日記

4月21日(水)、
泣きすぎて頭が痛い。『この音とまれ!』というアニメを見ていたのだけど、とにかく泣けるシーンが多くて、涙は出るし、鼻水も出るし、吐き気までして大変だった。途中、あまりに気持ち悪くて、横になってロキソニンを飲んで、まだ見ていた。一晩で26話全部見てしまった。久しぶりにアニメを一気に見た。はっきり言ってご都合主義で強引で、主題歌もあまり気に入らないし、途中まで馬鹿馬鹿しくてぼーっと見ていたんだけど、やっぱり箏の音が良すぎて、箏の演奏シーンではほぼ強制的に泣かされてしまう。高校生が青春を箏に懸けるアニメで、最初の数話は面白くも何ともなかったのだけど、箏には興味があるので見てたら、数話目から感情移入し過ぎて、6、7時間くらい、だらだらだらだら泣いてた。気持ち悪い。最近、ベタなのに弱いのかな、と思ったけれど、十数年前から『CLANNAD』などを見て、だらだら泣いていたから、そうでもないのかもしれない。泣いたからって、どうという訳でもないのだけど、何だか、自分も当たり前の人間なんだな、という安心感はある。それにしても頭が痛い。ぼーっとするし、泣くのって健康に悪い気がする。何で人は、よく「泣けるアニメ・ランキング」とかあるけど、泣くのが好きなんだろうな、と思う。泣いたからって何なんだ。気持ち悪い。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を見たときも泣きっぱなしで(『外伝』は見る人を泣かせようとし過ぎて失敗してたと思う)、でも、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は本当にいいアニメだったと思う。戦争孤児で、心を知らなかったヴァイオレットが、人の心を揺り動かす言葉を身に付けていくのだけど、言葉の習得が早過ぎるだろ、とは思ったけれど、恋愛だとか努力だとか、そういうことじゃなしに、あくまで「言葉」で人を泣かせるって、相当高度なことだと思うし、言葉に説得力があった。音楽もエバン・コールの作曲が素晴らしいし、風景と音楽だけで、心が遠く、透明になるような感じがした。『この音とまれ!』は、箏の音が主役で、それが今まで頑張ってきた練習の積み重ねの全てが込められた音だから、泣けてしまう。演奏シーンにちょくちょく挟まれる回想シーンも、何だかずるいし、第一何でお前らそんなに箏が上手いんだ、と思うけれど、それに何でそんなに箏に熱心になれるんだ、と思うけれど、演奏の美しさが、テンプレートな人間描写や、白けそうになるお仲間たちの友情シーンを帳消しにしてしまう。ああ、こんなにいい演奏が出来るなら、それは団結するし、死ぬほど熱心にもなるよなあ、って何だか納得してしまうのだ。これだけ練習したから、これだけの演奏が出来るんだ、当然だ、って思っちゃうし、箏に懸ける情熱に、皆が感化されていって、周りの人々の人生までその純粋さに、変えられてしまうのも当然だよな、って納得してしまう。音楽の力って強い。漫画だったら別に泣かなかったかも。このアニメの琴の音が、実際どれだけのレベルなのかは知らないけれど、下手なところは下手ってちゃんと分かるし、舞台での素晴らしい演奏は、素晴らしいって分かる。正直、箏でこれだけの表現力を出せるのか、ってすごく驚いたし、ただ一音を弾くシーンでも、どんな劇中歌よりも、その一音に説得力がある。劇中歌、というかBGMは、正直、いいと思わないし、第一何でOPやEDや劇中歌が箏じゃないんだ、と思ったけれど、それだけに彼らが弾く箏の音が、特別なものに聞こえるのかもしれない。練習して団結して、人が成長して、演奏がどんどん良くなっていくこと、って、それだけで十分泣ける要素なんだけど、肝心の演奏が駄目だったら興醒めしてしまう。エモーションってすごいな。音楽ってすごいな。音楽で届けられる力、音楽に乗せられる、普段は言えない思いってすごいな。
僕も、何か出来たらいいな。人の心を動かせたらいいな。ほんの、少しでいいから。僕は自分のことばっかり考え過ぎてた。僕は長年、お先真っ暗だと思っていて、今も考えると落ち込んでしまうけれど、でも、僕も変われるのかな? 誰かの心に何かを残せるのかな? 柄にも無い、こともないのかもしれないけれど、そう思った。生きていこう。出来れば、がんばっていこう、と思った。軽々しく影響を受けすぎなのかもしれないけれど、ベタなアニメにぼろぼろ泣ける自分は、それはそれで、やっぱり良かった、と思う。

