泳げない足のままで

あの日の私はとろとろ歩いている
この空気の中はみずうみで、
私は言葉の中を泳いでいる、
自然に。音楽が流れていて、
水槽がかたかた鳴っている。

溶けられる絵がいい
みんな、季節や街や人々がみんな、
溶けられる絵ならいい
世界は、今、言葉と音楽と絵だけで出来ている
そこに、人々がいて、愛という
天国をサーバーとしたネットワークで繋がっている

ここには何も無い。本当はね、
一切無いんだ。
――私は世界を構築していく。
ひとりひとりが構造の一部となり、繁茂していく。
誰もが世界を構築し、ネットワークは光の珊瑚礁のように、
高く、高く成長していく。意味も無く、
また私の涙の意味として。泣きたくなる。
誰もが生きて、いること、ただそれだけで。
光のよう。

私には、私が切り捨てたい部分があって、
要らない部分は煩わしく、ほんの時々愛しい。
例えばボブ・ディランの全てのリリック。
私はそれを日々食べている。
泳げない部分は捨てたいと思う、けれどディランは老いていて、
老いる部分が愛おしかったりする。
だから私は部屋にいるけれど、完結した区画に越したいと思うけど、
生きるより、それは多分死ぬことだね。
全ての単語がただの歌として、光の一部となりますよう……
しかし声は嗄れていって、やがて私は喉から血を吐いて、
惨めな私は腐敗して、虹色の珊瑚に飲まれ、飲まれ、
汗っぽい、血なまぐさい、ゴミとなり、
けれど透明となり、結局は私は救われるでしょう、なんて思うのです。
だから、……私はギターを買うでしょう。
歌って、歌って、歌って死ぬでしょう。
ピンク色の、欠片として。

泳げない足が懐かしい。
泳げない足を、私は持っている。ずっと傷付いて、
引きずって、靴擦れのまま、歩き続けている。
ロキソニンで胃は荒れている。電線は冷たい。
私は電線に笑いかける。電線の下で嗄れた歌を歌う。
社会的な順列を考えるよ。このまま死に続けて、
私が生きられるのは40歳まででしょう。
けれども――

私は思うのです。私は死に続けます、けれど、
私は人の中にいて、人たちの物語を愛するでしょう。
私は裸のまま、皺も隠さずに、老いて行くでしょう。
歌って歌って、死ぬでしょう。シェルターを出入りしながら、
やがてはそこへも戻らずに。
街灯の下、スラムの底、私は死ぬでしょう。

今このLEDの下、私はとろとろ書いていて、
指先が電子のように愛しいです。
部屋の空気はみずうみで、
ディランのリリックと電気のギターが流れてて、
私は羽ばたけないかもしれない永遠の繭のように、
言葉を、本を、物語や詩を、食べて生きています。

愛おしい、何もかもが、
私の死を含めて、生き続けますよう。
愛とは何か知りませんが、
私は全ては光のようだと、虹の珊瑚の海のようだと思います。
人々がいて、ここには私がいて、人々がいて、
ただ、私は泣きたくなるのです。
由縁も知れず、由縁も知れず、泣きたくなります。

全てが、光が、単語が、人たちの物語が息づき、
優しい宇宙となりますよう。この一瞬の祈りだけが、
永遠を示唆する何ものかとして、私を満たします。

与えられた寿命を、
私は最後まで生きて行けますよう。