日記(目が醒めてきた)

9月12日(日)、
昨日は頭が重くて、一日中、ご飯も食べずだらだらしていた。今日の午前2時半くらいになってやっと起きる。身体はすっかり軽くなっていた。爪が一日で大分伸びたような気がする。ギターを爪弾けて、キーボードを叩くにも支障がない微妙な爪の長さがあって、その長さを昨日の内に超えてしまったのだ。本当に微妙なライン。ポール・マッカートニーはベースを指で弾き、アコースティックギターは爪で弾くのだけど、ベースの弦に爪が当たらなくて、ギターはちゃんと爪で弾けるくらいの長さにいつも整えるのは、面倒じゃないのかな、と思う。

昼。僕は遅かれ早かれ死ぬ。そして遅かれ早かれ全ては消え行く。そんなことは意に介さず、ただ、今を一音一音、一歩一歩生きることが大切だと感じるときもある。今、この瞬間生きていることが、何にも増して大切なことなのだと。そう思えないときもある。今がそう。何にもしなくていいし、前に進まなくてもいい。そもそも「前」って何だ?、と思っている。

後天的に、経験的に、好きになっていったものの方が多分多い。僕の大部分は、今までの経験によって形成されていて、ギターの良さだって、最初から良く感じていたわけじゃない。ジョン・レノンの弾くアコースティックギターは、最初から特別好きで、いつかこんな風に弾けたら、とずっと思い続けてきたけれど、今は、ギタリストひとりひとりの音の違いが分かるようになってきて、ジョンのギターがいかに真似出来ないか分かってきた。10歳の頃から音楽を聴かない日は殆ど無いくらい、主にイギリスとアメリカのロックを聴き続けてきて、やっと、ギターに心を込める、ということの意味が分かるようになってきた。初めて聴いたときから、ジミ・ヘンドリックスのギターには、その迫力にすぐ圧倒されたし、エディ・ヴァン・ヘイレンのギターは、ギターに全く素人の僕でも、ものすごくテクニカルなのが分かるし、音色がとても現代的で、こんな風に弾けたらどんなに格好いいだろう、と思った。ヴァン・ヘイレンを聴いて初めて、ギターが主役のバンドが存在することを知った。でも基本的にはギターはヴォーカルほどは目立たない楽器で、特に伴奏楽器としてのギターは、誰が弾いても同じだろう、くらいに考えていた。今では僕は、どんなロックでもヴォーカルと同じか、それ以上にギターの音を集中して聴いていて、それから、ギターよりさらに目立たないと思っていたベースにも注目するし、曲を成り立たせているドラムやピアノやシンセの音や、バックで鳴っているアレンジの音など、いろいろな楽器の音をよく聴いている。それから、あまり興味の無かった歌詞も、今は大切な要素だと思ってる。「この曲いいな」とか「この曲の景色や色が好き」いう、曲全体を漠然と捉えたり、浴びたり浸ったりするような聴き方もとても大事だけれど、ひとつひとつの楽器を分けて聴いて、それぞれの良さを感じることもとても面白い。両方の聴き方を使い分けている。初期のボブ・ディランの曲は、アコースティックギターをじゃかじゃか鳴らしながら、ぼそぼそと歌うだけで、歌詞がやたら長いし、何がいいのか全然分からなかったのだけど、今はディランの曲のメロディやギターの良さを感じるし、歌詞はまだよく知らないけれど、ディランの音楽特有の空気感を感じられるようになってきた。

夜。何故か気分がましになってくる。アルフレッド・ブレンデルの弾くベートーヴェンの『ディアベリ変奏曲』を聴いている。多くのピアニストが弾いている有名な曲らしいのだけど、僕は2年くらい前にアンドラーシュ・シフのアルバムで聴くまで、この曲の存在を知らなかった。一般的な知名度は低いのではないかと思う。バッハの『ゴルトベルク変奏曲』はグールドの演奏が有名だと思うのだけど、やはり意識的にクラシックを聴く人にしか知られていないのだろうか? アニメ映画の『時をかける少女』で『ゴルトベルク変奏曲』の最初のアリアと第1変奏が、とても効果的に使われていて、嬉しかった記憶があるけれど、テレビや街で流れているのを聴いたことは無い。もっとも僕はテレビを殆ど見ないし(そもそも僕の家にはテレビが無い。僕が壊したからなんだけど)、外にもあまり出ないのだけど。一般的な知名度についての感覚は別に要らないと思っているから、それはいいけれど、僕が話したり書いたりする話題が、実はとてもマニアックで、あまり通じていないのではないか、という懸念はたまに持つ。でも、どれくらいの人に通じるだろう?、と考えながら書くよりは、自分の好きな、書きたいことをどんどん書いた方が楽しい。いちいち他人のことを気にしながら書いていると、書くほどに不安になってしまう。

 

9月13日(月)、
昨日、現代詩のことについて書いていて、ああ言葉って面白いな、もっと詩や小説を読みたいな、と思っていると、頭がひどく重たくなった。ベッドで蹲っていても頭がぐるぐるするだけなので、焦点の合わない眼は瞑って、いろんなギターの音源や、クラシックの演奏などを効いていた。楽器が上手に弾けたら素晴らしいだろうな。でも、弾けなくても、ある程度音を鳴らせるだけでもギターは面白い。チェロにもずっと憧れているけど、多分、かなり上手くなるまで、少なくともきちんとした音程で弾けるようになるまでは、弾いていても楽しくない気がする。綺麗な単音を出すだけでもとても難しい。大学生の頃にチェロを借りて弾いてみたことがあって、ニック・ドレイクの『チェロ・ソング』の旋律を弾こうとしたのだけど、まず音が出なくて、すぐに断念してしまった。実家に「チェロを買って欲しい」と電話したけど、値段を言うと、無理に決まってると言われ、祖父にも電話をかけたら、そういうのは大人になってからだ、ということを言われた記憶がある。祖父母には大学の入学金や授業料を出してもらっていたので、僕もあまりしつこくは言わなかったけど、もっと真剣に頼めばよかったかもしれない。けど多分、チェロを買ってもらえたとしても、その頃の僕は、ろくに弾きもせず、すぐに投げ出していたと思う。

頭痛はほぼ引いたけれど、今度は胃が痛い。ロキソニンを飲み過ぎたせいだろう。頭痛に比べればどうってことはない。母に胃炎の薬を貰って飲んだ。

朝。ギターのことばかり書いていた。

ほぼ一日中、ギターのピックアップの高さを調整していた。

 

9月14日(火)、
昨夜は10時過ぎに寝て、今朝4時前に起きる。まずまず健康的だ。

考え方や感覚を複雑化していくのはやめなければならない。

早く起きたものの、怠くて、急に狭い箱の中に閉じ込められるような、どんよりした灰色の気分になったので、じっと眼を瞑って横になってた。

 

9月15日(水)、
今日は、ほぼ一日中ギターを弾いていた。ここ数日、人生って長くないんだな、と一日に何度も考える。病気になって苦しみ抜いて死ぬことにだって、意味が無いわけじゃないと思う。けれど、僕は、せめて、本当に書きたいことを書きたいし、本当のことを知りたいし、それにやっぱりギターを弾きたい。

いつ指が動かなくなるか分からない。いつ声が出なくなるかも分からない。いつかの為の予行練習を生きているわけじゃない。

 

9月16日(木)、
一週間ほど頭が重く、ときどき頭痛がしたけれど、今朝起きると、きちんと目が覚めている感じがした。今日も半日ほどギターを弾いていた。テレキャスターの音って、何でこんなに美しいのだろう?

人生って本当に短い。今を本気で生きていかなくては。