0の感情

ギターを弾いていれば一日が終わる。明日はきっと今日より悪くなる。
或いは一日中音楽を聴いている。さまざまなアレンジ。針金のような、薔薇のような、シンプルな家具のような。天井のような。未来のような。

量子と煙草の匂い。

感情の空白地帯。何も感じないことは悪いことだろうか? 僕は感じないことに耐えられない。ロバート・フリップのように、寸分の間違いもない、シンセサイザーのようなギターを何時間も弾いていたい。僕は感情に憧れている。痛みにも憧れている。人間的であることに憧れている。音楽が感じられないとき、僕の命に意味は無い。感情が欲しい。自然な感情がどこから湧いてくるのか分からない。

人間は遊ぶ動物だ、と言われる。いったい何処に向かって遊ぶのだろう? 聴いても聴いてもまだ続くような長い曲を聴いていたい。読んでも読んでも、書いても書いても、まだまだ続くような言葉が欲しい。

人は時折ひどい言葉を応酬し合う。言葉は、文学だけに使いたい。言葉自体を楽しみたい。感情と快感を言葉に込めたい。

Burialの『Untrue』に浸っていると、一曲一曲が幸せで、それが15曲もあるのだから奇跡みたいだ。そういうアルバムは滅多にあるものじゃない。61分30秒の、幽霊の棲まう天国。快感は1台のラップトップでも作れるし、4人のバンドでだって作れる。麻薬を含む音楽が製造できる。ストイックな音楽も好き。タイトな音楽。痛い音楽も好き。右脳で聴く音楽。左脳で聴く音楽……。

音楽は僕に命をくれる。死んでいて、そして自分を殺し尽くしたい感情から、僕を掬い上げてくれる。