日記

1月4日(月)、
昨日は哲学的なことをよく考えた。まあまあ実りの多い一日だった。少なくとも、停滞はしないようにがんばった。

午前1時半、遅い夕食を食べる。数の子とハマチの塩焼きとチャーハンと豆腐のスープとご飯。お腹いっぱいだ。ふらふらするくらい眠くなる。

午前2時、眠る。

午前11時、やっとのことで起きる。何度か目を覚ましたけれど、起き上がることが出来なかった。今日はあまり寒くない。

果物ゼリーを食べる。

昼は、卵と納豆、ご飯。

……

 

1月5日(火)、
午後3時20分、昨日の昼からずっと起きている。

……

 

1月6日(水)、
昨日は夕食にエビの天ぷらとかを食べて、お酒を飲んだ。ふらふらと倒れるように寝てしまう。

昼頃、よたよたと起き出してくる。YouTubeジョジョ関連の動画を延々見てた。
カップ焼きそばを食べる。

今日はとても苦しい。

午後8時20分、やや気分がましになる。母と4時間くらい話してた。話し終えた後、何故だかどっと疲れて、自分が自分じゃないみたいだ。

宇宙のことはさて置いて、生活の中でがんばっていきたいな、という気持ちも強くあって、勉強をしたいといつも思っている。多分、全てを知りたい、という気持ちと、生活が好きだ、という気持ちの両方が無いと、僕の場合は、バランスが取れないと思うのだけど、今、その両方はあまり統合されていなくて、あっちに行ったりこっちに行ったり、生活の中にどっぷり浸ったり、世界について考えたり、何というか両極端だし、鬱のときの自分と、何かをしたくて堪らなくて何もかもが美しく見える自分が、別の自分みたいに思えて、すぐ自己否定的になってしまう。今僕に出来るのは、毎日、眠る前に、今日は(ほんの少しでも)実りのある一日だと思えるように生きていくことだ。偏った人間になりたくないけれど、なってしまっているのではないかと思うと怖い。実り、というか、少しでも良くなりたい。今日は病的な気分が戻ってきそうで、また、ただ苦痛に耐えるだけの日々が来るかと思うと怖かった。母と栓のないことを話していて、少し生きた心地が戻ってきた。

自分自身になりたい。自由気ままに欲望のままに生きるんじゃなくて。僕はここにいて、あなたはそこにいる。ただありきたりな空気の中で、ただ一緒にいたい。誰かと。誰でもない誰かと。……僕は死にたいのかもしれない。僕の中で、絶望と徒労感が無くなることは、ないのかもしれない。でも、もしかしたら、いつか、と思い続けてて、生きている。それしか出来ない。虚無感。空虚感。隔絶した感じ。心から、人と一緒に喜びたい。僕が心を許せるのは、もしかしたら本と音楽だけかもしれないんだ。でも、それだけじゃ死にたくなる。本を抱いて、音楽を聴きながら。

生活への愛情に似た感覚と、何かが素朴に好きだなという気持ちが無いと生きていけない。小説が好きだな、とか詩が好きだな、とか音楽が好きで、人が好きだな、という気持ち。生活の中で、現代の中で、過ぎていく時間の中で、この僕が何故か惹かれつつあるものに惹かれ、生きていく。馬鹿げたものだって構わない。泣きたくなるような気持ち。

自然な愛情。生きていたいという気持ち。今の、この世界を。今、生きている人たちの中で。小説や詩を読みながら、そこに書かれてない何かを読む。書かれたことよりも、何かを感じたい。

自然に生きていけますよう。

午後10時、眠ろう。明日はいい日になりますよう。