海外に注文していた品物が届かないので、PayPalに電話をかけた。もう1週間前から、電話をしようしようと思いつつ後回しにしていたんだけど、アニメを見て、人っていいな、と思っている今なら電話出来そうな気がして、どきどきしながら番号を押した。PayPalって確かシンガポールの会社で、送られてくるメールの文面とか、ときどき日本語があやしいのだけど、電話に出てくれた方は、おそらく日本人ではないにも関わらず、とても日本語が丁寧で、親切そうな方なので、あまり緊張しなかった。例えば、僕が「注文した商品が届かないんです」って言ったら、日本人のオペレーターなら「左様でございますか」とか言うところが、シンプルに「そうなんですね」と言うのが、いいなと思った。

ここ、二日、三日、落ち着いている。睡眠薬もあまり飲んでいない。

 

4月26日(月)、
虚栄心という魔物に囚われてはいけない。
ゆっくり、確実に、ことを行うべきだ。


目眩のするような不幸。
自傷のような退屈。
笑えることの不遜。
認知されることの平坦。

こんにちは。さよなら。
笑えることの不遜。
今日の階段と
明日の輪廻

 

4月27日(火)、
ノートを3冊買おうと思う。まともな、ましな、優しい気分になれたときにだけ書こう。

Netflixには1年くらい前から入っていて、ちびちび映画などを見ていたんだけど、あんまり碌な映画が無く、黒沢も小津安二郎ゴダールも無いので寂しく思っていたところ、U-NEXTにはそれらが全部あると知って、この間加入した。昨日は『ポロック』を見て、今日は『イングランド・イズ・マイン』を見た。『ポロック』は大好きな映画で、見るのは3回目だ。

いい音楽を聴いていると、iPodを抱き寄せたくなる。身体が軽くなって、もう、世界は、音楽と僕だけでいいような気がする。そこが僕のシェルター。音楽が無ければ、生きる振りさえ、僕は上手に出来ない。

生きることは感じること。生きることは祈ること。

 

4月28日(水)、
水道水。水が水を洗うように落ちるのを見ている。
外では風。灰色の花が舞うのが聞こえる。

 

4月29日(木)、
メトロノームを買うべきかもしれない。僕にはリズム感が致命的に無い。

不安なときや疲れたとき、頭の中が雑念でいっぱいのときは、何はともあれ横になるに如くは無い。なのにそういうときに限って、ぐずぐず考え続けるのを中断出来なくて、薬を飲んだりお酒を飲んだりして、何が何でも起きて、今の悩みを解決しなければいけないような気になる。本ももちろん読めないし、音楽もあまり聴いていられないのに、何かとても大事なことをがんばって考えている気がして。そういうときに横になると、最初は頭の中がぐるぐると働き過ぎててしんどい。でも、多少無理してでも1時間くらい横たわっていると、疲れもあらかた取れるし、雑念も薄らぐ。出来るだけ、疲れたときは、考えを切り上げようと思う。そう、分かってはいたんだけど、なかなか休めなかった。これからは、もう少し意識して、心身を休ませる時間を設けよう。

昨日からザ・スミスばかり聴いてる。スミスの曲は全ていい。活動期間が短かったこともあるけれど、それでもたった4年間で、4枚のアルバムを出していて(活動期間中に発表されたライヴ盤、コンピレーション盤を合わせると8枚)、それで1枚どころか、ほぼ1曲も外れが無いと思う。たまに少々ださい曲もあるけど、でも駄作は無い。すごいことだと思う。ライヴ盤はそれほど聴かないのだけど、残りの7枚がどれも良くて、どれを聴こうか迷うので、この頃はよく2008年に出たベスト盤(『The Sound of the Smiths』)を聴いている。

 

4月30日(金)、
疲労感が少し和らいできた。明日は5月だ。だらだらぐずぐずしている間に3月と4月が過ぎてしまった。世界を知らない。文学を知らないし、音楽を知らない。この身体でぶつかっていくしかない。もっともっと訳の分からない領域に行きたい。5月は目覚めなきゃ。