感慨も無く

12月1日(木)、
 誕生日だ。特に感慨は無いけれど、よく生きてきたものだと、不思議な感じはする。頭の調子も大分良くなってきた。もしかしたら、まだまだ生きるのかもしれない。分からないけど。生きていられる限りは、生きようかと思う。時間を大事にして。すぐに歳を取ってしまうことは、もう十分に分かったと思うから。

 死はいつも僕のすぐ傍にいるのに、生の存在感に圧倒されて、生きてるなんて当たり前だと思いがちだ。歳を取るたびに、僕は年老いていき、いつかは消える存在なのだと再認識する。死ぬ、って思っても、あの世の風景なんか思い浮かばない。思い出すのは、朝霧が立ちこめて、信号が点滅しているだだっ広いアスファルトの道だ。点滅する赤や青の信号が、霧に遮られて、ミルキーカラーに見える。その光は僕にとても親しげで、僕は「このまま進めば死ぬんだな」と思う。別に孤独でも寂しくもない。そんな、夢と日常の狭間のような風景。死と日常の境目なんて無く、死はいつも僕に近しい。

 11月下旬は、少し調子が悪かった。頭の表面がざわざわしていて、心の中にある静けさに、どうしても届かなかった。今日からの1年間は、すごく頑張ろうって思っていたのに、今朝はとても怠くて、アニメを見ていた。でも、概ね僕は回復していると思う。一年の抱負を考えるのは、少し先延ばしにしよう。12月中にしっかり調子を上げて、来年、2023年は、最高の年にしたいと思う。

 

12月2日(金)、
 時間を大事にしようと思うと、自分がどれだけの時間、ただ怠惰に過ごしているか気になって、ナーヴァスになる。僕の底には静けさがある。きしきし言うようになってきたキーボードを叩きながら、僕はその静けさの根源を探す。それは浅い水の流れのようで、声を立てない動物のようで、僕には無関心を装いつつ、でもいつもそこにある(いる)ものだ。
 時間に追われていては決して行けない場所がある。けれど、時間を有効に使わなければ、誰からも取り残されてしまいそうな気がする。

 静かな世界に行きたい。静かな言葉を残したい。いつか光に辿り着けるはず。自分が産まれてきた意味を知るはず。進むべき方向は、僕の感情が知っている。やっと、自分の好き嫌いくらいは明確に分かるようになってきた。生きている限りは、堕落せずに、自分を良くしていきたい。生きることに慣れて、適当に日々を消費していたくなんかない。