日記、メモ

9月5日(日)、
早くから夜を寝て過ごし、早朝にはもう起きて目醒めていたい。そうして有り余った一日を、勉学や遊びなどに費やすのだ。「酒を飲んだあとに宿酔(ふつかよい)があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る」と梶井基次郎が『檸檬』の冒頭で書いていたけれど、薬を毎日飲んでいると、それも僕のように大量に、常識離れした量の薬を飲み付けていると、毎日が二日酔いというか、もはや万年酔いのようになってきて、いつも頭がぼぅっとする。頭の中は少しのショックや一粒の砂のような不安で駄目になってしまう精密機械のようなのに、僕の頭の中には思考の死体があちこちに詰まっていて、薬は死体を洗い流してくれるどころか、防腐処理して、僕の頭の働きの一切を滞留させてしまう。ゾンビに意志は無いけれど、過去(生きていた頃)の習慣には従う、とロメロの映画で、ゾンビがショッピングモールに吸い寄せられる理由として、登場人物が推測していた。僕の思考は自己嫌悪し続けた過去の習慣にだけ従って生きるゾンビなのではないかと思う。自分で新しく考えるということをしない。ただ「自分は駄目だ」とか「死にたい」という言葉を繰り返し繰り返し、それはゆっくりと確実に、僕の心/感情を蝕んでいく。かと言って、言葉を安易に裏返して「駄目じゃない」「生きたい」と言い換えたところで、そこに新たな意思が伴わない限り、結局僕は空疎な言葉を習慣的に並べ立て、死んだような心身を、ただ腐らせるままに生きていく(=死んでいく)しかない。

そうは言っても、まだ僕は生きている。僕は14歳からの10年間と、24歳からの10年間とで、種類の違う鬱になっていたと思うけれど、それは別に薬が引き起こした訳ではない。産まれ付きの器質的なもので、運命のようだ、と諦めている。どう、種類が違っていたか、粘着質な話になりそうなので省くけど、とにかく20年間、僕は段々に心を腐らせてきた自覚があって、14歳から33歳と言えば、人が自らを磨き上げ、いっぱしのひとかどの人間になっていく過程の全てを込められる時期に相当すると思うのだけど、僕が一番いっぱしだったのは13歳の頃で、そこからどんどんどんどん社会の隅に、僕は墜ちてきた気がする。今は僕はもう、何も無い人間だ。……なんてこと、別に本気で思っているわけじゃなくて、それだってもう、口癖みたいなものなんだけど。まあとにかく、過ぎたことは過ぎたこととして、取り返しの付かない悪事を働いた訳でもないこと(本当に?)だけは感謝して、これから向上していくより仕方が無い。習慣が第二の天性だと言われるけれど、僕に取り憑いた習慣は、怠さと思考停止だけなので、多分、第三の天性を身に付けなくてはならないのだろう。

20年間で、でも、とても好きなものがいくつか出来た。と言うよりかは、生き延びるために縋り続けてきた結果、それ無しでは生きられないものが増えた。薬も、そのひとつかもしれない。音楽と本がこの世に無ければ、僕は絶対に生きられないと思う。最初は、現実逃避というネガティブな縁でしかなかったものであっても、それに触れ続けていると、人は、少なくとも僕は、それを好きにならざるを得ない。心底それを求め続けている場合でも、最初は単なる好奇心から(または「それを好きになれたらいいな」という興味から)であっても、寧ろ嫌々であっても、それに触れ続けている限り、僕はきっとそれを好きになる。血肉化するというのかな? 食事は別に僕に個性を与えないけれど、習慣は僕の精神を多分形付け、心の栄養素はそれぞれが独特な心の有りようを決定する。僕は、出来れば、これから、物ごとに、もっと意識的に触れようと思う。(もちろん、身に付けたことだけが個性じゃない。僕が僕であること、僕が僕でしかないことの自覚や、僕だけの記憶、感情、感動、孤独、感覚、長い間の絶望、心臓の鼓動、多分そっちの方が、より大切な僕の個性だ。けれど個性は、発露されなければ、それは寂しい孤独の域を出ない。自分の個性は、それを発揮出来なければ、自分自身にさえ、よく見えないものなのではないかと思う。自分自身を捨てることなく、しかも自分を高めていくこと。)身に付けたいことは、具体的には、まず日本語と英語とフランス語。何故か他の言語にはあまり興味が無い。まずは言葉をメインに身に付けたい。他にもいろいろあるけど、したいことを列挙すると、自分が何をしたいのか段々分からなくなる、ということが僕には多いので、省く。

自分を殺して、死のうと思うときもあれば、何はともあれ、この世を、生きていきたいと思うときもある。それが一日に何度も繰り返されるときもある。死にたさって風向きみたいなもので、それは考え方とはあまり関係ない気がするんだ。でも、生きたいときには、自殺願望なんて、馬鹿な考えだと思ってしまう。どんなに面白く考えてても、雨は、降るときには降る。そして心はぐっしょりずぶ濡れになって、どんな考えも思いも、冷え切ってしまう。僕の心はずっと雨期だったけれど、最近は曇り空だろうか。随分長いこと日本語を、ほとんど憎んでいた。でも、最近はまた(10年ぶりくらいだろうか)、日本語をとても美しいと思う。

夕方、あまりに眠いので1時間ほど眠る。この頃、日が暮れるのが早くなった。虫の声も変わって、秋が来ているのを感じる。寝っ転がって虫の声を聴いていると、自分が生きているのが信じられないような、まるで、寝ている間に随分時間が経っていて、自分の部屋が懐かしいような感じがする。実は数日間くらい、生真面目に、死のうと思っていて、自分が惨めで、何ひとつ面白いことなんて存在しないように感じていたのだけど、昨日の朝に詩(『生存』)を書いた辺りから、楽しい予感に満ち始めてきてて、いつか書庫が欲しいなあ、とか、暗闇の中でぴかぴか光るシンセに囲まれたサウンドルームが欲しいなあ、とか夢見るように考えてた。内面から楽しさが溢れてくる感じだ。僕は、言葉が好きだし、音楽が好きだと、今日と昨日で、強く再認識した。どちらも同じくらい大好きだ。探していた自分にぴたりと自然に嵌まった感じがあるときもあるし、でもまだ、その感覚を長いこと保持しておくのは難しい。こんなに薬を多く飲んでいて、引き籠もってて、脳には非常に悪い環境で過ごし続けてきたと思うのだけど、だからこれが一時的な軽躁状態の浮かれなんかじゃないといいのだけど、気分の上がり下がりがありながらも、かなり長期的に見て、やっぱり僕は回復してきていると思う。

夜はまた、ビールを飲んでしまった。お酒はあんまり飲みたくないのだけど、今海外で仕事をしている弟が、美味しいビールを定期的に送ってきてくれるので、飲まなければ、何か損したような気分になってしまう。僕が飲まなければ両親が全部飲んでしまうので。

自室に戻ると、また気分が憂鬱になってくる。一度休もう。