日記

6月9日(水)、
僕は切実に病院に助けを求めていた。どうしても助けがいるとき、病院は僕の言葉に何ら構ってくれなかった。余裕が無ければ、言語化出来なければ、病院によって認定されうる病気についての知識が無ければ、助けは得られない。僕の中の病気の殆ど全ては、自己洗脳によるものだ。薬は効く。確かに。おそらく有用な薬もある。でも僕には自己治癒力だってある。

環境との不和。そのことについてよく考える。時折、薬に不信感を抱く。薬のメリット。それはもしかしたら頭をいかれさせることだけなんじゃないか?、と時に思う。ストレスの強い環境に置かれたときに、自傷するのは動物だって同じだそうだ。自分を引っ掻き始めるサルや、自分の羽を毟るインコなどの例があるらしい。随分と可哀想な動物実験だけど、ストレスを外に発散出来ないときは、自分に向かうしかない。自分の血を見たいほどのホームシックを小さな檻の中で発散する術。だとすれば自傷はただの自然な反応で、自分を壊したくなる衝動性を止めてしまう薬は、精神を不自然な状態にしてしまうのではないか? 幻覚を見るとか、自殺したくなるとか、それは人が自分に合わない環境に置かれたときには、大抵自然に起こる現象だ。離人症はちょっと違うかもしれない。離人症や、気分の変化が大きすぎることは、産まれ付きの性質のような気がする。離人症に効く薬なんてあるのだろうか? 薬を飲めば非現実が現実になるなんてことがあるのだろうか? マトリックスみたいだ。人を殺しても何にも感じない人が、薬を飲んだら人の死に心を痛め、涙するようになるとか。ハイになったり、不安に囚われたり、鬱になること。それは考え方とは違う気がする。何にも考えなくても鬱には陥る。多くの場合、ストレスの無い環境に置かれればストレスは減る。多分、生命はそこまで自滅的ではない。ストレスのある環境を変えることなく、薬でストレスだけを減らすことには、やっぱり不自然さを感じる。有刺鉄線のベッドで熟睡する。悪夢を見て、眼が覚めて、悪夢を振り払うために薬を飲む。現実に私を接地させる。私には名前と番号、住所と年齢、病名がある。私には使命がない。

まともな人と、まともな振りをし続ける人は、外見上は一緒だ。でも内面は大きく異なるだろう。かなり無理をしてまともな振りをしている人は、本当はかなり多いと思う。そして無理をしていることを忘れた人のことを、よくできた大人と言うんじゃないだろうか? 「彼らは平和のために戦争に行くけれど、俺は平和のために桃を食べるんだ」と言ったデュエイン・オールマンの老成したきらめく眼。ギターで空を飛べた彼の、大人も子供もみんな連れて行ってくれる、空の果て、産まれる前の、自分の名前にちなんだ公園。細胞が影であった頃の場所。

午後、病院に行って、すぐ帰ってくる。昨日から眠っていないので、蒸し暑さに吐き気がする。

病院から帰って、サイレースを飲んで、詩を書く(『本質』)。

夜、7時頃眠って、10時前に起きる。よく眠った気がする。何ヶ月か、少し眠ると、起きてもぐずぐずして、なかなか起き上がれなかったのに、6月に入ってからだろうか、短い時間で、疲れが取れるようになった。

とてもお腹が空いた。今日は朝から冷凍のスパゲティを食べただけだ。

それにしても新しいキーボードが素敵な書き味だなあ。一生使いたいくらい。

すっかり目が覚めたので、少し滞っていた、友人へのメールの返信を書こうと思う。何だかここ数日元気だ。やっぱり寝てたら回復するものなのだろうか? 多分、少なくとも明日の朝までは起きていて、読み書きに集中できそう。回復する、って素晴らしいな。

ともかく皆様、おやすみなさい。今日の夜が、誰もにとって、少しでも良い夜になりますよう。