王国


ねえ 思い出して
私たちはかつては王国だった
心の中にはまだみんな
想像を超えた黄金の空を持っていて

時たま 何にも怖れないし 誰も疑わない
泉の中で息を吹き返す
そして 自分を王国の末裔だと知って
急に悲しくなったりもするんだ

君が空なら 僕は夕焼け
君が愛なら 僕は鏡
君が太陽なら 僕は水面に映る太陽を
空の雲へと反映させる 大気

僕たちは全ての歌を内に秘めている
同時に僕たちは一人一人が一音一音に過ぎない
誰もが空で 愛で 太陽で
そして同時に お互いの光を照り返す 鏡なのだから

だから 思い出して
君は全てを受け入れる宇宙であり
同時に宇宙に受け入れられる
ただのひとりの人間に過ぎないのだと

私たちはかつては王国だった
心の中では今だってみんな
奇跡のような 奇麗な光を持っていて
そして時たま 泉の中で目を覚ます

王国は今も ここにあることを
君の全てが 私の全てであり
今もまだ 全ては全てと 共にあることを
今にでも 君はまた 思い出すだろう と思うんだ

何にも怖れない 誰も疑わない 一番リアルな 泉の中で

今 この瞬間にでも



空は船のように過ぎていく。
街の甍も看板も、今はもう古びた歌に疲れてる。
君が本当に愛するとき、どんなに君が孤独でも、
君はひとりきりじゃない。何故なら人は、
それから山だって空だって街だって、愛されたいし、
いつも全てを愛しているのだから。

産まれ付きと言っていいくらい人を愛する君は、
本当にしばしば不審に思われがちだし、
君自身人からの不審をよくよく感じ、弱気になってしまうのに、
急に悄気た君を何故か人は鈍感だと言い、
情緒不安定だと言い、どういう訳だかあべこべになり、
君は余計に辛く、結局は泣くか喚くかしたりして、
いつしか君自身人を不審に思いがちだ。

けれども、あまりにひとりぼっちで誰も分かってくれなくても、
結局のところ、みんな君の産まれ付きの優しさを分かっていて、
君を訝しんでいる裏で、実は君に嫉妬している。

そして君に、どうにもならない奴だ、と言いながら、
その実、みな君が羨ましくて、それで怒るし、君を遠ざける。
社会不適合だとか病気だとか、人の気持ちの分からない奴だといろいろ言うけど、
君ほど上辺だけじゃない心に敏感な人はいなくて、皆それを分かっていて、
皆君を怖れるんだ。……そして君が死んだ後には、
ほっとしたり悪口を言いもするけど、それも薄々は罪悪感の裏返しで、
段々君が懐かしくなってくる。その内、君を褒めさえする。

手に取れる物や、目の前の壁にでも愛情を注げばいい。
全ては君を愛している。人はいろいろ歪んでいるけれど、
それは大抵、もともとあった優しさや、人への期待が歪んだものだ。
誰もが君の心じゃなくて、君のイメージばかり見ようとするけれど、
君はそんなことに悄気てはならない。……人に失望したとき、
君は幻滅と喪失感から抜けられないし、
いずれ君は人の言う、君のイメージ通りになってしまう。

理想やファンタジーは実現しない。
何故ならそれは既に実現しているものだからだ。
それを見ずに突き進む人たちに、君はきっと「君は変わらない」と揶揄されるけれど、
変わらずにいればいい。変わらずに、努力だけは怠らずにいればいい。
変わらずにいて、努力して、幸せを探してる人に、
幸せはここにあるんだ、と言い続ければいい。
誰かはきっと、立ち止まってくれるだろう。君は感謝さえされるだろう。
けれど君は、感謝なんか求めてはいない。

