メモ(憂鬱)

鬱状態は特に朝がひどい。毎朝、起きたってどうせ、空虚で不安で、それでいて重苦しい、ぶよぶよになってしまった風船みたいに惨めな一日が待っているだけだと思う。死にたい気持ちがあって、でも死ねるほどの衝動は無い。だから、本当にしばしば、僕は朝、起き上がらずに寝逃げする。眠れなければ睡眠薬を飲んででも。でも、昼と夜は、比較的ましだ。一日中暗い気分で、焦燥感ばかりの日もかなり多いけれど、この頃は大体三日に一日くらいは、まあまあ元気な日がある。読書も勉強も、ほんの少しずつだけど、また出来るようにはなってきた。それに何の意味があるのか分からない日も、とても多いとは言え。

苦しみはある。間違いなくあって、僕は何ゆえの苦しみにか、いつも参っている。今は夜で、秋の虫が鳴いているのか微かに聞こえる。何故あんなにも遠い声で鳴くのだろう? 僕は苦しみから逃れようと、僕なりに努力してきた。でも毎日、特に朝には、もう駄目なんじゃないか、と思う。今の僕は半分も生きていない。

雨は降っていない。ここにあるのは空気清浄機の音。キーを打つ音。スピーカーから流れてくるエイフェックス・ツイン。それだけだ。……そう書いていたら、たまたま、雨が降ってきた。

薬はある意味では確かに効いていて、おそらく医者の言う通りに薬を飲んでいれば、自殺の可能性は大幅に減ると思う。訳の分からない感情や衝動性が、かなり抑えられるから。でも薬は、脳の働きを抑えはするけれど、活性化は多分させない。良くも悪くも激しい感情が、フラットになると思う。確かに僕は、14歳のとき、自殺願望が強過ぎて、一秒だって、もう生きられないような気分が続いていたので、病院に、本当に強く、助けを求めていた。本当に、文字通りの意味で、病院に駆け込んだら、初診の方は予約がどうの、と言われたので、今まさに死にたくて堪らない僕と、ぼんやり待合室に座っている、退屈そうな患者たちを見て、完全に頭に来てしまって、ナースステーションでひとしきり喚いて(「急患を救えない病院なんて病院じゃない!」とか)、それから初診でもすぐに診察してくれる、という病院を見付けて、しばらくの間、そこに通った。薬を本当に大量に出された。僕はちょっといかれてたので、ほとんど遊ぶ為に薬を使っていたけれど。ともかく遊ぶにしろ何にしろ、薬で死にたさを抑えることが、ある程度出来たので、僕は生き長らえることが出来た、と今でも思っている。いつもすぐに死ぬ気でいたけれど。

(生活が、僕にとっては脅威だ。多分、ひとりでいられるなら、薬抜きで、誰よりも健康にいられる。本当に病気の人は、とても少ないのではないかと思う。単に自分の個性と、生活とが合わないのを、薬で無理に合わせていることが多い気がする。)

僕に出されている薬は、全て、脳の働きを抑制させるタイプの薬だ。昔は元気になるタイプの薬も出されていたけれど、躁鬱と診断されてからは、躁転の危険性があるということで、ひたすら感情と感覚を鈍磨させる薬しか処方されていない。一時的にはそれでもいいと思う。今すぐ死ななければならないような自殺衝動はきつい。でもずっと自分の感情や感覚を感じられずにいたら、自分がもうまるで死んでいるようにしか思えない。