目覚めていたい

12月15日(木)、
 何もかもの物音が、病的に感じるほど遠い。

 僕のシナプスは、考えているときや、読書をしているとき、あちこちに枝を伸ばしている。頭が熱くなって、脳に血が行き渡っているのを感じる。起きていて、目がちゃんと覚めている時間が好きだ。でも、この頃は怠くて、頭がぼんやりとして、脳内の細胞がぐずぐずと死んでいくような不安を感じながら、毛布にくるまってぐずぐずしてばかりいる。覚醒している時間が好きなはずなのに、起きても何にもいいことが無いと、思い込んでしまう。

僕は、もう少し、しゃんとしたい。

 

12月16日(金)、
 昨日、朝の六時前に起きたのに、夜は全然眠くならなくて、また朝が来てしまった。夜中の時間が好きすぎる。昼間は一気に怠さに襲われて、寒い寒いと言いながら、身体中の細胞が萎縮してしまったみたいに、塞ぎ込んでいる。もう駄目だ、もう生きていけないと、芸の無いことを繰り返し繰り返し、心の中で唱えながら。

 

12月17日(土)、
 今日はかなり寒い。人間たちがこの寒さの中できちんと食べて、行動しているのがすごい。他の動物みたいに冬眠するわけではなく、毛もろくに生えていないのに、原始時代から多くの冬を生き延びてきた。多分、大分未来になるまで、寒いものは寒いのだろう。宇宙コロニーの中はどうなのか分からないけれど。部屋を暖かくして、毛布にくるまりながら、文明の偉大さと、自分のひ弱さについて思いを馳せていた。

 冷たい夜の中を自動車が走っていく。毛布の中で寝てるのやら起きているのやら分からない意識の中にいると、妄想の方を現実だと思っていて、眠りと覚醒の境界が不分明だ。「なるほど、右を向いて眠ると、弓がとても上手に扱える」とか、本当に奇妙なことを、大真面目に考えていて、もう起きているのに、弓の練習が最優先事項だと、自分では殊勝な心がけをしているつもりでいる。
 毛布からもぞもぞ抜け出しても、当然しんとした、清澄な目覚めなんか訪れず、もう暗くなってしまったという絶望感と、焦りと、まだ夢から抜け出せない、どろりとした感触に身体が支配されている。
 トレーナーの上に穴だらけのダッフルコートを羽織って、ストーブで部屋が暖まるまでは、椅子の上で凍えている。寒さが現実感を呼び戻すけれど、毛布の中の麻薬のような温もりから比べると、まるで背骨まで、心の芯まで一気に凍えさせてしまうような、きりきりとした、乾いた冷たい空気に、起きたことを後悔していて、けれどそれ以上の、もっと早く起きなかったことの怠惰さを責められているような感覚に、自分をとても惨めに感じる。

 頭がぼーっとしているし、細胞も部屋の空気も、もちろん思考も分裂しているような気分が続く。読書をしても活字が遠くて、とても読んでいるとは言えない。言葉はぼんやりした靄に遮られて、形にならず、何も書けない。幸い薬は余っているので、いろいろなものが欠乏している脳に、ラミクタールやらジアゼパムやらを補給する。冷たい麦茶で、ぷちぷち手のひらに出した錠剤を、無感情に喉の奥に流し込む。椅子の上にも長く座っていられないので、十五分ほど二度寝する。そうするとやっと、思考の中心に火が付いてくる感じがして、毛布にも未練が無くなる。
 起きたら起きたで、すごく楽しいのに。半紙半生の気持ちでいる時間が長くて、「起きたってもう、どうしようも無いや」という呪いのような言葉に、簡単に同意してしまう。起きていて元気だと、少々寒くたって、もっと寒くなれと、ストイックな気持ちにさえなるし、生きることの苦しさや厳しささえ、僕には簡単に乗り越えられるイージーな障害だと感じられる。だって、引き籠もってて、駄目駄目な状況にある僕が、しゃきんと目覚めて、格好良くて頭の切れる人に変貌したら、みんなびっくりするだろうし、頭の病気も克服して、好奇心いっぱいの人間になることが出来たら、僕自身、相当自信が付くだろうと思うから。それも簡単なことだと思える時間もあって、それも毎日毎秒の努力次第なんだな、今この瞬間の積み重ねなんだと思うと、大分物事に集中できるようになってきた自分に、自己治癒の能力や、いい風の吹き回しに、感謝の気持ちでいっぱいになることさえある。もちろん、人に良く思われたり、自信が付くことだけが大事なのではないけれど。ときどきはそんな俗っぽい野心みたいなものが、目を覚ましてくれることもあるんだ。

 もう少し頑張ろうと思う。勉強して、もう少し外出して、人との交流も大事にして。ぼーっとした頭を叩き起こして、ぴかーんとした状態を保って。今は死のうとは思わない。それだけでも上々だ。実家の空気は確かに澱んでいて、大学にいて、独り暮らしをしていられた、昔の環境への恋慕を、未だにずるずると引き摺ってはいるけれど。今の環境を抜け出すためにも、僕は目覚めていなければと思う。

 怠惰も停滞も嫌だ。僕は生きたい。何にしろ死ぬとしても。僕は僕だ。何はどうあれ。僕は僕自身でいたい。僕だけは僕自身を忘れたくないし、見捨てたくない。