メモ1

優しい日々の中で、自殺をしたい。論理的に考えても、人でいる意味なんて無い。音楽は人生の意味の無さを無視して、遊びとして作ることも出来るけれど、でも、音楽で人を救えなければ意味が無い、と思うのは何故だろう? 当然のようにそう思う。生きてるって、きっとそれだけでいいことで、他人を顧みる暇なんて無くても、頭が良くなりたいとか、格好良くなりたいとか、そんなことで一喜一憂して一生を過ごしても、それでもやっぱり生きていることはいいことなんだと思う。自分で自分を救えたら、それだけでいいよ。わざわざ他人のことを考えて、それで自分の命を縮めてしまうことも、素晴らしい生き方だけど、自分のことだけで手一杯でも構わない。多分、幸せなのは、自分じゃない誰かのおかげで勝手に救われてしまって、他人の心を信じて生きることだと思うけれど、そして、誰とでも友達になりたいと思いながら生きることだと思うけれど、例え他人を一切信じなくて、自分で自分を宇宙の果てとか生活の真ん中で絞め殺してしまったとして、結局皆、帰るところは同じ。人は、絶対にひとりじゃない。表面上、人は人を傷付けるように出来ている。人の幸せを大真面目に考えるほど、結果はあべこべになって、責め立てられたりする。強引に人を幸せには出来ない。信じることしか出来ない。じっと、押し黙って、書いたり、奏でたり、仕事をしたりしながら、人の心を信じて、温かみに飢えながら生きていくこと。それは案外、とても、幸せなことだ。誤解されてもいい。秘かに、でもいいから、行動の原理が、自分のためよりも、他人のためだと感じていられれば、単純に幸せだし、人に伝えたいという思いの根拠は、自分が寂しいからだということもあるけれど、寂しさと寂しさで、誰かの心に触れることは、自分のためだけじゃない。他人のため、というのは傲慢だけれど、何というのかな、人の寂しさの、底の底にあるものを、そこに何かを、届けものを出来ることを信じ続けること。多分、それが人にとって、一番、幸せな生き方。例え、死ぬとしても。