9月最後の日記

9月22日(水)、
……

 

9月23日(木)、
昨日からひどくぼんやりしている。

当たり前のことだけど、僕はここに独りでいる。誰かと話していても、言葉が自分の気持ちから逸れていることが多くて、仕方なく笑っている。人の好さは、多分僕にはあると思う。

例え何十億人の人に好かれようと、僕が独りであることに変わりはない。友達が1000人いようと、寂しさがその分減るわけじゃない。

 

9月24日(金)、
今は指が全く震えない。僕は2年くらい前までの6年間ほど、指の震えが止まらなくて、ギターを弾くどころか、パソコンのキーボードを叩くことさえままならなくて、ペンで字を書くときも、まるで利き手と反対の手で書いているみたいだった。本屋で本を立ち読みしていても、手が震えて字が読めず、本を取り落としそうになっていた。2年ほど前に、ひどい震えが収まってからも、長い間指を使ってなかったせいか、指先の感覚が少し遠くて、軽い震えは最近まで止まらなかった。ギターはほぼ一からやり直した感じだ。2年前は、普通のコードを弾くのでさえ、よたよたしていた。今は指の調子がいい。指が震えていたのは、おそらくリチウムの副作用がずっと続いていたのだと思うのだけど、鬱だったことも関係しているかもしれない。回復する、って有り難いことだ。

 

9月25日(土)、
自分を捨てるって難しい。捨てずに持ち運ぶには重過ぎる過去を生きてきた。僕は身軽になりたい。
今しか無いんだな、と思う。過去がどんなに辛くても、重くても。今、ギターアンプがじーっと鳴っている。今を生きろ、と言われたって、身体が勝手に怯え、疲れ、不安に縮こまるのを、僕はどうしようも出来ない。新しい人生を生きたい。もう長年鬱で不毛に、ただ息をして生きていただけとは言え、そしてその間に僕の心身はすっかり衰えてしまったとは言え、僕はまだ年寄りというには若い。

ううん、僕は空っぽになって死にたいのかもしれない。

僕は今テレキャスターを抱いていて、このテレキャスターがぼろぼろになるまでは生きたいなと思う。とてもよく出来たギターだ。しなやかさを感じる。

僕はやっぱり夜型だ。小学生の頃からずっとそう。昼間は怠くて不安で、外が明るいと落ち着いていられない。

 

9月26日(日)、
……(一日中ギターを弾いてた。)

 

9月27日(月)、
薬を飲むのをやめたい。頭を使うことでナチュラルにハイになりたい。定期的に薬が嫌だ、と書いている気がする。僕は自分では、明らかに精神の病気に罹っていた、と思うけれど、もう大分良くなってきた、とも思う。

大人になったからって何かを知れる訳じゃない。何か知った気になるだけだ。子供の時より、苦痛だけは存分に味わった。苦しみの他、何も知らずに、何もかも忘れて死ぬのかと思うと辛い。

何にも要らないな、と思う。僕は今、デスクの両脇に渓谷のように本を積み上げて、わざとらしいほどの入念さと怠惰さで、ゆっくりとそれらの本を消化している。渓谷は段々僕の精神を圧迫してきている気がする。

絶望するならするで、それでも生きていくことは、生きるに価する何かなのだ、と思うこともある。

 

9月28日(火)、
……

 

9月29日(水)、
今日も一日ギターを弾いていた。死んだら何も無くなるんだなあ、と思う。どんなに教養を身に付けても、死んだら何も残らない。死ぬ前にやりたいことをやって、死ぬ前に行きたい場所に一直線に行くしかない。衒学趣味もコレクション癖も不要だ。いつ死ぬか分からない。1秒生きられることだって僥倖なんだから。

それにしても。ああ。今、僕は生きている。何て不思議なことなんだろう!?

ギターを弾いたり、読書をしたりで、毎日は過ぎていく。明日は何処にも無いし、昨日もまた何処にも無い。

生きていて、退屈したことは一度も無い。それとも退屈をも感じないほどに不感症で怠惰なのだろうか? 生きることに全然意味なんて無い、と頭では思っているけれど、それでも、例えば読書に集中したり、書いたりしているとき、生きることには意味があると思えてならない。音楽を聴いているときもそうだ。最近、ギターをよく弾いていることも大きいかもしれない。……目を瞑ると何も見えないし、音は現れた刹那、消えてしまう。身体の感覚が無ければ、全ては無いのと同じ。死んだら、遠い遠い、きっと、生活的な意味での感情も感覚も無い、懐かしい何処かに帰っていくのだ、という感じがする。生きている間の時間を、とても儚く思う。……でも、ギターを弾いていると、生きることは、単に生きることを超えた何かであるような気がしてくる。

 

9月30日(木)、
僕には物質の世界が何なのか分からない。目を離している隙に、みんな消えてしまうかもしれない。

結局は、ゆっくりゆっくりと、焦らず、ひとつのことをやっていくしかない。人生で出来ることは、表面上、とても限られている。どんなに急いだって、本当に深められることはわずかだ。でも、出来ることはわずかで良くて、わずかなことに集中して、自分の奥底にある自分自身に出会えれば、それでいいんじゃないかと思う。それに、くだらない毎日なんてものは無い。例え自己嫌悪の毎日/毎秒だとしても、死の瞬間にでもいいから、自分の人生を受け入れられたら、それでいいと思う。

明日から10月だ。段々、静かな気持ちになれることが多くなってきた。本当に行きたい場所に行けるといいな。はっきりと目覚めたまま、全てが溶け合った世界に。自己の消滅のぎりぎりの場所に。……それはともかくとして、いい月になればいい。じっくり生きていけたらな。