無くしていきたいということ

9月20日(月)、
昨日、夜11時頃に眠り、今朝は1時に起きる。2時間眠った。昨日は多くの時間を寝て過ごしたので、睡眠時間は十分足りている。昨日はとても不安だったので、何日かの分の抗不安薬を飲んだけど、今日は大丈夫な気がする。起きて、今日一日が殆ど丸々残っている、ってとても嬉しい。

とてもとても神経質になって、不安な考えが消えないときがある。その内しなければならない面倒なことを考えると気が滅入る。もう全然時間なんて残されていないのに、と思う。

僕は時々、完璧に孤独だと感じる。それが時々じゃなくなるといいと思う。いつも孤独の中にいて、時々生活の温みの中に入りたい。

何故、僕は僕のこの意識なんだろう? この意識は多分、僕が産まれて、少し大きくなるまでは存在しなかった。そして何十年かこの意識があって、また消え失せるのだろう。

僕には地球の顛末は分からない。いつか全ては砂漠となって、いずれはその砂漠さえも無くなるのだろう。形あるものは形を失う。いずれ論理は破綻する。ふたつのものはふたつじゃなくなり、光は速さを失う。分子や原子も時間をかけて崩壊し、空間だけが残り、空間さえもいずれは無くなる。今と同じように。僕が思いでいっぱいになり、世界が思いでいっぱいになるとき、全てはその意味や形を失う。

無感情は無に辿り着けない。とびきりエモーショナルになって、何もかもを感じ過ぎるくらい感じること。何も感情が湧いてこず、何も感じないときは、無理矢理にでも何かを感じようと努力すること。ナツメグを舐めて味わったりとか、とびきり濃いコーヒーを飲み下すとか。何でもいいから。倦怠感や厭世観から出る答えには、何かが欠けているのではなく、何かが過剰で、その答えはすっきりとはうまく働かないのだ。

僕は何もかも無くしていく。そもそもの始まりの場所に戻るために。時間の無い場所に戻るために。