日記

6月29日(火)、
薬の抜けた朝っていうのは何て素晴らしいのだろう。昨日から殆どの薬は飲んでいないので、今は多分、身体から薬が大分抜けている。躁鬱の薬(ラミクタール)はよく効いていると思うし、また大量に飲んでも皮膚炎になるだけなので、処方量をきちんと守っている。

昼は素麺を食べた。また七束茹でて、母と食べたのだけど、どうも多分、僕が五束近く食べたような気がする。

夜。創作は気持ちいいことだ。

ボブ・マーリートム・ヨークを聴いている。美しい気持ち。

 

6月30日(水)、
パソコンが時々、疲れ果てたみたいにのろのろ動く。集中して書いている最中に、急に文字化けしたり、フリーズしたりして、どうも調子が合わない。デスクトップのパソコンを買おうかと、かなり本気で考えている。

自分を率直に受け入れる、って難しい。僕は僕である限り、僕自身でいたい。嫌われることが、本物の痛みを伴うとしても。

たまに訪れる、おそろしい無意味感。宇宙は無から始まって無で終わる。本当に?

全ては同じ。

早朝、明るくなってきて、詩を書く(『カーテン』)。

世界は根本的には虚しいんじゃないかと思うと怖い。同時に、僕が社会から決定的にずれているんじゃないかということも、とても怖い。

昼、睡眠薬を飲んでいないせいか、まったく眠くならない。……午後3時、少し早めだけど、ラミクタールを飲む。

急に、自分が本当に役立たずにしか思えなくなる。

 

7月1日(木)、
朝から自分が嫌で堪らない。何故、自分なんてものに拘ったりするのだろう? 24時間くらい完全に鬱だ。その前は2日間くらい、本当にハイになってた。昨日から、何を見ても、何を読んでも「自分なんか」と思ってしまう。音楽を聴くと、ミュージシャンがとても偉く思えて、自分が惨めだと感じる。

午後、やるだけのことをやっていくだけだ、と思う。気持ちがころころ切り替わる。昼まで、心に重石が入っているみたいだった。

夕方、また憂鬱になる。けれど朝に比べると大分ましだ。

夜、短歌を書く(『距離と距離と距離』)。危ういような気分だ。色彩感も季節感も何にも無い、抽象的な短歌ばかりだけど、今の気分には合ってる。

日付が替わる直前、とても気分が楽になる。何か書いていけそうな気がする。