日記1

6月17日(木)、
朝まで起きていた。昨日、昼近くまで寝ていたからか、なかなか眠くならない。

夕方。スピーカーでずっと音楽を聴いている。

夜、エビの天ぷらをたくさん食べて、ビールを少し飲む。あまりに眠くなったので、明日まで眠るつもりで横になる。けれど、1時間弱で目が覚めてしまった。

 

6月18日(金)、
宇宙のことはさて置き、人間のことが知りたい。人の心。言葉、音楽。

人間として生きることが耐え難く思えるときも多い。大体、心が参ってくると、自分がいて、人がいて、と考えることがあまりに複雑に思えるので、もっとすっきりしたひとつの答えが欲しい、と思うようになる。でも、ある程度元気になってくると、僕はこの宇宙が好きだ、と思う。この宇宙について知りたい。それが、とても自然なことに思えてくる。

未明、1時間半眠る。

いつの時代から、勉強というものが苦行のように捉えられるようになったのだろう? 勉強って、本来、とても楽しいものだったな、って今朝思った。『論語』の時代から、学問を楽しむことが大事だ、とわざわざ書かれていたくらいだから、昔から、勉強は一般的に、そう楽しいものじゃなかったのだろうか? 楽しいことをしたいな。頭を使うことは、本当はとても楽しいことだと思う。自分の意識があって、心があって、考えられて、何かが分かる、って本当に不思議なことだ。本当の財産は、自分の心身だけ。……行けるところまで行ければいいのだけど。

読むことも書くことも学ぶことも、何もかも苦しくて、音楽でさえ苦行の一環になっていた。生きること自体が苦しくない感覚って、本当、何年ぶりだろう。子供の頃は勉強も滅法楽しかった。13歳になったときに、急に生きることに疲れて、通院し始めて、14歳で自殺を試みて、それから、生きることは基本的に辛いことだった。20歳のときから、多分、躁状態になって、その頃の僕は、おかしかった、と回りの人は言うのだけど、その時は、死にたくて、いつ死んでもよくて、でも楽しい、という変な状態が続いていた。そしてまた、死にたいとしか思えなくて、何ひとつ楽しくない年月が続いた。それも、この頃また回復してきた。今度は多分、躁状態ではないと思うけれど、それは経過を見ないと、何とも言えない。いつ死んでもいいのは、今も同じだけど、朝、今日一日が丸々余っていることが、最悪だとは思わなくて、楽しい予感がある。当たり前みたいな感覚であり、とても奇妙な感覚でもある。

人は何故、生きていこうと思うのだろう? 何故、死にたいと思うのだろう? 何故、病んでしまうのだろう? 不安や焦燥が、何故あるのだろう? ただ、生きているだけでいい、という感覚を、いつ無くしてしまうのだろう?