良いことも悪いことも

12月4日(日)、
 友人Mに相変わらず長いメールを送っている。たまに彼からのメールの方が長くてにまにましてしまう。大切な友人がいることで救われるような、それだけで生きていて良かったと思える感覚。それは空想では、ほぼ得られないことだ。友人は、秋の間、仕事が篦棒に忙しかったみたいで、しかも健康も少し害していたようで、会えはしなかったけれど、別に寂しくはない。彼も僕も、LINEやSkypeでの会話は好きではない。いつも顔を見てないと不安になるって、何だか友達ごっこみたいな気もするし。
 彼と僕とでは趣味も全然違うし、凝り性なところは似ているけれど、共通の話題って殆ど無い。お互い自分の好きなことを喋っているけど、それが面白い感じだ。もともとあった自分を、僕はいつも、彼との関わりで思い出す。友達がいるだけで、頑張ろうって思えるんだ。ひとりだったら、僕は何をしたらいいか分からない。
 彼とは十代後半の頃には、ほぼ毎日会っていたし、それからも二十代の最初の三年間くらいは、ちょくちょく会っていた。それからは彼が多忙になって、なかなか会えないけれど、会うたびに、まるで昨日会ったばかりのような自然な空気が生まれるし、その空気の中でだけ、僕はのびのびと僕自身でいられる気がする。別に昔の話をし合うわけでもないけれど、一緒に過ごした時間が、ものすごく長いせいもあってか、僕は彼といると、家族といるよりもずっと自然にいられる。一緒に歳を取っていける仲間がいるって、本当に心強いことだ。彼とは誕生日も一日しか違わなくて、本当に対等な関係でいられる。
 自然な僕は、彼がいなければ、多分成り立たない。彼がいる限り、僕は自分を完全に見失うことは無いだろう。

 

12月5日(月)、
 気にかかることはいくらでもある。これから生きていくのに当たって、一番心配なのは、薬に依存せずに生きていけるかということだ。違法な薬は使ったことがないけれど、病院の薬には完全に縛られていて、けっこうなお金を使って、ろくにカウンセリングも受けず、薬を大量に貰っている。病気はかなり治まったと思うけれど、僕はまだ基本引き籠もった生活を続けている。

 薬で頭が殺伐としてくると、廃墟のマンションで、遠い生活音を聴いているみたいだ。そう書くと悪くないけれど。例えば薬がとても効いているとき、僕はまるで、宇宙が産まれる瞬間の音の中に生きている気になる。時間も無い。苦しみもない。部屋の中には美しく親しい、世界の全てがある。……こう書くと、全然殺伐となんかしてないみたいだけど。

 本が面白くなってきた。自分の個人性を、たまに強く感じられるようになってきた。僕はこの僕だ。産まれてきたままの僕。でも僕はその僕をかなりしばしば失ってしまう。

 口内炎が意外にもしぶとい。完治したと思ったら、また大きくなっていたりする。もうたしか2週間くらいになるんだっけ? 食べてるときとかは気にならないのだけど、じっと座っていると、何となく口の中が気になって、読み書きに集中できない。やっぱり癖で軽く噛んでしまうのが良くないのかな?

 この、しぶとい重い現実感から、一日に少しの間でいいから逃れたい。本当に努力したいし、集中したい。空威張りしか出来ない自分が不甲斐ない。
 僕は一番に、僕自身でいたい。産まれたままの僕で。生きている実感を得られるようになってきた。それだけでも嬉しいんだ。好奇心が湧いてきたことがたまらなく嬉しい。音楽や本が楽しいことも。もっともっと良くなりたい。死ぬまで、停滞して退化していくのではなく、きちんと、完璧に成長していきたいんだ。
 ここは、僕が生きている世界。僕は生きている。ただ生きていることの静けさを、いつも感じていられたなら。