永遠の日々の優しさを、君は持っている。多くの人が忘れたものを、
君は忘れたくなくて、ずっと持ってる。
だから、空を見上げて。君が持ってる、全ての空を。
君だって、人に何かを与えられる訳じゃない。君は君自身でいるだけのこと。
褒められたって、貶されたって、尊敬されたって、無視されたって。
とにかく、君自身でいることだ。
そして君を不思議そうに見る人に、
君は手のひらいっぱいの優しさで、空をゆっくり確かに、示してあげて。

君自身を愛してあげて。絶え間なく与えられる優しさを忘れないでいて。
いつか全てが出会える嘘のない明るさの中で、
君もまた、嘘のない幸せの中にいて、笑っていて欲しいから。



夢、夢、夢……夢が現実なのか、現実が夢なのか、
僕には分からないけれど、何にも出来ない僕は、
ひとりなりに心を込めて生きているとは思う。

僕はまあ、何かと幸せな人間なんだ。
人の不幸や苛立ちなんかに気付かなかったりする。
幸せでおめでたい、単純なやつだと思われれば、満足とも言えるんだ。

悲しいときもあるけど、それは大抵、つまりは、
多分僕には、共感力が無いからだ。自分勝手さを指摘されてばかりだけど、
人のことを本当に考えてるのになあ、と思うし、それもやっぱり嘘で、
僕は自己保身と自己満足と自己正当化で生きているかもしれない。

そう思うと、何が本当か分からない。分かっていても何も出来ない。
僕はそれでも、強くなろうとは思うんだ。何かと、しなければ、と思う。
一番嫌なのは、自分をコントロール出来ないところだ。
それで、自分をコントロール出来ない部分を、僕の本性に思われてる気もする。

よくよく考えてはいるんだ。暇も退屈も僕には無縁だ。けれど、
それで暇だったり、退屈だったりすることがよく分からないし、
考えては、おかしなおかしな方向に行きつつある自分を考える。

それでもまあ、僕は何かと満足した人間だ。
別に本当は、難儀な人間でもないし、不幸や苦しみとは、どちらかと言うと縁遠い。
縁遠いはずなのに、何故かそう言われて、妙な立ち位置に置かれている気がする。

すぐに死にたくなるよ。本当に。
けれどそれが人への恨みのためだとか「社会的なプレッシャー」だとは思われたくない。
誰かとはしゃいで走り回りたいことと、書けないから死にたいのは本当かもしれない。

一秒でもいいから、誰かと一緒にいたいと思うけど、
誰も振り向いてはくれない気がして、結局はいつも過剰に空虚になる。
人の感情の波長みたいなものを感じられない僕の責任だと思うと、
嫌になる。何故かもう、人生なんて壊れてしまえと思う。

それでもまあ、僕は幸せな人間だよ。
僕がときには、本当に心底幸せに生きていることを了承してくれたら、
それでいい気もする。それ故に、僕は自分の幸せに集中しようともする。

そう思うとまた、誰にも、寂しそうには見えない、と言われてがっかりする。
けれどもまあ、それもそれだ。
僕は、本当に本当に、強く生きていこうと思う。成長したいと思う。

けれども被害者意識なんて持ってないけど、その代わり駄々っ子にはなると思う。
冷たいと言われたり、優しいと言われたり、よく分からないな。
何にもやれないなりに、何かやってても、何もしてないのは本当だしな。

一言だけ言いたいのは、結局は、大事なのは優しさだってことだ。
僕が優しいかはともかく、君は自分と、他人と、世界の優しさに気付いて欲しい、
とか言うのも、真面目すぎて駄目かもしれないけど。

ともかく、こんな言い訳も自己弁護もやめよう。
僕だって本気で怒って、青ざめた狂人になることもある訳だし。
異常なくらい怠け者なのは事実だし。

強くなろうと思う。本当に。
うまくはやれないかもしれないけど、死にたくはない。
強くなって強くなって、本気で弱く弱く生きていこうと思うよ。

焦らずに、しょんぼりせずに、
力を付けたいし、人格を高めたいし、
それでいて、人の為に簡単に死ねる人間でありたいと思う。

努力していこうと思うんだ。