日記

12月9日(水)、
朝まで起きていて書きものをしていた。夜食は食べなかった。

精神が大分回復してきて、楽しさや好奇心を感じることが増えてきた。

昨日、またテレキャスターのサドルを交換した。Bugeraのアンプを改良したら、すごく澄んだ音が出るようになって、初期装備のサドルではあまりにさらさらした音しか出なくて、物足りなかったからだ。まず真鍮製のサドルに交換したけれど、今度は癖が強過ぎた。Gotohのチタン製のサドルは、以前使っていて、繊細過ぎるかな、と思ったので、KTSというブランドのチタンのサドルを付けてみたら、丸っこくて、かつくっきりした音がして、ちょうどいい感じになった。改良前のBugeraのアンプだと、KTSのサドルでは押しの強過ぎる音がしたんだけど、今のBugeraのアンプからは耳障りな音が全く出ないので、少し癖のある音の方が個性が出ていいみたいだ。……と、思ったんだけど、やっぱりあんまりテレキャスターらしくない、と思って、Gotohのチタン製サドルに換えてみた。悪くないんだけど、やっぱり音が弱々しくて、どうにも弾いていてあまり楽しくないので、やっぱり初期装備のサドルに戻した。やっぱりさらさらした音だけど、一番落ち着く。アンプのゲインを上げると、荒々しい音も出るし、しかも心地良い。チューニングが少々合わないのなんて、全然気にならなくなってきた。チューニングが合うのがいいのなら、他のギターを選べばいい。割と、少しのずれって気持ちよかったりもするんだ。

この頃、毎晩のようにお雑煮を食べている。今日は餅を五個食べた。小さいお餅だけど。

 

12月10日(木)、
朝方、お腹が空いたのでカップ麺でも食べようと台所を漁っていたら、冷蔵庫にキャラメル味のバウムクーヘンというのがあったので食べた。一個で480kclもある。夜食にはぴったりだ。けれど、食べ終わっても空腹が収まらなかったので、結局カップうどんも食べる。どん兵衛のプレミアム。お湯を入れてから8分も待たなければならないのだけど、そこまで美味しいか、というと微妙。それから「大人なガリガリ君」のイチゴ味を食べる。この頃、食欲が全然無いときと、食べても食べてもお腹が空くときの差が激しい。

 

12月11日(金)、
……

 

12月12日(土)、
起きると空虚感があって、もう一度眠って、夢を見たいと思う。この頃、喉が渇いて堪らなくなるまで、いくらでも寝てしまう。そして起きると、寝逃げしていた自分を嫌悪する。

人に会いたいと思う。同時に、もう誰とも会いたくないし、話したくないと思う。

 

12月13日(日)、
……

 

12月14日(月)、
死が怖かったり、身体が破壊されるのが怖いのだろうか?

痛みは、僕を守ってくれる。痛みは、世界を柔らかくしてくれる。

とても久しぶりに、多分三年ぶりくらいに腕を切ってみたら、どんな薬を飲むよりも気分が楽になって、前回切ったときは何も感じなかったのに、随分自前の脳内麻薬が出るようになったものだ、と思った。

僕は、随分辛かったなあ、と思う。多分、今も辛いのだろう。でもヘッドホンを付けて、活字の世界に入れて、腕を切ると気持ちよくなれる今は、相当楽だ。ヘッドホンを付けてて、読書ばかりしてて自傷していると、いかにも調子が悪そうだけれど、辛さから逃げている姿が逆に辛さを想像させるだけであって、もっと辛いときには逃げ場が無い。

一日の内には、結構長い時間があるんだな、とふと思う。今まではその殆どが、何かに堪えているだけの時間だったけれど、段々、頭と身体を動かせる時間が増えていけばいいと思う。

 

12月15日(火)、
未明。今日か明日の朝にmouseのパソコンが届くと思う。素敵な、真っ赤なパソコン。届くまで、このがたがたのNECのパソコンが保てばいいんだけど。

3時頃、カップ麺を食べる。

正午。待っててもパソコンが届かない。多分明日届くだろう。

 

12月16日(水)、
未明。寒い。キーを打つ手がいつまで経っても温まらない。

昼前、mouseのパソコンが届く。昨日の昼に数時間寝て、それから眠っていないので、たいへんに怠い。初期設定などをして、前のパソコンとほぼ同じ環境にするのに6時間ほどもかかってしまう。

薬を飲まないでいようかな、と思うけれど、飲まないでいて、急にひどく落ち込むのが怖い。

mouseのパソコンで書いている。かなり気に入った。

 

12月17日(木)、
今朝はよく眠った。パソコンのOneDriveの設定の仕方が全然分からなくて、デスクトップに置いたソフトや音楽なんかがどんどんOneDriveにアップロードされるので困った。OneDriveには5GBしか容量が無いので、すぐにいっぱいになってしまう。OneDriveに置きたいデータだけをアップロードする方法がとんと分からなかったので、もういっそOneDriveをアンインストールしたのだけど、そうすると今までOneDriveに置いていたデータが見られなくなる。最近のコンピュータは便利なのかもしれないけど、ややこしくてならない。こんなよく分からないことより、もっと言葉や詩や小説について考えていたいのだけどなあ。

