過ぎ去り、またやって来る時間

11月14日(月)、
 朝。少しだけ眠って、まだ暗い内に起きて、チャールズ・ミンガスをスピーカーで聴いている。LEDの電球色の中で、空気は砂糖水みたいにとろりとしている。六時半になって、鳥が鳴き始めた。部屋の中はジャズの音でいっぱいのはずなのに、ミンガスのベースソロの合間を縫って、雀らしき鳥や、カラスの鳴き声が、僕の耳に割り込んでくる。彼らの声は、鋭く、硬い。耳鳴りのようだ。
 空気はあらゆる音を受け容れる。一度鳴った音は、一度も鳴らなかった音とは決定的に違うのだから、それが消えるなんてあり得ないと思うのに、聞こえたと思った瞬間にはもう、その音は僕の世界からは永遠に消え去ってしまう。そのことを思うと、寂しいような、不安な気持ちになる。宇宙の全てが記録されたレコードなんて、本当にあるのだろうか? この世を稼働させてるCPUや、事象の地平線辺りに、今までに起こった何もかもが残っているのだろうか? そうだといいという気持ちと、無くなったものはきちんと無くなって欲しいという気持ちがある。美しい感情や感覚が残っていて欲しい。今までこの地上に生きていたはずの1000億人の人々の全部の気持ちが、きちんと残っていたなら。……なのに何故こんな、嫌なことばかり思い出すのだろう。
 ……チャールズ・ミンガスの六十年前のライヴ音源を聴いている。最高の瞬間の、最適な録音。僕の最大移動距離は、音楽の中にある。もし飛行機で海外に行くようになっても、原子力潜水艦に乗って深海に行けたとしても、相変わらず僕の最大の距離や深度は、音楽の中にあり続けると思う。それは地図では測れない、特別な距離だから。心の中で正確な感覚を伴う、遠くて近い距離。その不思議な遠さは、もちろん本の中にもある。

 今はAIがものすごく進化していて、たまにYouTubeでAIが作画したイラストを見るのだけど、人間だと数時間は掛かりそうな精密な風景描写や、リアルなキャラクターの作画が、ものの数秒で出来てしまう。古い絵ならともかく、今から絵やイラストを描く場合、AIを全く使わずに、人の力だけで描いていることは、実質証明不可能なのだそうだ(AIが描いた絵を記憶しておいて、手で描くことも出来るから)。個人的には、綺麗なイラストがたくさん見られるなら、僕としては嬉しい。
 AIが自然な文章を書くのは、今のところは無理みたいだけれど、案外数年以内に、AIが詩や小説を作成する時代が来るかもしれない。面白いなら、人が書こうがコンピューターが書こうが、どちらでもいい。囲碁や将棋のプロが、AIとの対局から多くを学んでいるのだから、詩人や作家が、AIの書いた文章を研究し始めたって、全然おかしくないと思う。ロボットなら、100万冊の本だって、一瞬で読んでしまうだろう。
 100万冊から学んだロボットは、無限の文字の混ざり合った言葉の海を内面に持っていて、そこから一瞬にして、透き通った宝石のように結晶化した言葉を、ざくざく掬い取ることなんて、訳なく出来てしまうのではないかと思う。人間がインプットできる言葉なんて、高が知れてる。(90年間、毎日3冊読んだとして、98618冊しか読めない。)

 AIとは多分いい友達になれそう。何にしても、僕は僕の「好き」に忠実に生きていくだけのこと。

 大分精神状態が安定してきたと思う。まだ完全に楽しくはないけれど、生きていることを肯定的に考えられるようにはなってきた。出来れば生きていきたい。死んでも悔いは無いけど。未来を見てみたいな。