日記

1月19日(火)、
ポップな気持ちになれない。古い古い時代に閑居している気分だ。

タイピングの回数を集計するアプリを使っていて、今までキーが何時頃に一番多く叩かれたか分かるのだけど、1月5日に集計を始めて、1週間くらいは完全に昼から夜にかけてだけ書いていて、朝型というか、昼型生活だったことが分かるのだけど、ここ1週間は、真夜中に多く書いていて、やっぱり夜型生活に戻っている。どちらがいいんだろう? 何となく、昼に元気いっぱいの方のときの方が、より強く目が覚めている気がする。代わりに夜中に目が覚めているときは、とても自省的な感じがして、それも好きだ。今のところ、夜型生活を続けても、特に支障は無いのだけど、夜型生活だと、目覚めてから数時間が怠くて堪らない。朝型の生活だと、朝起きてからすぐに活動できるような、気がする。昼に寝て、夜目が覚めたときには、何となく一日(昼の間中)を無駄にしてしまったような気がして、自己嫌悪に陥る。まあ、このところは夜型と言うよりは、二日起きてて一日ぐったり眠る、というリズムになっていて、多分今日も、夜まで眠らずにいて、その後また半日くらい眠る、ということになりそうなんだけど、長く眠った後の寝覚めはいつも最悪で、頭の中が死にたさでいっぱいになる。一日中目がきちんと覚めていて、夜は数時間だけしっかり眠って、また一日中元気に過ごせる、という生き方が出来ないものだろうか? 一日の間でも、疲れと虚無感に取り憑かれる時間が長くて、心はほとんどの時間、冷めていて、何もかも、もうどうだっていいような気がして、でもそういう自分を嫌悪していて、嫌悪している内に、この頃は少し底力みたいなものが蘇ってきて、一日に少しの間だけ、何が何だか分からなく情熱的になる。その間は何もかもが美しくて、面白い。今日も、日付が変わってからやっと、身体が軽くなってきた。好奇心のかたまりみたいなときの自分が好きだ。

ラヴィ・シャンカールノラ・ジョーンズの父親としても有名かも)の魅力がいまいち分からない。というかシタールの良さがあまり分からない。ビートルズが好きなのでシタールの音には馴染みがあるのだけど、聴いてても、インドだなー、としか思わない。あんまり入れない。なのに何故かシタールに似た楽器のサロードは大好きで、しばしばアリ・アクバール・カーン(カタカナ表記がこれで合ってるか心許ない)のサロード演奏を聴いている。サロードシタールより少し深い音がして、一番の大きな違いは、シタール独特のびーんっというノイズ音が入ってなくて、響きが澄んでいる。最近、言葉に対して、自由なスタンスを、段々取れるようになってきた気がするのだけど、音楽も、きっちり型に嵌まってても嵌まっていなくても、どちらでもいいと思えるようになった。ジンバブエの民族楽器であるンビラ(現地の発音に近いのかな? Mbiraと書く。英語での発音はエンビーァラに近いみたい)はかなり昔から好きで、10年くらい前には自分でも持ってて、けっこう面白く弾いてた。オルゴールの元祖と言われてて、オルゴールみたいに、並んだ鉄の板を、親指などで弾くことで演奏する(カリンバという呼び方の方が有名かも)。民族音楽が取り立てて好きなわけじゃなくて、あまり民族音楽とか西洋音楽とか、意識せずに聴いてる。民族音楽の面白いところは、12音階の縛りが曖昧で、例えばピアノだとミとファの中間の音は存在しないけれど、サロードにしても、日本の箏(こと)にしても、ミとファの間の音程の揺れがすごく大事で、その点、ギターのチョーキングや、スライドギターによく似ているかもしれない。チューニングが完璧じゃないところも。実際、インドの音楽は、弾ければ何の楽器を使ってもいいらしくて、ヴァイオリンやギターを使って弾くインドの演奏家もいる。それからジンバブエの音楽が特にそうなのだけど、変拍子や、拍子が曖昧な曲がすごく多い。メロディは4拍子っぽいのに、リズムは平気で3拍子だったりする。インド音楽とコラボレーションするロック・ミュージシャンは(特にギタリストに)とても多い(レディオヘッドジョニー・グリーンウッドもそうだし、ライ・クーダーとか、ジョン・マクラフリンも、もちろんジョージ・ハリスンもそうだ)し、アフリカの複雑なリズム(いわゆるポリリズム)を取り入れたロックもたくさんある。日本の、いわゆる邦楽(三味線とか琵琶とか)も、地味だけど、ここ数日僕は内田百閒を読んでいて、百閒の箏の師匠だった宮城道雄という人のアルバムがiTunesにあったので、聴いてみてて、僕は日本の情緒がどうにも苦手なのだけど、あまり湿っぽくなくて、単純に格好いいな、と思った。洋楽が好きな人が聴いても、普通にクールに感じるんじゃないかと思う。僕は音楽はビートルズを最初の核として、そこから少しずつ拡げるようにして、いろいろな音楽を聴いてきたのだけど、サロードもンビラも、ほとんどロックの延長として聴ける。ブルースは最初よく分からなかったけれど、ロックの本当に純粋な形、ファッションではなくパッションの固まりとしてもロックは、ブルースなんじゃないかと感じるようになってきたし、ジャズはそもそもロックとの境界が曖昧だ。特にミンガスはロックだと思う。クラシックは最初は単にグールドのピアノが好きなだけだった。何故か僕はバッハをとてもサイケデリックに感じることが多くて、バッハとサイケデリックロックって、全然違うようだけれど、とても、聴いていて、浮遊感や、光や恍惚感のようなものを感じる。それからサイケデリックとは違うんだけど、バッハの音楽には、精神の深みのようなものを感じることが多い。精神の深み…まるで眠りと覚醒の中間のような、瞑想的な感じがバッハにはあると感じていて、それはマイルズ・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』を聴くときにも感じる。……昔ながらの、熱い、トランペットやサックスが高音を吹きまくるジャズは、まだあまり分からないし、ヒップホップやラップは、聴いてて何だか不安になる。個人的にあまり好きじゃない音楽はどうしてもあって、メタルは、多分友人が生粋のメタラーじゃなければ、僕には全然縁の無い音楽だったと思うのだけど、友人にいろいろ聴かされている内に、メタルはメタルで深い音楽で、多様性もあるんだな、と思うようになった。デスヴォイスにしても、ヴォーカリスト毎に全然違う、ということも、知らなかったと思う。知り合いに熱烈なラップのファンがいたら、僕の、ラップに対する、多分、偏見のようなものも、薄れていたんじゃないかな、と思う。何でもそうだけど、何かを熱烈に好きな人の言葉には、耳を傾けたくなる。とは言っても、やっぱり僕はメタルはそれほど好きじゃないんだけど、少なくとも、メタルに偏見は持っていないと思う。ラップにも別に偏見は持ってはいないと思うし、パブリック・エネミーはとても好きなんだけど、それはやはりパブリック・エネミーはロックとしても違和感なく聴けるからで、何というか、いろいろなラップの曲を聴いても、どう感じたらいいか分からない。入り込めない。でも、それはそれでいいのだと思う。好きなものに惹かれ惹かれていれば。ロックが好きだと標榜しながら、僕はアニソンがかなり好きで、それからゲームやアニメのサントラが大好きで、それもまた、僕の生活から外せない。いろいろな音楽があって、それぞれの音楽を好きな人がいて、素晴らしいな、と思う。あまり、自分はこういう音楽が好きで、と好きなジャンルを自己規定したり、好きな音楽のジャンルが合わない人を敬遠したりとか、そういうことは全く無意味だと思う。「好き」という感情に、違いは無いと思うんだ。

