日記

6月28日(月)、
うまく眠れなくて怠くて、何もしていない時間が、ただ流れていく。でも、ほんの時たま気分がすっきりして、読書をしたりする。小説って、基本的に人間を書いたものだ。だから、人間、他人に興味が無いと、読む気にはなれない。

万葉集がどうしてもうまく読めない。捨てるのも勿体ないので、文庫本の万葉集(全4巻、別冊1巻)を母にあげた。万葉集の言葉は概念的ではなく、人間の素朴な生の声に近い、ということがよく言われるけれど、言葉が古すぎて読むのが難しい。確か古今和歌集の序文で既に、万葉集の言葉は古いから、ということが書かれていたと思う。言葉って不思議だ。どれくらい古くから日本語ってあるのだろう? 何故、言葉を持たない民族っていないのだろう? そして何故、音楽もまた、世界中にあるのだろう?

人間の心には、どうしても音楽と言葉の種子がある。あるいは言葉と音楽の泉のようなものが。

そう言えばまた、踊りや絵も、世界中にある。

僕は絶望を抱えている。一生抱えていかなければならないかもしれない。でもそれを軽くすることは出来る。きちんと勉強して、僕に出来る最大の仕事をするんだ。

おそらく僕の絶望感と虚無感と後悔の気持ちは、一生消えないだろう。それでも幸せになる努力をしようと思う。例え過去の後悔ゆえに、その幸せが苦々しいものになるとしても、僕はいつか自分の後悔を、優しく悔いることくらいは出来るだろう、きっと。

何よりも、僕が僕自身として生きることが大事だ。自堕落に、何も分からずに、ただ死んでないから生きている、なんていう生き方を続けたくはない。僕の体がしぶとく死ななかったから、今僕は生きているのだけど。多分、並みの身体では、僕はとっくに死んでいたと思う。自慢で書いているのではなくて、何故僕は自殺しようと思ったとき、ころっと死ねなかったのだろう、と自分の身体を恨むことも多いし、なかなか死なない身体に、時々は感謝したりする。

自分の好き嫌いを新鮮に保っていたい。

朝、4時20分。何となく口寂しくなったので、トコロテンを食べる。栄養は殆ど無いのに、何で美味しいんだろう? タバスコをたくさんかけて食べる。トコロテンや素麺が美味しい季節になった。平日の昼間は、よく母と一緒に素麺を茹でて食べている。普通一人前で二束くらいだと思うのだけど、大体二人で七束くらい食べている。僕も母も麺好きなので。素麺って意外に高カロリー食だし、塩分も適度に多いので、夏にはぴったりだ。そう言えば最近モズクを食べてない。モズクも夜中に少し食べるのにはいい。たまに冷たくてつるつるしたものが食べたくなる。

近頃、少し疲れたときは、30分、長くて1時間半くらい仮眠すると、かなり疲れが取れる。最近までは横になっている時間がかなり苦痛だった。この頃割に、疲れたな、と思って横になると、すぅっと仮眠の状態に入れる。有り難いことだ。

僕が今使っているiPodは第7世代だそうだ。iPod touch。買ってから1年と6ヶ月になる。それ以前に使っていた第6世代のiPodは、配線がおかしくなったのか、使っていると異常に発熱するし、電池の減るスピードがおそろしく速くて、外出時には、いつバッテリーが切れるかと、いつもはらはらしてた。最終的には、音楽を聴いていると、コンセントに繋いでいても電池が減っていく、という状態になって、まるで使い物にならなくなったので、買い換えた。第7世代は、本当にとてもいい。第6世代のiPodは、おそらく、落としてからおかしくなったのだと思う。いろんな壊れ方がある。今持っているiPodも、何度か落として、しばらく電源が入らなくなったりして、けっこうな絶望感めいたものを何度か味わった。ケースを付けていたときに落としてしまったことがあって、そのときもやっぱりしばらく画面がおかしくなったので、ケースもあんまり意味ないな、格好悪いし、と思って外してしまった。……こう書きながら、何かすごく頑丈なケースは無いかとAmazonで探していたら、エレコムの、G-Shockみたいに無骨で、滅多なことじゃ壊れなそうなケースを見付けたので、早速注文した。1464円。いかにも頑丈な外見からすれば安いと思う。

夜、頭の中で言語回路がカチリ、カチリと修繕されて、歯車が回り出すような感覚。読書が滅法面白い。そう、読書は一番楽しいことのひとつだった。昨日の朝から眠っていないけれど、何だか眠るのがもったいない。世界で一番楽しいこと。読書。書くこと。音楽を聴くこと。

空虚や失敗や後悔も含めての自分なんだな、と思う。

まずは持ち物の把握をしよう。
綺麗に綺麗に片付けよう。