日記

2022年1月1日(土)、
まっさらな一年だ。手付かずの一年があるって、何て嬉しいことなんだろう。生きていることが、何やら分からないふわふわしたものじゃなくなってきた。生きることは、とてもざらざらしている。言葉も、音楽も、生きている現実は、とてもざらざらしている。僕にとってそれはモノクロで、そして赤い。

去年は特別なことは何もしなかったけれど、精神的には大きく変化したと思う。特に11月にはかなり回復して、久しぶりに元気な自分を体験出来た。その後はしばらく落ち込んでいたけれど、毎日何かしら考えがいい方向に進んでいって、自分の中でばらばらだった考えや感情が、かなり統合されたと思う。鬱だって、決して悪いものじゃない。

新年、初めて聴いたアルバムはルー・リードの『トランスフォーマー』。年の初めに聴くのには、とても打ってつけの音楽。それからマニュエル・ゲッツィングの『E2-E4』を聴く。僕が知る音楽の中では、一番精神的な音楽。

 

1月2日(日)、
昔、角砂糖のみで半年間くらい生活したことがあって、その間、心身共にすごく元気だった。……僕も母も、雑穀米が好きなのだけれど、父は白米じゃないといけないと言う。母は、炊飯器がもう一つ欲しい、とよく言っていて、僕も同感だ。それで玄米とか雑穀米を炊いて、それで、それこそ味噌だけをおかずにして食べるのが一番いいかもしれない。本当にその内、炊飯器を手に入れたい。

 

1月3日(月)、
また憂鬱で、何も手に付かなかった。でも、音楽を浴びていると気持ちいい。このところ、とてもしばしば、スピーカーで音楽を聴いている。ヘッドホンの中で音楽に浸るのも好きで、スピーカーと、ヘッドホンと、大体半々くらいで聴いている。スピーカーで音を浴びると、空間が塗り替えられるようで、気持ちいい時間を過ごせる。以前僕は、スピーカーで音楽を聴くのがとても好きだったことを思い出した。昔と同じスピーカーを半年前に買った。

長い間、ひとりきりの気持ちになれなかった。今、音楽に浸れるって、本当に、この世で生きていることの最大の幸福のひとつだと、やっと思い出してきた。

……それにしても、机に放ったり、カバンに雑に放り込んだりしても、びくともしないaudio-technicaのヘッドホンはすごい。ATH-M50xというヘッドホンを、僕は偏愛していて、音の解像度の高さはすごいと思うし、イヤーパッドとケーブルを少しいいのに換えてはいるけれど、音のきめ細やかさは、数あるヘッドホンの中でも最高のレベルだと勝手に思ってる。このヘッドホンに出会ったのは、もう12年も前で、一度ケーブルが断線して買い換えたけれど、買い換える際も、他の選択肢なんてまるで浮かばなかった。

12年間ずっとこのヘッドホンで聴いているので、ATH-M50xの音が、僕の中で基準音になっている。この先、他のヘッドホンを買うことはあっても、ATH-M50xは手放さないと思う。このヘッドホンは、もともとは音楽鑑賞用のヘッドホンではなく、スタジオなどで使われるものなので、あんまり心地よさは追求されてはいないと思う。観賞用に特化したヘッドホンの方が、ずっと気持ちいいかもしれない。でも、時々思うのだけど、音楽って、決して気持ち良さの為だけに聴く訳じゃないんだ。浸るより読み解くように聴いたり、音の向こうにある血の熱さを探るように聴いたり。左脳的に聴いているかもしれない。それに空間性より、音場の狭さが好きだったりするし、スタジオでミュージシャンが聴いている音に近いかもしれない、という期待もある。浸るより、受け止める、という感じが好きだ。

 

1月4日(火)、
……

 

1月5日(水)、
昨晩はビールと日本酒を飲んだので、久しぶりに結構ふらふらになった。深い沼の底で息を詰めているみたいに眠った。うまく起きられなくなって、もう1ヶ月くらい経つだろうか。ときどき僕には冬眠期が訪れるのだけど、去年は本当に多く眠った。起き上がれない。起きていた方が絶対に楽しいのに、目が覚めてすぐは、楽しいことなんて何にも無いような気がする。昨夜は、10時前に眠って、今日は午後3時前になってやっと起きた。17時間近くベッドの中で過ごしたことになる。朝早く目を覚ましていたのだけど、10時間くらいぐずぐずしていた。昨日考えていたことや、書いていたこと、やっと思い出してきた言葉の面白さなど、みんな忘れてしまって、起きてからも5時間くらいぼーっとしていた。ジェームズ・ブラウンのライヴ盤を聴いても楽しくなくて、何となく、モニク・アースの弾くドビュッシーピアノ曲を聴いていたら、少し頭の中が醒めてきた。

