花と論理

空にも、アジサイにも
目をくれたりしない。
あの花とこの花は、どう違うかなんて、
考えもしない。
知らない虫と、鳥が鳴いていて、
麗らかな、曇天の下、
縁台にクッションを敷いて、座っている。
コーラを飲んで、のんびりと。
手にした文庫本には私のため息が染みていて、
この世はあの世あの世はこの世、と口ずさみ、
庭の枯れ木が遠くに見えて、
遅い午後は庭の隅に重苦しい。
私の果ての、果ての果てで。
私は眺めている。眺めることを、眺めている。
いや、寧ろ眺めていない。
眺めてて、眺めていない間にも、
左手の腕時計は回り、
腕時計がいつか壊れることは、
何て永遠なんだろう。
けれど時計は確かに回り、
夜と秒針はゴムのように寄り添っていて、
世界を私ごと暗さで染め上げていく。
そして永遠は幽久の記憶の中で
過去になり、立ち上がり
家に入れば、テレビが大笑いしていて、
何に触れても火傷をしそうで、
上機嫌の父に私は、
「今日は調子良かったよ。鬱は治ったかも」
「良かったな、薬減らせるな」
そして私は五目煮を食べ、砂のような里芋を食べ、
こんなに贅沢をしている人はいないと、
部屋に戻り、二階の私の机の前で、
パソコンを付け、文庫本を放り、
明日の分の薬を飲んで、
世界じゃなくて、
文明について考える。
私は何処にもいない。
明後日の分の薬を飲み、
ヘッドホンを付けて、
煙草を吸って、
この詩を書いている。
「死ぬときは、一緒に死ぬと、
 いつか私は、あなたに言った、
 そんなことを思い出した」
多分、生活というもののため。

私より私に近い万年筆と
ノートを、出して、
「この世からあの世を見ることは、
 あの世からこの世を見ることと同じ。
 世界はいつも、私の向こう側にある。

 陶酔感(!) エクスタシー(!)
 沈黙(!) 無音(!)

 それから音楽。 果てしない光。

 音楽には本当に、本当に不思議な力がある。
 それはこの世でも鳴るし、あの世でも鳴る。
 あの世とこの世は地続きではなくて、
 接点は0だ。
 大事なのは感受性ではなくて、
 0に行き着くことだ」
と、書いて、少し慰む。
空虚とゼロの区別も付かない。

私は一体、何処にいるのだろう?

ノートの続き、
「この宇宙についてと、
 この宇宙の始まりと終わりについての、
 両方を知りたい。
 この宇宙を知ることで、
 始まりと終わりの両方が知れるだろうか?

 宇宙を知るとは、
 自分自身を知ること。
 宇宙の始まりと終わりを知るとは、
 無を知ること。
 無私を知ること。
 自分の深みを知ること。

 宇宙の始まりと終わりについて知るには、
 宇宙を知らなければならない。
 宇宙を更に知るには、
 宇宙の始まりと終わりについて知らなければならない。

 宇宙を論理と言い換えてもいいし、
 自分を言い換えてもいい」
そう、全ては自分と言い換えてもいい。

友達が欲しい。
仲間が、切実に欲しい。
私はここにいないのに。
私はここにいたいのに。

……
……
……
英語を知る気力も無い。
ギターを手に取る。
「ギターを手に取る。」と書く為に、
ギターを手に取る。

(欄干をどこまでもどこまでも這い上がり、
 ついには空へと上がる、花の影。)

私の情熱。愛情。
呼んでも呼んでも、
私の心に再起の念は無い。

「私は書きたい…………
 小説家になりたい」
と父に言ったときの、父の顔はどんなだろう?
言ったことも無い。
私は書くべきか。
書かずに生きて、死ぬべきか。

私は何処にいるのだろう?
……
……
……