メモ

ポップな気持ちを忘れて、切羽詰まったような気持ちで、何もかもを捨てなければならないような衝動を、一日に何度も感じている。「風に触れることが出来そう」という言葉によく出会う。今の僕には、その感覚は分からない。何もかもが、とても希薄で、縁遠い。何故生きているのだろうか? とても社会的な質問。哲学的に考えている訳じゃなくて、ただ自分の社会的立ち位置を考える。

死ぬなら死ぬで、明るく、軽く死にたい。自らが、神秘の真っ只中に生きているという感覚。人と比べてどうこうじゃなくて、自分が今ここにこうしていること。

それでも少しの喜びが無ければ、人は生きていけない。何の喜びも無い日々が続けば、当然死にたくなる。

僕の心にはずっと虚しさがある。けれどまた、心を温めてくれる思い出もある。

僕は案外と、些細な物事に生かされている。

いろいろなことがどうしても気になるのはどうしてだろう? 不安の無い世界に行きたい。そんな世界は当たり前に存在していると思うのに、僕は生活の中で、生きていて、いつも不安に支配されている。不安をお腹で飼っている。

人は、自分ひとりでの満足を追求しなくてはならないと思う。人といて、例えば一緒に冒険にでも行って、満足することは、いいかもしれない。一緒の仕事をして。でも、人に自分を満たしてもらおうとしても、詮ないことだ。人にいくら褒めてもらえても、最初は嬉しくても、その内に虚しくなってしまうだろう。仲間がいるのは、いいこと。誰かと一緒に、同じ世界で生きていける、って素晴らしいことだと思う。けれど、自分を成長させられるのは、自分だけだ。人の力に頼って、自分を幸せにすることは出来ない。共に成長していくことは素晴らしい。結局は人の中で生きている訳で、僕としたって、人といられることは嬉しい。人に甘えたり、期待したりするのは自然なことだ。でも甘えすぎたり、期待しすぎたら、きっと人とはいられなくなる。自分のことは、しっかり自分で自足させて、その上で、人を好きでいることが大事なんだと思う。

僕は僕の幸せを探さなければならない。今は今のために生きている。毎日成長していかなければならない。今日は諦めて、明日成長する、ということは出来ない。

病院の薬は頭をぼんやりさせる。楽にはなれるけれど、目が覚めない。目が覚めたままで、不安の無い場所に行きたい。あらゆる騒音を止めて欲しい。頭の中のぐちゃぐちゃが収まって欲しい。

本当は一日中完璧な時間であって欲しい。少し贅沢だろうか? でも、人に会うときには、緊張したり、嬉しくなったり、狼狽えたりしたい。それに、最悪の気分や鬱と、全く無縁な生涯を送らなくてもいい気もする。辛い時間や、苦しみが完全に無くなったら嬉しいと思うのに、苦しみから全く解き放たれた人生って、何かが足りないんじゃないかと思ってしまう。何故だろう?

死ぬまでの時間はそんなに無いから、やりたいことは全部したい。この世界はみんなの世界であると同時に、僕の世界だ。少なくとも、僕の人生だ。本当は、死なんて考えたくない。アメリカに行きたい。イギリスに行きたい。

心の、暗黒領域を知りたい。物語や、詩によってだけ行ける場所。それから歌、音楽によっても。