去年の年末まで、ピアノはあまり好きじゃなかった。でも、段々この、何がどうやって存在しているか分からない世界の中で、88個の鍵盤が、いじらしく可愛い、透明な規律のように思えてきて、ピアノのことを、メルヘンチックで美しい灯(ともしび)のような楽器だと思い始めた。

 

1月6日(木)、
……フォルテピアノは今のピアノに比べると、音が弱くて、あまり響かない。でも、何か懐かしい感じがして、聴いていると、学校時代の陽の差す中庭を思い出す。ひんやりとした渡り廊下や、風の吹かないぼんやりとした初夏の午後。そんな思い出は、実際には存在しないけれど。

 

1月7日(金)、
真っ赤なアコースティックギターが欲しい。結構高いけれど、買えなくはない。来月辺りに買えたら、と思っている。YouTubeで見る限りでは、そのギターは響きがあまり良くないけれど、引っ掻くような響きがある。

……ギターを何本も、ときには何十本も集めてしまう人の気持ちが、少し分かる。ギターには、本当に一本一本、可愛い個性がある。

 

1月8日(土)、
人間。人間という形。人間は、弱い生き物。

先月は目が覚めなかったので見てなかった『無職転生』のラスト3話を見る。生きたい気持ちになる。

2ヶ月半、時々集中してギターを弾いたけれど、概ねギターをほったらかしていて、弦交換もすっかり忘れていた。この前まで使っていた弦は、ジミ・ヘンドリックスが使っていたのと同じ太さの弦で、レギュラー・ゲージとライト・ゲージとエクストラ・ライト・ゲージの太さの弦が混在しているセット(1、2弦はテンションが高いので、高音がしっかり出て、5、6弦は細いので、低音は柔らかい音がする)で、僕はこのバランスがとても好きだと思った。弦の太さによって、音の強さが変わる。高音部は弦が太いので、音がジャキッと出て、低音部は少し響きが控えめ、というのが、何ともいいと思った。GHSという会社の弦で、1セット600円と安いのに、今まで使った弦の中で、一番レスポンスが良くて、とてもぱりっとした音が出た。しかもいい音が長持ちする印象だ。新しく交換したのは、ずっと使っているR. Coccoの弦で、この弦はとても人気があるし、音もいいし、弾きやすいと思っていたけれど、音の性格の違いを除けば、GHSは同じくらい上等な弦だと思った。R. Coccoの弦は1セット820円で、少し高級な弦を使っている、という贅沢感も好きだったのだけど。弦によって、本当に音が変わる。GHSの弦は、胸にぐっと来る音がすると思った。

チャールズ・ミンガスが好きだ。僕はミンガスを、最高のベーシストだと思ってる。……ミンガスが何故好きなのか、とても説明しにくい。とても懐かしく、暖かい感じがする。ベース音に温度があるし、ミンガスが作った曲は、メロディや和音が複雑なのが多いと思うけれど、ベースが曲全体のパルスを心地よくキープしていると思う。少し荒々しさがあって、なのに同時に優しい音に纏め上げている。多分、技術的にはミンガスよりも上手い人はたくさんいると思うけれど、ベースの一音一音に、ミンガスほど個性と体温/心音を込められる人は、いないと思う。

夜、使っていなかった東プレのキーボードを父にあげた。少しばかり薄汚れていたけれど、アルコールで磨くと、新品同様にぴかぴかになった。とても喜んでくれたみたいなので、嬉しかった。

 

1月9日(日)、
夜中、好きなピアニストを見付ける。ヴィルヘルム・ケンプという人だ。これで、特に好きなピアニストは6人。グールド、ブレンデルミケランジェリリヒテルアンドラーシュ・シフ、そしてヴィルヘルム・ケンプ。あと、ドビュッシーの大半の曲を弾いてくれているモニク・アースと、モーツァルトピアノソナタ全集を弾いているイングリット・へブラーを合わせると、8人が今の僕のフェイバリット。

夜明け前、2ヶ月ぶりにウォッカを飲む。少し落ち込んでいると思う。

昼、酔いが醒めてくると、静かな気持ちになった。

 

1月10日(月)、
昨日は一日中ピアノの曲をスピーカーで聴いていた。

夜明け前、またウォッカをコップに半分飲む。アルコール中毒にはならないと思うのだけど、飲みたい日が続くと良くない。

 