午前3時半、ちくま文庫の内田百閒『サラサーテの盤』を読み終える。決して読みやすい文章ではないけれど、妙にどろどろしたような、透き通ったような、不思議な感触が胸に残る。中でも「柳検校の小閑」が別格に心に残った。盲人の箏の名人(宮城道雄をモデルにしたらしい)が、若い弟子の女の人に淡い恋心を抱く話だと思うんだけど、一人称で、もちろん視覚描写は無いわけだから、会話文や空気感だけで女の人を描くのだけど、その描写にとても透明感があって、見た目も表情も全然描かれていないのに、美しい人だと思う。視覚表現が無いのに、風の感じや、触感や気配だけで、全然曖昧なところがなくて、一番鮮明な印象を受けた。あとはノンフィクションと想像を織り交ぜた、宮城道雄をそのまま主人公にした小説で、特に、寝ながら点字の本をお腹の上に置いて撫でながら読書をするところが面白かった。もしかしたら、明かりの下で読むよりも、ずっと静かに本の世界に入れるかもしれない。文学書から医学書まで、とても幅広く読んでいたらしい。

午前5時半、『人間失格』を読み終える。昔からこの小説が嫌いで、好きだ。死にたいけれど不具者にはなりたくない、って何て可愛らしく人間的だろう。不具者になってもいいじゃないか。人間であれるならそれくらい。……太宰は、常識を持った読者が、どの程度までなら理解できるか、感情移入できるか、天才的なくらい的確に把握していると思う。

昼、注文していた古本のディランの歌詞集が届いた。予定より随分早い到着だ。イギリスから届いたみたいなんだけど、イギリスから日本の飛行機って、今も普通に飛んでいるのかな? けっこう使用感があったんだけど、前の持ち主が栞代わりに本屋のレシートを挟んであったのが面白くて、2013年7月26日の18時12分に、イギリスの最南端のブライトンという街にあるWaterstonesという書店で、税込み20ポンドで、この本を購入したらしい。でも多分、本棚の肥やしになっちゃっていたので、売ったんだろうな。衝動買いしたけどディランがそんなに好きじゃなかったのだろうか? 僕は3700円(送料込み)で買ったので、随分割高だけど、絶版の本なので仕方ない。ちょっとよれてるけど確かにイギリスから届いた、という感じがして嬉しい。

午後3時、お寿司を何回かする。880回打てた。

夜はしゃぶしゃぶを食べる。お酒は飲まないでおこうと思っていたのだけど、やっぱり飲んでしまった。酔うと何にも出来ない。

 

1月20日(水)、
午後3時頃までぐーすか眠る。17時間くらい眠った。二日分の睡眠にしても長すぎる。まだ半分意識が夢の中にある。
冷凍のパスタとパピコを食べる。

夜、何のやる気も湧いてこない。昨日は何か、宇宙の果てにひとりいるような孤独を感じた。今日は生活の中で、生活の不安を抱いている。そしてそこから抜けられないことに、頭が重くなっている。頭が動かない状態でお寿司を何度かして、835回叩けた。まあまあだ。

消えてもいいんだ、と思ったら楽になる。この世に対する訳の分からないくらいの愛情。それは僕自身が儚くて、この世が全て儚いからだ。美しいもの、無くなって欲しくないものに出会うと、とても淋しくなるのはそのためだ。現在を生きていること。そのことを愛したい。今を生きている人たち。その人たちを愛したい。

ああ、どうか目覚めていられますよう。宇宙や世界を確かに認識したまま生きられますよう。何もかもを愛せますよう。愛おしさや優しさや情熱でいっぱいのままでいられますよう。