小さなメモ

 悲しいことばかり覚えている。あとは、少しばかりの嬉しいこと。苦しかったことや、怒りや、恐怖は、みんな忘れてしまった。
 16歳の時、フリースクールのみんなで、お花見だと言って、平日の、誰もいない公園で、ビールを飲んでいたことがある。そのときの芝の匂いや、木漏れ日まで、よく覚えている気がする。やわらかくて玲瓏な空。虚しさとか、寂しさ。死のうと思っていたこと。好きな女の子がいたこと。ビールをひたすら飲んで、友人にへらへらと絡んでいたこと。知らないおじさんが近付いてきたけれど、僕たちは何の警戒もしていなくて、おじさんもまた笑っていたこと。
 消防車の寂しい鐘の音(今のこと)。何かが欠けた子供。欠けたままの大人。川の音がしていて、僕の空っぽの心臓を通り抜けていく。昨日はヴァイオレット・エヴァーガーデンの劇場版を見て、泣きすぎて頭が痛くなった。今日はまた無職転生を見て泣いていた。
 別に好きじゃない女の子がトイレで吐いて、僕がひとりで掃除したこと。ブラシで床をこすりながら、「このことは後になっても、ずっと覚えているんだろうな」と感じたこと。
 アニメで泣いても、そのことはあまり覚えていない。僕は笑っている人たちの中では笑っているし、人が泣いてると泣きたくなるし、誰かが怒っているともっと怒らせたくなる。何も感じない。

 全てが混ざり合って、虚空の中に吸い込まれていく感覚。誰といても、どうしようもなく空っぽになって、もう人の声も届かない。脳が孤独になって、ただ突っ立っていたり、ところも構わず踞ったり。
 音のしない季節の中を、溶けていくだけ。多分、そのためだけに生まれた僕。

 僕の知らない場所で、悲しいことが起こっている。

 薬が効いていると、自分の気持ちが分かりにくくなる。意識が分厚いゴムに包まれているみたいだ。
 薬が心に及ぼす影響。たとえば音楽にうまく入れなくなる。
 あまりに苦しくて、仕方なく薬を飲んでいるけれど、薬が効いている間には思い出せない感情がある。一番大切で、なかなか言葉に出来なくて、おそらくそれだけが、きっと人にも伝わる感情。

 悲しみや寂しさを音に出来たら。言葉に出来たら。

 決定的にひとりだ。人といることは悪くない。特に、好きな人と話すことは、本当に嬉しい。けれど、それで、ひとりぼっちの感覚が薄まることはないし、薄まったと思ったときには、視界に石油の膜が張り付いたような、別の寂しさに陥る。
 自分がひどく薄まっていく。

 でも、死の傍にいるとき、いつでも死ねるとき、僕は何ひとつ怖くない。