メモ

赤ん坊のときには感情なんて無くて、あったとしても、「自分の」感情は無かったと思う。僕が覚えているのは、産まれて100日目の頃。キャスター付きの、テーブルが付いた椅子に座って、とても満足だった。

自分の感情を発見したのは、4歳のとき。山間に建った祖父母の家に行くのに、車に乗っていて、木々が流れ去るのを見ながら、ぼーっとしている僕の意識の中に、不意に「あっ!、頭の中で考えられるじゃん!」という、自分の意識が発生して、すごく、すごく驚いた。その、驚きの延長線上に、僕は生きている。それまでは哲学的ゾンビと変わり無かった。動いてて、反応してただけ。僕は、それから考えるのに夢中になった。言葉が足りないので、言葉以外でも、たくさん考えた。だから僕は「言葉が無くては考えられない」というのは嘘だと思う。

絵が好きじゃなかった。外の世界は基本的に馬鹿馬鹿しくて、内面が僕の王国だった。今も、それは変わらない。

僕が音楽と文学に拘るのは、人の痛みが好きだからだと思う。人の中で、当たり前の人として生きたい。何故ならそれは、存在していることよりもずっと奇跡だから。

僕は10歳の頃、作家になりたくて、あとは音楽の仕事が出来ればと考えていた。いつも音楽の世界を旅していたから。子供時代を後悔していない。自分に戻りたい。すとんとした自然な自分に。

いろいろあった。20年間、13歳の頃から病院に行っていて、僕は僕を構築し直そうと、いろいろ努力した。

ニック・ドレイクが好きだ。ニックの存在は僕から引き剥がせない。ニックは生きていて、それは僕が生きているからだ。中也の詩もそう。最初から好きだった。それに加えて、頑張って古典を読んだりとか、クラシックを聴いたりとか、いろいろした。日常生活に於いて、譲歩したり、嫌いだと思う人を好きになろうとしたり、価値観そのものを少しずつ、多分数え切れないほど、変えようと努力してきた、と思う。それで変われただろうか? 優しくなれただろうか? 新しい満足を覚えただろうか? 考えられもしなかった自分になれただろうか? それとも狡くなっただけだろうか? 生き辛くなっただけなんじゃないだろうか?

……僕は僕に強いられてきたものばかりで生きている。本当に好きなものについて書きたい。僕にとって感情って、面白いか、面白くないかくらいしか無かった。暗い20年間を過ごしたからって、それが何だろう? 一日中自己嫌悪するより、ギターの一音を日がな一日弾いてた方がいい。壁の染みでも見ていた方がいい。

全ては消えていく。この宇宙が終わるとか、終わらないとか、人類は、滅亡するとか、でもそれはまだまだ先だとか、もしかしたら永遠を手に入れるかもとか、そういうことが、とても重大なことのように議論されている。この世界はシミュレーションかもしれないし、魔法の世界が、あるかもしれない。でも、今ここにいる僕には、どうだっていいことだ。Gibsonのギターは、アメリカの職人さんが、精魂込めて作っているってことを、映像で見た。これからまた、見習いの職人さんもいっぱしになり、モンタナ州の工場で最高のギターを作って行くのだろうと思う。

未来も、過去も、何も要らない。煙草とウォークマンがあればいいや。その言葉だけが現実。(その言葉だけ現実。)世界の全てと繋がりたいなら、過去に拘っては駄目。未来を気にしても駄目。ただ、今だけがあることを信じること。

昔のことを気にしないって難しい。後悔しないって難しい。

ファンダジーみたいな気分で生きるのがいいと思う。

ああ、何も無くていいんだ。時間は過ぎていく。静かな徒労のように。ピアノの演奏を白いスピーカーで聴いている内に、時間はゆっくりと流れていく。奇跡のように。

白々しい、正義を吸い込んで、吐く。

一体、僕が生きていること以上に重要なことが、僕にとってあるだろうか?

本の緑の表紙が見える。

端から…遠くから見ていると宇宙はなまめかしい。

快晴。生活を口に含む。

衛星通信の中。僕は誰にだってなれる。

絶望には陥りやすい。栄養を補給して、この身体を生かす。消耗していく。ヘッドホンは震えて、心と身体を満たす。スピーカーは空間をキャンバスのように彩る。

僕はその内消える。この意識は多分、永遠に消えて無くなる。宇宙は百何十億年も昔からあるらしくて、この先も多分、永遠に近いくらい長く続くのだろう。何故、僕は僕なのだろう?。

この意識は僕を守ろうとする。僕の損得について考える。そして僕の言動の責任は僕が取らなければならない。僕が僕である以上。

どうして僕が僕なのかは分からない。でも、僕は決して自分を見捨てたりしない。自然な自分であること。自分を飾り立てた意識で防衛しないこと。

僕の存在に必然性があるとすれば、それは僕自身が見付けなくてはならない。