日記

4月6日(水)、
完璧な僕になりたい。僕以上でも僕以下でもない僕に。僕自身でいたい。他の人と比べて、優れた人間になりたいという訳じゃなく。しかし、仮に今までに優れた人がいたとするならば、その人たちは、単に他の人より能力が高かったのではなく、ただあくまで自分自身であることに拘り続けた人たちなのだと思う。生きている僕の、今の時間の感覚を忘れないこと。けれど身に付けた自己からは、距離を置くこと。そこから注意を逸らすこと。でも、何の拘りも無いフラットな自分は、何があっても手放さないこと。

先月はウォッカを4杯飲んだ以外、アルコールは摂らなかったし、今月は全然飲んでいない。ナチュラル・ハイっぽい感じになることが増えて、自殺願望にはたまにしか陥らなくなった。
昔より脳の機能がかなり落ちていると思う。書くことや読書に集中できる時間は短いし、まだ、もやもやとした不安が完全に消えることはまだ無い。

 

4月7日(木)、
日付が替わって1時間ほど、不安で堪らなくなる。人のことを悪く思っても、全然いいことなんて無いから、最近は嫌なことを言われても、すぐ忘れるようにしているけれど、それにしても両親が何故、特に悪いことなんて何も無いような生活の中で、延々ぶつぶつ文句を言ったり、いがみ合ったりすることに時間を費やすことが出来るのか、まったくの謎だ。

不安は3時間ほど続いた。夜に寝て朝に起きるようにしようと思っていたのに、徹夜してしまった。

 

4月8日(金)、
身体なんて、乗り物に過ぎないのだから。

あまり眠らず、あまり食べない生活に慣れてきたかもしれない。一昨日の朝から二晩眠っていない。昼寝もしない。でも、怠くもない。三日前から一昨日の朝にかけてもあまり眠っていなかったと思う。食べたのは主にカップ麺とポテチと栄養剤。躁状態っぽくはなくて、気分はまったりしてる。音楽が毎日さらに楽しくなってきてる。

ゆるゆる。ゆるゆると溶けていく。

身体は、楽器に過ぎないのだから。

ローリングストーンズのドキュメンタリー映画を見る。スタジオ内のぴりぴりした空気をとても怖く感じた。こんなにも殺伐とした空気の中から『悪魔を憐れむ歌』が誕生したのは、驚くべきことだ。ミック・ジャガーには最初から、完成した音楽のイメージがあるみたいで、周りのミュージシャンがイメージ通りの音を出してくれないのに、始終苛ついているみたいだった。キース・リチャーズはそんな中でも、全然動じずに、ひたすら寡黙にギターとベースを弾き続けていて、彼のリフが全体の流れを作り、それに合わせて音楽が段々形を取っていく、という感じがした。スタジオ内は地上で、社会で、実力主義で、元リーダーだったはずのブライアン・ジョーンズは、殆ど曲作りの仲間にされず、端っこの方で独りぼっちでアコースティックギターを弾いていて、その音もおそらくマイクには入っていなくて、ほんのときどき、メンバーの間に出てきて、何か冗談を言ってひとりで少し笑っては、また端っこに戻る、という感じで、ほぼ無視されていた。スタジオ内は、僕には立ち入ることの出来ない、窮屈で残酷な社会の縮図のようだと強く感じたのに、そこで作られた音楽には、そんな空気は微塵も感じず、その音はファンタスティックで、想像力に満ちていて、僕を軽々と受け入れ、僕をどこか遠くへ運んでくれる。音楽はまるで天上の世界なんだ。この差異は何なのだろう? 多分、多くのミュージシャンは、音楽が純粋に好きだけれど、ショウ・ビジネスの世知辛さや、プレッシャーに押し潰されて、長くは音楽業界に留まることが出来ない。単純な音楽好きとしての純粋さや、夢見る心は、キース・リチャーズによって保たれていて、ミック・ジャガーは現実や社会の厳しさを重々承知していて、レーベルの期待に応えることや、売り上げのことも意識しながらも、そのことで精神を病んだりせず、音楽への愛情や理想や完璧主義を微塵も失うことのない、絶対に折れない、まさにボスという感じがした。そして今の今まで、厳しいCEOみたいな態度を崩さなかった彼が、歌い始めた途端にエモーションの奔流みたいになって、僕の親しい、音楽の世界のミック・ジャガーに変貌する。舞台裏なんて関係なく、音楽はとても自由だ。……そういう訳で今日はローリングストーンズのアルバムを何枚か聴いていた。アルバム内の音楽の世界には、やっぱり泣きたくなるくらいぞくぞくする。ミュージシャンの心や世界観は、そして多分人生も、彼らの私生活や制作風景ではなく、アルバムの中にあると思う。何時間か音楽を聴いていると、制作風景を遠い世界みたいに感じる。音楽が出来るまでの過程がどんなに厳しいものであっても、音楽は不安も現実社会の辛さも帳消しにしてくれる。
僕の心の底の底に触れることが出来るかもしれない。不安や鬱に塗れた世界が裏返って、この世界の中心へ、世界の果てへ、触れることが出来るかもしれない。

 

4月9日(土)、
今日は不安が長引いた。ザ・バンドジャコ・パストリアスドキュメンタリー映画を見た。どちらも辛い内容だった。世界的な名声を手に入れた彼らは、その直後からドラッグや金銭問題や人間不信などに蝕まれて、急速に転落していく。彼らの場合は、生活の破綻が、そのまま音楽活動の停滞に繋がってしまった。逃げ場も何も無い。何がどうあっても、ヘロイン漬けだろうが、妄想に取り憑かれようが、音楽だけは相変わらず純粋に好きであり続けたミュージシャンを思うと、救われる気分になるけれど、音楽への興味さえも失ってしまったミュージシャンは、一体何を拠り所にして生きていけばいいのだろう? しかも、彼らはもう、音楽以外の生き方を知らない。音楽が全てを満たしてくれたいつかの記憶に縋り続け、再び音楽に光を感じる瞬間を、絶望的に何年も、何十年も待ち続けていて、そしてそのまま死んでしまった、という感じがする。何の救いもない。

僕は昔、言葉と音楽が何より好きだった。でも本格的に鬱になってから、音楽にも本にも、不安と空虚しか感じなくなり、狭い狭い世界で、一瞬だって心が安らぐ時間を得られなかった。けれど、僕はもちろん名声なんかとは無縁だから、自分の回復に専念することが出来た。少しずつ少しずつ、僕は僕を取り戻してきた。ようやく本と音楽、そして書くことの喜びを、まだ完全にではないけれど、感じられるようになってきた。現実や現在や、カラフルなものがまた好きになってきた。安らぎや世界の拡がりや快感を、再び感じられるようにさえなってきた。

鬱状態のまま死ぬのは嫌だ。……光が欲しい。