0の為の感情

ギターを弾いていれば一日が終わる。明日はきっと今日より悪くなる。明日を僕は祝福する。
或いは一日中音楽を聴いている。さまざまなアレンジ。針金のような、薔薇のような、シンプルな家具のような。未来のような。
憧憬。電極の飛び出したサナギ。未来にプラグインされていく、流されていく。リチウムと睡眠薬の海の中。色のない海。色のない花。静かな静かな花の中。

北極圏のヴァーチャルリアリティ。椅子。人形の家。
量子と煙草の匂い。

僕は音楽と共に雲を突き破って、大気圏よりもさらに奥、空の向こうに吸い込まれていく。身体を持つものの悲しみを拭い去って。

感情の空白地帯。何も感じないことは悪いことだろうか? ロバート・フリップのように、寸分の間違いもない、シンセのようなギターを何時間も弾いていたい。僕は感情に憧れている。痛みにも憧れている。人間的であることに憧れている。いろんなものから感情を吸収する。特に音楽から。でも時々音楽が錯乱した音の羅列にしか感じられない。音楽が感じられないとき、僕の命に意味は無い。感情が欲しい。自然な感情がどこから湧いてくるのか分からない。

人間は遊ぶ動物だ、と言われる。いったい何処に向かって遊ぶのだろう? 聴いても聴いてもまだ続くような長い曲を聴いていたい。読んでも読んでも、書いても書いても、まだまだ続くような言葉が欲しい。

人が何を言ったとか、人が何をしたとか、そんなことばかり。ひとつの、何文字かの単語の使い方の違いで、批判されたり、賞賛されたりする。たったひとつの言葉が自分の意見となり、他人の意見となる。心と言葉は、そんなにもシンクロしているものだろうか?

他人の言葉を批判する為の言葉には、もううんざりだ。君は何を言ったとか、僕はそんなことを言ってない、そういう意味で言ったんじゃない、とか。喧嘩なんてほとんどは言葉だし、人は時折ひどい言葉を応酬し合う。言葉は、文学だけに使いたい。言葉自体を楽しみたい。感情と快感を言葉に込めたい。

Burialの『Untrue』に浸っていると、一曲一曲が幸せで、それが15曲もあるのだから奇跡みたいだ。そういうアルバムは滅多にあるものじゃない。61分30秒の、幽霊の棲まう天国。快感は1台のラップトップでも作れるし、4人のバンドでだって作れる。麻薬を含んだ音楽が製造できる。でもストイックな音楽も好き。タイトな音楽。痛い音楽も好き。右脳(イメージや感覚)で聴く音楽。左脳で(言語的に)聴く音楽。どちらにしても感情の伴奏が不可欠で、最終的に音楽を聴くのは、僕の心と身体でしかない。脳だけで聴く音楽はくだらない。それはもはや音楽ではない。ただの死んだ、命のない情報の羅列に過ぎない。

一日一日を濡らして歩いて行く。乾いた日々を。カラフルにモノクロに塗りつぶしながら歩いている。泳いでいく。日々の、時間を。泳いでいく。どこまでも、泳いでいく。永遠の日々、永遠の一日を。時間を。時間を。時間を。

音楽は僕に命をくれる。死んでいて、そして自分を殺し尽くしたい感情から、僕を掬い上げてくれる。