたら、世界って、ぽつんと孤立して、何の意味も無く存在しているだけなのだろうか? 冬の匂いがして、遠い遠い昔の記憶が胸の奥で疼く。夜には夜の匂いが確かにある。季節感を感じたり、音楽を聴いたり、イラストを見て美しいとか、可愛いと思ったりすることに、別に意味なんて無いけれど、意味も無く綺麗なものたちを、僕はとても大事に感じている。

 僕が何かは分からない。けれど景色は美しい。パソコンのディスプレイの中の世界と、この僕の身体がある世界(現実)を、僕は区別しているけれど、現実だってプログラムされた世界かもしれない。でも多分、この世界を作ったプログラマーはいないだろう。今僕に見えている(と思っている)物たちや、僕の外部にある(と信じている)存在たちが、本当のところは何なのか、僕は全く知らない。
 内面とは何だろう? 僕の内面と、僕の外部の空間を、僕は分けて考えているけれど、その境目は何処にあるのだろう? 本当はただ、感覚と感情と意識だけがあって、他には何ひとつ無いかもしれない。でも仮にそうだとしても、この世界の現実性は全く揺るがない。この世界は実質ゼロで、そしてただ、僕の感覚と意識と感情だけが存在するのだ、と考えても、世界は何ひとつ変わらない。けれど、僕個人の世界観は、大きく変わる。

 僕が素朴に抱えている世界観は、「とても大きくはあるけれど無限ではない宇宙の中に、僕の小さな身体がぽつんとあって、身体の中に脳があって、脳の中に僕の内面(心)というものがあって、そして、僕の心身以外は僕の外部」、という感じ。だだっ広くて複雑な世界の中で、ちっぽけで孤立した僕が混乱している、という図式。でも、それは間違っているかもしれない。僕は広い宇宙の中で孤立した存在なのではなく、この世界に境界なんて存在しなくて、全て溶け合っていて、僕は全てで、全ては僕なんだと考えると、思考が解けていって、気持ちよくなる。

 本当に、完璧に完全に存在していると断言出来るのは、僕の意識と感覚と感情だけだ。例えば今、僕の眼の前には、コーヒーの入ったマグカップがある。でも、そのことをより正確に言うと、「僕の意識は今、『眼の前にマグカップがある』と感じている」というだけのことになるし、手を伸ばしてマグカップに触れば、ひんやりとしているのも、僕の感覚に過ぎないし、コーヒーを飲むと冷えてて、不味いとか、もっと熱いコーヒーが飲みたいな、というのは、僕の感情に過ぎない。本当に、実際に冷えてて不味いのか、それとも、冷えてて不味いと、僕が感じているだけで、本当はコーヒーなんて存在しないのか、僕には分からない。どちらが正しいとしても、僕に見える世界は同じだ。「世界がある」のか、「世界があると僕が感じている」だけなのか、僕には絶対に判断出来ない。ただ、後者の方が面白くて、気持ちいいと感じる。

 よく、人類は皆ゲーム内に住んでいて、シミュレーション(ヴァーチャル空間)を体験しているだけだ、と主張する人がいるけれど、もしそれが完全に真実だとしても、僕が住んでいる世界は実質、今と全然変わらない。眼の前に「本当に」マグカップが存在しているのか、それともマグカップという「情報」だけがあるのか、僕には見分けが付かない。
 世界の全てがヴァーチャルリアリティであるとしたら、その割には、働かなきゃお金が入らないし、身体は疲れるし、お腹は空くし、冬は寒いし、戦争も地震も起こるし、この世がゲームだとしたら随分、人間にとってハードモードに作られてるな、と思う。このヴァーチャル空間を作った存在がいるとして、彼ら(?)は「本当の」世界に住んでいるのだろうか?、とか、人間だけがプレーヤーなのか(例えば猫や犬は?)とか、実証不可能なことが沢山あるし、世界がゲームだとしたら、だから何なんだ?、というところから話が進むとは思えない。

 しつこくて、どっち付かずの文章になっているけれど、僕は、世界がヴァーチャルだとは思っていない。僕の意識や、この世界が、プログラミングで作られたものだとは思えないし、かと言って眼の前の現実が確固として存在しているとも思えない。世界が全て僕の内部であるような、もしくは全てが外部であるような感覚は昔からある。

 ついでに言えば、独我論は間違っていると思う。世界には僕ひとりしかいなくて、他人は全て幻想だ、という考えはおかしいし、危険だと思っている。普通に考えて、例えば僕が今まさに座っている椅子は、椅子職人さんが作ってくれた物だし、この文を書いているキーボードも、日本の工場で緻密に作られた物だ。第一、日本語を作ったのも僕じゃない。
 僕は一日中音楽を聴いているけれど、素晴らしい音楽の数々は、すごいミュージシャンたちが作曲して演奏したのをスタジオで録音したものだし、僕のヘッドホンはタイ、ウォークマンは中国で製造された物だ。大好きなギタリストがいっぱいいる。僕が毎日弾いているアコースティックギターエレキギターは、アメリカで丹念に作られた物だし、ウクレレはメキシコ製だ。地球のあちこちで、今この瞬間も熟練の職人さんたちがこつこつ働いているのは、間違いないと思う。