日記(生き始めて、死に始めて)

8月18日(水)、
僕は10年前に、それまで書いた文章をほぼ全て削除した。そのことを今でもまだひどく後悔している。みっともないことだし、勝手に消して、勝手に自分だけダメージを受け続けているのだけれど。僕は10年間、ひと文字も、自分の言葉を書けたことがない。生きていても仕方が無いのではないかと思う。自分の言葉を書けなければ、書いていても仕方が無いし、生きていても仕方が無い。

でも、本当に少しずつ、少しずつ、僕は回復してきた。今から、また昔のように、それからまた、昔以上に書けるのではないか?、ということが、生きていることのたったひとつの希望。書けなきゃ死ぬだけだ。10年前までの僕の文章は、今のゴミみたいな文章じゃなくて、そこには僕の命があったから、僕にとっては、残しておくべき価値があったと思う。

 

8月19日(木)、
僕が、歌声から確かな心を感じることは、とても少ない。楽器の音から心を感じることも、とても少ない。いい音楽、という以上に、心の領域で繋がれる、と感じられる音楽は少ない。心から好きな音楽が増えていくことって、生きていくことの最大の喜びのひとつだ。10年間、音楽を聴くことが出来なかったけれど、何人か気になるミュージシャンを見付けて、今また、僕にとって本当に心から好きなミュージシャンが、ほんの少しずつだけど、増え始めている。好きな音楽が嫌いになることはあり得ない。好きなものが増えていくだけでも、生きることには価値があると思う。

 

8月20日(金)、
私はただ心中の準備をするためにだけ生きてきたのかもしれない。そう思うこともある。何も要らない。お金がいくらあっても仕方が無い。お金では私の内面を変えることも美しくすることも出来ないからだ。私には行きたい場所があって、そこはお金では行けない。この場所にいたって、本当はいつでも行ける場所。
自殺って、病気だと出来ない。死ぬことは出来ても、うまく自分の死を想像出来ないから、逃避じゃなくて積極的な意味での明るい死を迎えられない。歪んでいるとき、人間を人間とも思えないとき、自殺は出来ない。精神が健康じゃないと自殺は出来ない。