メモ(断片)

何だか優しい人ばかりみたいだ。優しい人同士が疎み合うのはどうしてだろう。

薬を飲んで楽になれるなら、いくらでも薬を飲むのに。

悲しいと、この世界で生きていく気力を無くす。何故この世があるのか、そればかりが気になる。宇宙がある。本当? そこに壁がある。本当に? この世で生きていくことの楽しさが無いので、こんな世界から離れてしまいたくなる。力が欲しい、とさえ思わない。虚しさばかりが募る。
元気なときは、あの世のことなんて考えない。この世を精一杯生きるだけだ、と思う。この世を生きて、世界中を知りたい。
書くことは、それ自体、書くことを超えてる。そうでなきゃ、書くことなんてしない。

悲しみと喜びの狭間で。空虚と充溢の狭間で。この世とこの世ならざるものの狭間で。

音楽と言葉はあの世とこの世の両方に跨がる。
そして人間も。
誰かの心。

何故、この世界が無いのではなく、あるのか。おそらく誰も知らない。仏陀は知っていただろうか? そして何故、僕は「人間」が知っているかどうか?、という話に、当たり前のように持っていこうとするのか? だって、空や宇宙が世界の意味を知っているかもしれないのに。私も宇宙や空になれば、全てを知れるだろうか?

知ってる。この世の中での滅多矢鱈な情熱が無いと、あの世のことも知れないこと。

この世を愛すること。倫理観。それらが抜け落ちた理想や思想は全て間違いだ。

分かってる。僕は単に疲れてるだけ。一眠りすれば、この世で生きていくことが、当然のことに思えるし、あの世がどうの、この世がどうの、なんて考えても詮無いだけで、それよりもっとしたいことがある、という前向きな気持ちが湧いてくるだろう。


生きることより、もっと大切なことは無い。本当に? おそらく…、本当に。でも、悲しいときには、生きることの良さは、もちろん感情や感覚的には分からない訳で、生きていることに理由も意味も思い浮かばない。


ここを乗り越えて、意識の底に行く。底の底の底……。
全ては砂絵のよう。


元々何も無いとしても、規則や論理はあって、名前があって、物がある。何故だろう? 何も無いはずなのに、言葉があるし、音楽がある。言葉も音楽も無であるはず。


脳? 脳は何処に存在しているのだろう?

ただ、あまりにもまざまざとある、例えば、このマホガニー製のメトロノームを、このアルダー(榛の木)材のギターを、無いとか、有るとか言うのは、妙なんじゃないか?

淡い、楽しい混乱と、苦く、仰々しい混乱。生と鬱。何故人は死ぬのだろう? 物に、名前も、他との区別も無かったら、それは無いのと同じ。例えば、空気の中にはいろいろな形や経験がある。でもそれは見えないので、無いことになっている。

砂。あまりに小さな砂は質量を持たないので、砂とすら呼ばれない。砂がたくさん集まると、それは山と呼ばれる。

何故、宇宙があって、悲しみなんてものがあるのか分からない。そもそも宇宙はあるのか? 無いのか? 本質的には無いのだろうか? 多分、何かはあるのだろう。有って、同時に無いものなのだろうか? 

人は無意味に耐えられない。……