日記

9月17日(金)、
僕は正気にしがみつこうとする。それは狡いことだろうか? 例えばギターのことを出来るだけ呑気に書いて。でもそれはあまり続かないのかもしれない。気付くと僕は、自分が本当の孤独の中にいる、と感じる。もとからそこに、誰もがいる場所。生活の外にころっと落ちると、生活苦、という言葉には重みが無くなる。自分を健康だと感じるけれど、病院に行ったりする。病院とも、僕は関係ない気がする。生活の外にいると、生活がひどく恋しくなる。でも、生活の中で病気になって、それでも生活の中で生きていくことは生半可なことじゃない。

高速道路の音が遠く、身近に聞こえる。とても神経質だったときは、「あの車の中にもいろんな人が乗っていて、殺人者だってもちろん乗っている。いろんな感情を乗せて走っている。人間たちが何処にだっている」というような感じがした。今は音としか聞こえない。ただ低い、ごーっという音が、とても懐かしく聞こえる。明日は台風が来るそうだけど、明日のことだって懐かしく感じる。今朝食べたご飯のことだって、遠い思い出みたいだ。

夜、散文(『存在すること』)を書く。メモではなくて、自分で「散文」カテゴリーに入れたくなる文章を書いたのは久しぶりだ。言葉が、人生の中の暇つぶしのひとつではなく、生きることそのものになる時間が恋しい。ここ数日、毎日長い時間ギターを弾いて、本を読んで、それから万年筆で書きものをしている。ギターを弾いていると、段々意識が生活を離れ、地球を離れ、宇宙の果てに飛ばされていく気がする。生活の中で僕は「何もかも手遅れだ」という言葉に苛まれるけれど、ギターをずっと弾いていると、年齢の関係ない場所に行けるような気がする。キング・クリムゾンのギタリストであるロバート・フリップが、ギターを通して精神性を高めていくような、セミナーのようなものを開いていたことを思い出した。

 

9月18日(土)、
昨夜、夜の10時に眠って、日付が替わる頃に起きる。2時間だけ眠った。

読書をしていると、生きている気がする。本を読むことが通常だった僕が、十年間、ほぼ本を読んでいなかった。読書ノートを、どんなに辛いときでも欠かさず書いているから分かる。年間数冊ほど無理に読んでも、それが面白かったという記憶がない。言葉を恐れていたときもあった。言葉があるからいけないんだ、と。ただ、辛かった間に読んだ本のタイトルを見ると、辛かったことが思い出されて、そしてそれは過ぎ去ったのだなあ、と思う。「読書をする」「小説を読む」「詩を読む」ということの意味が分からなくなっていた。活字に目を走らせても、何も感じず、疲れるか、怖くなるか、どちらかだった。

日常的に読書をする人は、大体20人に1人くらいだろう、と村上春樹が書いていた。僕もそれくらいだと思う。これは小説や詩に限った割合で、文学には興味ないけれど、実用書はよく読む人を含めれば、その割合は多分2倍くらいになると思う。僕はものごころ付いた頃(4歳くらいだろうか)から、当然のように毎日本を読んでいたので、読まない、とか、読めない、という感覚が分からなくて、「読んでみたら絶対面白いから」と、何の疑いもなく、そう思っていたし、言っていた。書くことも大好きで、書けない、という感覚が分からなくて、読書感想文や小論文を代わりに書いてくれ、と言われれば、寧ろ喜んで引き受けていた。言葉が好きだった。音楽も同じくらい好きだったけれど、それは言葉が好きな僕、というナチュラルな状態が先にあってからのことで、言葉と音楽のどちらかを選べ、と言われれば、随分迷って、やっぱり言葉を選んだと思う。そして今、僕は改めて言葉が好きになってきた。毎日読み書きをしていれば、もっともっと大好きになっていくと思う。読みたい本や、読めば素晴らしい体験になるであろう本が、日本語の本だけでも、ほぼ無尽蔵にあるし、大抵の本は自由に手に入れて読める。英語やフランス語も、本当にやりたくなってきた。違う言語で本を読めたら、それから書けたら、どんなに素晴らしいだろうと思うからだ。音楽もまた、まだ聴いていない音楽は無限に近いくらいある(今この瞬間にも新しい音楽は世界中で作られている)し、ずぅっと好きな音楽が、たくさんある。CDやレコードやiTunesで、ヘッドホンやスピーカーで、いくらでも音楽を楽しめる。コンサート会場に行くことや、ライヴ演奏を聴くことには、あまり興味が無い。

今、少しハイになっているかもしれない。ハイというよりはダウナーな感じだけれど。元気に動き回るよりも、全てがフラットに溶け合っている時間が好き。

 

9月19日(日)、
ネットの中とか、ネットの向こうとか、実際に人が生きている街とか、何なのだろう? 僕には分からない。

朝から不安で堪らなかった。ギターを弾いて、3時間くらい歌っていると、急に空虚感が押し寄せてきて、薄暗くした部屋で、ベッドの中で、ひたすら蹲っていた。

夕方頃、何か不思議な気分になり、読書の続きをする。読めるから嬉しい。むしゃむしゃと、今までに読むつもりで買って、机や、ピアノの上に積んでいた本を、次々と消化している。読書って、本当に脳全体が良くならないと出来ないのだな、と思う。シンプルに考えても、読むのは左脳だし、読んだことを感じるのは右脳だ。左脳と右脳の機能差をあまり信じていないので、比喩だけれど。思考で読んで心で感じる、と言った方がいいかもしれない。本が読めないときの僕は、どこかおかしい、と自分で感じる。読めないときにも、書くことは出来るけれど、書いても楽しくない。言葉から何か抜け落ちている。

夜、ギターを少し弾いて、書きものをする。
とても眠い。