夜、月

紙の本が好きだ。
それから辞書が好き。紙の。英和辞典と仏和辞典と国語辞典を持っている。どれも表紙は合成皮革で、英和辞典は限りなく黒に近い青黒色、仏和辞典は鈍いワインレッドで、国語辞典は真っ赤。
辞書には言葉の原子が並んでて、それらは寧ろ、発された/書かれた言葉よりも、ずっと生きている。辞書はちょっとした宇宙だ。そこには星々が点在し、生のままで、そのままで美しい。とても広い。言葉は宇宙を解体し、また繋ぎ合わせて編みあげて、新しい宇宙を作る。小説・詩集は、蟻塚程度の構造ではなく、まるでひとりの人生の詰まったトランクのように、懐かしい匂いに満ちている。命の光が一冊の中に編み込まれ、絶え間なく、生きている。

汚れた窓越しに見る月は、弱々しくぼやけた黄色で、疲れているみたいに見える。夜の、冷たい弱い孤独さも、風に心拍が灰色に高鳴る感じも、ずっと忘れていた。

気分が悪い。吐き気がする。煙草を吸い過ぎた気がする。あまり食べてないし、寝ていない。

夜が好きだ。また好きになった。夜になっても何処にも行けない期間は過ぎて、何処までも続く一面の夜に、私はひっそりと逃げていける。夜に私の細胞はどこまでも拡散していく。元あったように、大きさの無い世界へ。