メモ(温度)

顔色がぞっとするほど悪い。ここのところ殆ど書いてないし、何も読んでいないし、何も聴いていない。眠って、起きるととても憂鬱なので、あまり眠りたくない。爪が伸びている。

あまりに不規則な生活のせいか、それともろくなものを食べてないせいか、体調が悪い。コーラで栄養補給をして、カップ麺を食べている。本当は食べたくないのだけど、栄養不足で頭が重くなってくるので、仕方なく食べている。何かを書いてみても、文をうまく組み立てられないし、書いたものがいいのか悪いのか分からない。おそらく良くないのだと思う。お腹の調子はずっと悪くて、僕にしては珍しいことに、少し食べると胃が痛むし、吐き気がするので、キャベジンを飲んでいる。喋っていても、言葉が浮ついていて、声に抑揚がないのが自分でも分かるし、母と話していても、母がひどく退屈していると感じるので、すぐに部屋に戻って、ぼんやりしている。

真理よりも、古代の叡智よりも、個人的な温かさが欲しい。正しいことなんて要らない。奇跡も、神秘も宇宙も、既に存在しているものだ。数学や科学や心理学、あるいは哲学を学ぶことは、僕にとって、世界には温度が無いことを学ぶことだ。もしかしたら、数に温度を感じる人もいるのかもしれない。僕には、数は純粋で、冷たい。僕は冷たい純水には棲めないけれど、けれどある意味、世界の透明な冷たさを学ぶことは、生きることにとって、有用ではあるかもしれない。「有用さ」、道具、鋭利なナイフを身に付けるように。正しいことは正しいことで完結している。そして、正しいことは武器になり、そこに温度が無い限り、人の心の命を奪う。僕はそう思う。心の中の矛盾、人と人との間にある永遠の距離、それ故の神経質でよそよそしい優しさ、それらを、真理によって解決したいとは思わない。確固とした足場なんて、本当は存在しないんだ。真理に依存したとき、僕は僕にとって大切なものを失うと感じる。正しいことを説く人にはなりたくない。

冷たい真理を学ぶことは、ある意味では逆説的に、温かさへの渇望を取り戻すこと。正しいことを学び、そしてその正しさを捨てること。正しさや強さではなく、弱さを知りたい。理由ではなく、理由にならないこと。無意味かもしれないけれど、確かに意味があると感じること。それを知りたい。真理よりも微かな温度を。