1月11日(火)、
ヴィルヘルム・ケンプは嬉しいことにシューベルトピアノソナタを、全曲録音したアルバムを出していて、音もかなりいい。ケンプは、完成されたピアノソナタ14曲の他に、未完の曲も4曲録音しているので、とてもシューベルトが好きだったのだと思う。彼は、ピアノを幾つもの音色で歌わせることの出来るピアニストだと思う。そして、シューベルトは歌心に満ちた作曲家だと思う。シューベルトピアノソナタは、漫然と聴いていると、冗長に聞こえると思うのだけど、メロディを拾うように聴くと、ものすごく自由な心で、延々と、誰も聞いたことのないメロディを歌い続けているみたいに聞こえる。

 

1月12(水)、
音楽や本は、世界と、僕の存在を教えてくれる。でも鬱のときには、何も教えてくれない。僕の心は閉じていて、シュレーディンガーの猫みたいに、自分が仮想的に半分死んでいる気がする。魂が抜けていく気がする。自分の中の、暗い引力圏内に心が集束していき、ぎゅうぎゅうに押し込められた心と言葉が、僕の中で喘いでいる。酸素さえも毒に思えて、心は呼吸を止めてしまう。心臓が干し柿になった気分だ。血管は硬くなり、動悸がする。不安と緊張が続く。

夜明け前に、ウォッカをグラスに半分飲む。飲み干すと、一瞬気分が爽やかになる。でも、いつまでも続ける訳にはいかない。日記にウォッカを飲んだ日を記録してある。9月は9回飲んでいて、10月は26回飲んでいる。11月は、初めの週にはサイレースのスニッフをしていたけれど、それはすぐにやめて、ウォッカも、最初の方に6回飲んだだけで、それから僕は元気になったので、お酒は飲まなくなった。2ヶ月間、夕食時にビールを飲むだけだった。すごく元気な期間は1ヶ月続いたけれど、それからまた憂鬱が1ヶ月続いている。そろそろ元気になるといいんだけど。血圧は相変わらずとても高い。

……いい椅子を、今日初めて欲しいと思った。考えてみれば、僕は多くの時間を椅子に座って過ごしているのに、今まで椅子に拘ったことが一度も無いのが不思議だ。今の椅子には、おそらく24年間座っている。台所で使っていて、要らなくなった椅子を、何となくずっと使っていて、今ではもうクッション性が皆無だ。ほぼ生木の上に座っているのと変わらない。椅子に座ると疲れると思っていたけれど、もしかしたら椅子のせいかもしれない。せっかくなら、ちゃんとした椅子が欲しい。

昼、しかしいつまで生きられるのだろう、と思う。少し不穏な感覚に陥りかけたけど、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを聴いていると、穏やかな感覚が戻ってくる。昨日からヴェルヴェット・アンダーグラウンドの4枚目の、事実上のラストアルバム『Loaded』を何度も聴いている。一応5枚目もあるのだけど、ルー・リード脱退後のアルバムなので、普通オリジナル・アルバムには数えられない。

 

1月13日(木)、
……

 

1月14日(金)、
昨日は飲み過ぎた。日本酒はいくらでも飲めそうで、ぐいぐい飲んでいる内に何も考えられなくなる。酔っ払って真っ白になった頭で、ピンク・フロイドの''Echoes''を聴いてたら、別世界に飛んで行きそうで危なかった。60年代後半から70年代初頭の音楽のサイケデリック感が好きだ。常識的な世界、今日があって明日がある世界、を超えた、少し死の味がするような、何かがある。『2001年宇宙の旅』やピンク・フロイドのレコードは、LSDをやった若者に大人気だったそうだ。未来の危惧なんて少しも無くて、今だけが無限に拡がる世界。身体が溶け出して、床や壁や、キーボードやディスプレイと自分の境目が分からなくなる感覚。

午後2時、久しぶりに詩を書く。現在を人間として生きることって、嬉しいことだし、悲しいことだ。悟るより、人間としての痛みを知ることに興味がある。鬱が治ってきて思い出したのは、僕は書くのが好きだということ。電気ギターとアコースティックギターが好きな理由。思考よりフィジカルな感覚が好きなこと。知識や思考ではなく、感情だけが「あの場所」に連れて行ってくれること。時間を超えた場所に行きたければ、まず時間の流れを純粋に感じること。仮に「悟り」なんてものがあるならば、誰をも、何もかもを許せて、そして愛せなければ、多分、駄目だということ。

午後7時前。昨日から起きているので、とても眠い。精神的に、ちょっと危うい。