数日前までの日記(少し悩んでいた)

8月24日(火)、
僕が生きている、という事実に、今さらながら驚くことが、近頃とても多い。精神の病気で曖昧だった心が、ひとつに、石ころみたいに纏まりつつあるのを感じる。全然、それは宝石でも何でもないけれど、僕にとっては大切な、意思の固まりみたいなものだ。良くなってはないにしても、ある種の強さは身に付いてきた。自分が自分だ、と思えるけれど、自分が自分でしかないことは、簡単に壊れてしまう自分を強く認識することでもあって、ぼんやりと、まるで死なんて存在しないみたいに生きるのと、どっちが楽かは分からない。自分の弱さと脆さを認識することは、僕にとっての強さだ。まだ多量の薬を飲んでいる。一時期の、本当にひどい状態だった数年間を思えば、奇跡的な回復なのではないかと思う。いかれた脳みそが治癒に向かうとは思えなかった。治癒の方向を誰が教えてくれた訳でもないのに。僕は絶望してて、もう死ぬまで治らない傷を、精神に抱え込んでしまった、と思っていた。それはその通りなんだけど、傷や傷跡は今や僕の武器だと感じる。

僕の33年間の人生は、話すと長い気もするし、実際とても長く書くことも出来なくはないのだけど、端折って言えばとってもシンプルだ。13歳になるまでは、僕は目が覚めていた。病気とももちろん無縁だった。今思えば、まるで躁状態だったんじゃないかと思うくらい疲れ知らずで、無闇に何でもかんでも知りたがっていた。眠気なんて知らなかったし、一日に2、3時間も眠れば、ずっと100%元気でいられた。でも、その頃の自分が好きか、とか戻りたいか、と言えばそうでもない。僕は嫌な奴だった。13歳になってすぐの頃から、僕はいつも疲労感を抱えていて、精神科に行き、多くの薬を処方され始めた。良くも悪くも僕はあまり薬を信用していないので、薬のせいで僕の頭がどうにかなった、とは全然思わない。中学も高校も大学も中退したし、生きていたいと思う日なんて無かった。24歳頃から完全に鬱状態で、食べて眠る以外に何にもしない日々が続いて、数年間は入浴もせず、歯も磨かず、死ぬことさえせず、そして一時期はいつもウォッカ睡眠薬を飲んでいて、何度か死にかけた。2年前から少しずつ回復して、今に到る。以上だ。20年間、死にたさと不安が常にあって、生きていることの苦痛から逃れることばかりを考えていて、あるときは救いをODや自傷に求めたし、哲学や思想によって、自分の苦しみを解消出来るんじゃないかと期待していた。最近は、自己破滅的な力が、徐々に生産的な、つまりは生きていく方向に転化しつつある気がする。死ぬほど勉強して、心身の全てを込めて創作しても、意味なんか無いことは知っている。音楽は、単に、それが無いと死んでしまうもの。本も(また読めるようになるなんて思ってもいなかった)。あらゆる他人の存在が、僕を殺しもするし、同時に僕にとって欠かせないものを与えてくれもする。生きていることの落胆が、鈍重な痛みから、より鋭い痛みに変わってきている。

風向きが良くなっている。僕は意味も無く落ち込むし、意味も無く死にたいと思う。意味も無く感動したり、世界が美しいと思ったりする。今は多分、運がいい。病気になって、そのまま一生治らなかったり、自殺する人も数多いんだ。僕の自殺未遂がことごとく失敗したことが、運がいいのか悪いのかは、まだ分からない。多分死ぬまで、生きていることが本当にいいかは誰にも分からないけれど、死ぬときになれば、結局は自らと、世界の全てを全肯定出来るのではないか、と僕は考えている。多分、誰もが。そう言う意味では、僕は完全にポジティブな人間だ。ともかく今は、生きていきたいと思う。死んだ方がいい存在であるとしても。

夜、ビールを飲み過ぎてしまってふらふらだ。今日こそは絶対に飲まないようにしよう、と毎日思うのだけど、冷たいビールを勧められると、どうしても飲んでしまう。意志が弱いというか、夜の時間を暗く生産的に過ごせるかも知れない可能性よりも、何にも考えずに自堕落に過ごす方を選んでしまう。このままじゃ駄目だと思う。

 

8月27日(金)、
昨晩も、もういいや、って思ってビールをたくさん飲んで、10時前には眠ったのだけど、今朝は5時前に起きたので、すごく健康的だ。あまりに気分がいいので、来年の今頃にも同じように気分のいい朝が訪れたら、そのときにはきちんと身辺整理を完璧に済ませていて、死ぬか、旅行にでも行きたいな、ということを思った。僕は今死ぬには、遺書も書けていないし、どうしても死ななければならない切迫感は数ヶ月前に去っていったし、死を前提にして生きるのも少し前にやめた。僕は僕が生きて、僕が行くべき場所に、まだ辿り着いてない、もしくは帰り着いていないから、そこに行けるまでは死にたくない。……当たり前みたいにそう書けることって、本当に奇跡みたいだ。

 

8月28日(土)、
すっきり片付けをしたい。小説を読んでいると、まるで世界の全てが、言葉で書かれたことのように思える。

実際、僕には何も要らないのだ。