とても疲れている

 何も捨てなくていい。この身体はただの機械。

 表面的な能力をいくら上げたって仕方が無い。でもまた同時に、物事には表面しか無いというのも面白いことだ。僕はとても上手に作られた、機械の身体に住んでいる。
 僕は画家で言うならバスキア、写真家ならライアン・マッギンリー、ミュージシャンで言うなら、トム・ウェイツみたいなスタンスで生きたい。
 神経質になってくると、ミニマリストみたいになりたくなるんだけど、でも、こんなに情報の多い時代に、たくさんの情報を浴びないなんて勿体ない。情報はカオスで、とても楽しい。

 産まれてこなかった方が良かったとは思わない。僕たちは電力を消費して生きていく。

 眠るととても疲れる夢を見る。最近はブリアルかエイフェックス・ツインを聴いて、目を覚ますことが多い。それからたまにソニック・ユース、もしくはジェイムズ・ブレイク。シガー・ロスのときもある。彼らの音楽の特徴は、人間性よりもゴーストが蠢いている感じがするところだ。ブリアルの場合は、地下鉄を永遠に徘徊し続ける影のような幽霊。エイフェックス・ツインは、白い花の幽霊が、機械に乗り移ったかのよう。

 煙草を吸って、コーヒーに砂糖をたくさん入れて飲む。目が醒めてくると、心がすいっと澄んできて、死をとても懐かしく感じる。毎朝、今日死のうかなと思う。澄んでいるはずの心の底にはいつだって影がある。熟睡すれば影は大分沈むけれど、影の気配はいつも感じている。
 昨日の続きの、十年以上もお馴染みの不安が、早速お腹の辺りにどろどろと浮き上がってくる。空虚と嫌悪を感じる。世界をとても不自然に感じる。本を読んでも、勉強しようとテキストを広げても、ギターに触れても、何をどうしても、やりたくないことを無理にしている感じがする。
 回転木馬を逆向きに走っているような、疲れと目眩を感じる。どうすれば自然な流れに乗れるのか分からない。もしかしたら僕の中では、時間そのものが壊れているのかもしれない。時間の中にも心の中にも、僕を易々と運んでくれる馬はいないみたいだ。もともといないのか、僕が御者失格なのか。痛々しい道を、破れかけた靴で、当てもなく、ただ喉に引っかかったブロックみたいな義務感が息苦しいから、とにかく、歩けるだけは歩いてみる。長年ただ歩き通した。得たものは疲労困憊、多分絶望と呼んでもいいもの、頭の病気、てんかんに鬱。最後に本気で笑ったのって、何年前だろう?
 方位磁針も物差しも無い。僕には方向感覚も無い。ただ僕のデフォルト状態を取り戻すために、朝、薬を飲む。薬は夜中には似合わない。薬は朝に似合う。

 昼には、何も手に付かない自分が余計者にしか思えなくなる。余計者、そうだろう。僕に何が出来るって言うんだ? 暗さ、暗さ、暗さばかりがある。