夜中のメモ

犬が鳴いている。何か不審なことを感じたのか、それとも嫌な虫でもいたのか。こんなに近くに、僕と犬と住んでいて、ふたり全然別の生活を営んでいるのは妙なことだ。しかも、僕は犬の存在を知っているけれど、犬の方は僕の存在を多分知らない。僕が起きていることも。お互い、本当に隔絶された世界に住んでいる。僕は不安なので、犬の声も不安に聞こえるけれど、この同じ夜を起きている人は近所にもいて、その人はすごく気楽かもしれないし、誰かと一緒にいて楽しく喋っているのかも。犬の声だって不安げじゃなくて、平和な音色に聞こえてさえいるのかも。

ヘッドホンを付けてネットの画面を眺めていると、世界はひとつに繋がっているように感じるのに、ヘッドホンを外すと容赦なく外界が僕の部屋に侵入してくる。カーテンを少しだけ開けて空を見る。月は無くて、窓ガラスに常夜灯がぼんやりと映っている。窓を開ける。鳥も飛んでいないし、多分虫も飛んでいない。飛行機もヘリコプターも何にも飛んでいない。夕暮れのオレンジ色に浄化されたまま、空に何かが飛んでいたのは、もうずっと昔のことで、何もかもがもうそのことを忘れているみたいだ。宇宙の果てまで空は深くて、果てしなくて、そして孤独なはずなのに、僕にはやっぱりとても平坦で、とても安っぽくさえ見える。

ゲームをするのはとても簡単なことだ。現実には多くの人たちがいて、言葉というボールを複雑に投げ合っている。投げ返したボールは無視され、僕の後頭部にいきなり直球がぶち当たったりする。でも、サッカーや野球という、約束のきちんとしたゲームでは、グラウンドは限定されていて、ボールはひとつしかない。芝生は美しく、空は澄み渡り、観客たちはたったひとつのボールの行方に息を呑んでいる。もし人生がそれくらい単純なら、僕は死にたいなんて思う暇もなく、ひとつのボールの扱いにあくまで卓越することだけを目指して生きられるだろう。正しくパスすればきちんと受け取ってもらえるし、言葉というボールにいろいろな感情を託したりせず、ただ単純に美しいカーブを投げることに専念する。それが綺麗にミットに突き刺さった瞬間、僕はきっと全てが伝わった、と感じるだろう。

カーテンは夜を遮断しているはずなのに、……不安が侵入してくるんじゃない、僕が、僕の速くてぎこちない心拍が、世界全体を不安の色に染めているだけ、って知ってる。電車の音が聞こえる。高速道路を走る車の音が、真っ直ぐと、僕にだけ夜の静かなメッセージを送ってくるように、暗く、明瞭に聞こえる。それは僕を少しだけ安心させる音だ。心臓の、蹴躓くようなリズムは、夜の時間の経過をばらばらにしてしまう。呼吸もまるで干上がっているみたいだ。心臓が煙草の灰で硬化したみたいに、満足に息も吸えない。何が怖いのだろう? この部屋を完璧に自分の好きなものだけで満たしてしまえば、部屋にいる限り怖いものなんて何も無くなる気がする。僕の大好きな真夜中が戻ってくる気がする。それとも僕の細胞を総入れ替えでもしない限り、内面の不安は消えたりしないのだろうか? 長年の不安は、僕の脳細胞に染み付いている。その不安はそれ自体が自分の不安をよく知ってでもいるように、不安な信号を僕の身体全体に流し続けていて、こうやってキーを叩いている僕の指は、関節がのびのびとはしていなくて、固く、少しだけ震えている。ヘッドホンの中の音楽をドアーズに替える。

未来に行きたい。ディスプレイの斜め前に掛かったカレンダーは日々を吸収していく。ものすごい速さで、現在は過去へと過ぎ去っていく。過去を腐らせるまで大事にして、それを掘り返しては腐臭に苦しむような習慣をやめてしまいたい。腐ったなら腐葉土にして、僕の心の栄養にしたい。桜の花が散って、散った花びらがまた来年の花を咲かせるための栄養になるみたいに。

早朝。街は眠っている。両親も眠っている。地球は回り続けて、その上に何十億人の人々を乗せているかは知らないけれど、まるで僕だけが起きているような気がする。孤独な人たち。お互いに繋がることのない世界中の孤独な人たち。彼らの存在は、僕の孤独を深める。ある人は麻薬をやり、ある人は咄嗟に枕元の銃で自殺するだろう。僕には麻薬も銃も無い。だから起き上がって書いているしかない。限られた量の安定剤と風邪薬と睡眠薬をざらざらと飲み下す。壁には様々な模様があって、それらは壁という平坦な一枚のネットワークの中で、今も、多分これからもずっと、眠り続けている、僕が分裂病にでもならない限りは。僕の心も、真っ白で凹凸の少ない、一枚の布のようであればいいと思う。いろんな概念や脅威はあっても、みんな僕を脅かさず、あくまでフラットで、結局は何もかもが一枚の布に過ぎないのならいい。

壁。そこには拡がりがある。壁は何も思わない。ゼロ。なのに僕はそこに毎日の感情を投影する。あらゆる不安の理由が、不透明に、そこに書き込まれているみたいに。ずっと見ている。見ている内に、壁なんて何なのか分からなくなってくる。音楽を聴いていると特にそう。あらゆるものが僕の神経のパルスで出来ているみたいだ。この部屋は僕の憂鬱によって憂鬱に変性しているみたいだ。けれど、急に全てが光に溶け合うこともある。何がどうあっても、今までやこれからがどんなに辛いものであろうと、この瞬間を幸せに過ごすことは出来る。その瞬間に何の意味も無く、それがすぐに過ぎ去っていく時間でしかないとしても。

音楽に身を任せていると、何もかもが踊り出したいのを我慢しているみたいに見える。全てがうずうずしていて、喜びの側面だけを、僕に提示し始める。

夢見ることが出来るのは自分の心だけ。例え僕が僕のことを忘れてしまっても、僕の身体は僕の全てを覚えているのかもしれない。

壁を形容することが出来ない。それはあまりに壁でしかないようにしか見えないからだ。僕が絶望しているときも、歓喜に満ちているときも、それはいつも壁として沈黙している。あるいはその声は聞こえない。

窓を細く開ける。そこから「リアル」が浸入してこないよう。

音楽が宇宙の隅々にまで拡がっていく。私は寂しいままで、この場で、この瞬間に死ぬのだろうか? ……このまま死ぬのだろうか?