(抑鬱状態で書いたメモ)

私はそこに何百回も行った。千回を超えているかもしれない。

私は別に書かなくても、満足していられる人間なのかもしれない。それどころか人の評価さえ全く考慮せずに生きていけるのではないだろうか?

ジム・ホールというジャズ・ギタリストが言っていた。中に空洞のないギターは、身体に振動が伝わらないから、弾いていて楽しくない、と言うことを。書くことは多分、自分を自己完結して循環する、ひとつのシステムにすることだ。社会に向かってのドアを、寸時閉じなければならない。そして心は自らの内面に向かって、無限に開かれてなければならない。至極簡単に言えば、人のことを気にしながらでは書けない。と同時に、言葉や声やギターの音は、必ずコミュニケーション・ツールであって、人の心と心を繋ぐことが出来る。コミュニケーションとは身体的なものだ。存在しなければ伝達は出来ない。生きていなければ伝達は出来ない。私たちは皆繋がっている。物質的に。ネットワークを通じて。楽しい私。内側に向けて開かれた私。私の内面。多分、ジム・ホールにとって、ギターのボディの振動は、自らの内側との対談に不可欠なものだったのではないか、と私は思う。私は今生きている。そして指を動かして、文字を書いている。これらの文字は、文字通り即物的に存在してしまい、そして伝達されるだろう。私には今、身体がある。言葉は身体の延長。私の身体の延長が、誰かの身体の延長と絡み合い、また、誰かの身体の中にある、心そのものに届くかもしれない。今私には間違いなく心があって、意識がある。そして、私は、何故か繋がろうとしている。私は、私を完全に自己完結した機構として終わらせることを拒んでいる。それは私の心というより、身体が望んでいるのではないかと思う。私の心は、別に伝達しなくても存在している。身体は、伝達しなくては、意味が無い。存在理由は存在すること。そして身体にとって存在は、他者に触れたいという本能に根差している。それが何故なのか分からない。仮定として「宇宙は存在したがっている」。私がここで死んでも、つまり身体の機能が停止しても、宇宙は存在し続けるだろう。つまり私が死んでも、あなたは生きているだろう。しかし、この宇宙から、伝達という機能が完全に消失したら、あなたも含め、宇宙の全てが消えるだろう。引き合う力。それが存在。物が個別に存在しているのではない。引き合う力そのものが存在であるか、もしくは存在にとって不可欠なものなのではないか、と私は思う。

……私の身体は痛みや疲労を訴えている。私は出来れば、私の痛みや疲労なんて、誰にも拡めたくないと思う。私はとてもとても気持ちよくなりたい。性的な本能なんてくだらない、と思うくらいに。私にとっては私自身の書く言葉が最大の快感であり、幸福であればいい。そうじゃなければ書かずに薬でもやっている方がいい。私は満足したいのであり、不満なまま長生きしたくはない。薬が間違いなく最高の幸せをくれるなら、何をさて置いても、薬を求めるのが一番だと思う。わざわざ苦労して生きて、自殺したいと思ったり、仲違いしたり戦争をしたり、不安に怯えたりするくらいなら、みんなに死ぬほどのヘロインを配って、みんな気持ちよく仲のいいまま、死んだ方がいいと思う。でも、薬はそれほどの満足をくれないだろう。私は精神科の薬を大量に飲んでいるけれど、はっきり言って効いているのかいないのか分からないし、オナニーやセックスは、快感をくれるけれど、幸せはくれないし、快感にしたって長続きしない。違法な薬も、大体のところは同じだと思う。それは生活の苦悩を消してくれて、束の間気持ちよくはなれるかもしれない。けれどそれはすぐに終わるし、永続する幸せはくれない。また、他人がいくら私をちやほやしてくれても、それは最初は嬉しくても、やはりすぐに冷めるだろう。私は、私自身を幸せに、そして気持ちよくしなければならない。生活の中での小さな幸せや、思い出や、他人がいなければ、私はすぐ死んでしまうけれど、それはまた別の話として、私は私を内面的に満たさなければならない。不満や不安から、刹那的ではない方法で抜け出さなければならない。不満や不安より、もっとずっと深い場所で繋がり合いたいと、望んでいる。人の身体より、心に触れたい。

音楽は僕を完全に満たしてくれる。感情。そして無感情。無の感情。花や人形に近い感情。

人と生きられることはとても嬉しいことで、でも人としか生きられないことは、時にとても息苦しい。他人のことを考えてとても嬉しくなるときもあれば、自分の駄目さが目について辛いときもある。でも、とても辛いときに音楽を聴いて、否応なく音楽に引きずり込まれて行く感覚は何だろう? ずっと見失っていた感覚。10年くらい、音楽の中にあまり入れなかった。


Please could you stop the noise?, I'm trying to get some rest.

私には私の身体があり、これひとつでいい。

今僕が生きていて、それだけでいいならいいな。

完璧な快感、とか満足、とか書いたけれど、私は今そこにはなかなか辿り着けない。でも、少しずつ脳が回復して、内面的に統合されている感じがあって、いつかは、私が生きているだけでいいんだ、という自足の気持ちに行けるような希望があって、それだから今は、そこまで絶望している訳じゃないんだ。

大事なものだけが側にあって、今必要じゃないものは、私の部屋のドアの外に出して、鍵をかける。詩や小説や散文の中を自由に泳いでいきたい。