しかし、OneDriveが使えないのも不便だな、と思って、四苦八苦して、デスクトップ上のデータは自動的にアップロードされないように、何とか対処した。OneDrive上の、要らないだろう、と思う空っぽのフォルダを削除したら一太郎が開かなくなったり、よく分からない戦闘をしていたんだけど、奇跡的に良くなった。何にしても、OneDriveの初期設定は、デスクトップ上にいろいろデータを置く人にとっては、非常に迷惑な仕様になっていると思う。まあ、良くなった(と思う)から、いいとしよう。OneDrive内にしか無いはずの、空っぽのフォルダを削除したり、名前を変えるだけで、何故一太郎が起動しなくなるのかが全然分からないし、とても気に掛かるのだけど、解決するには時間が掛かりそうだし、疲れたので、もう忘れてしまおう、と思った。OneDrive内に保存していたデータはほぼ全て消去した。もう要らないものばかりだったので。何となく、どこか得体の知れない場所に、自分の文書がずっと保存されている、ってすごく気になる。5時間くらい、よく分からなくて四苦八苦していたので、全然詩的な気分からかけ離れた、殺伐とした精神状態になってしまった。

そうだ、音楽を聴いていなかったから、と思って、夕方になって、まずトム・ヨークのソロ・アルバムから聴き始める。iPodで音楽を聴きながら、ノートパソコンの薄いキーを撫でるように叩いて書いていると、内省的な気分になれる。ここにいながら、何だか未来にいるみたいだ。

デスクトップのキーボードで書くのに慣れていて、やはり東プレのキーボードは叩いていてすごく気持ちいいので、何となくすぐに東プレに戻りたくなってしまう。ノートパソコンでありながら東プレのキーボードが付いたようなのがあると素敵なんだけどな。ものすごく嵩張るから売れないだろうけど。……今この文章はmouseのノートパソコンで書いているのだけど。

一度気分が散漫になると、穏やかな小宇宙的な気持ちに戻るのに、とても時間がかかる。デスクトップのパソコンだと、ずっと電源を入れっぱなしだから、何時間も何時間も白紙の画面を眺めっぱなし、ということが多かったのだけど、ノートパソコンは、その点、少し疲れたらぱたんと閉じられるので、すぐに気分転換が出来る。いずれ、やっぱり音楽制作にはMacBookが欲しいなあ。iMacもいいな、と思っていたのだけど、ノートパソコンの、小世界、という感じがとてもいい。

僕は、ちょっとのことで、とても混乱する。混乱が一日中続くときもある。ギターの調子が悪いとか、パソコンのことがよく分からない、とか、そういう些細なことで。

デスクトップとノートパソコンの、どちらがいいのかはまだノートパソコンに慣れていないから、断言できないのだけど、これからは多分主にノートパソコンで書くのではないか、と思う。小さい画面は、素敵だ。東プレの、タイプライターみたいなキーボードも心地いいけれど、ノートパソコンのぺたぺたした未来的なキーボードも、本当に、かなり好きだ。

詩を書きたくて、全然書けないでいる。散文を書けないときは、詩も書けない。小説の方が、まだ書きやすいかもしれない。今ここにある現実とは離れた場所について書けるからだ。詩を書くには、現実そのものを変える、というか現実の捉え方を変えなければならない。散文も同じだ。自分自身が行けるところまで行った先で、書かなければならない。心が散漫で、そわそわしているときは、現実的な、苛々した今この場所に囚われてしまって、どこにも行くことが出来ない。

生活環境を清潔に整えたい、整えなければならない、と思ってる。文学、人に会うこと、話すこと、音楽、もっと広々とした思考を持つこと。感覚と感情のままに生きること。好奇心と情熱の光を、いつも灯していること。

言葉は、何処までも行ける。言葉なんてただ人と会話するためのもので、文学にしたって、どんなにいい詩や小説だって、ただ技術的にうまいこと書いただけじゃないか、とさえ思うときがあって、読み書きに全く関心を無くしてしまうことがある。心が全然開けてないとき。何にも面白いことなんて無くて、ただただ疲れと、ごちゃごちゃとした倦怠感と不安だけがあって、情熱も、命も、馬鹿らしく思えてしまう。生きるってどういうことか、全然分からなくなる。……一日の時間はふんだんにあるのに、一体、眠る以外に何をして過ごせばいいのか分からないし、同時に、そうしている間にも時間は流れ、徐々に、徐々に、あっという間に、早く、どうしようもないほど年老いてしまうのではないかという焦燥感がある。うまく眠れない日が二、三日続くと、また、気を失うように丸一日眠ってしまい、起きたときには体中の筋繊維が灰色になってしまったよう。そして必ずお腹を壊している。

夜、また唐揚げを食べる。ビールもたくさん飲む。しばらくの間、酔っていて、何も出来ない。

 

12月18日(金)、
朝、3時40分の少し前に目が覚める。良くない目覚めだった。何もかもが悪いことに満ちているような。何にも興味が沸かない時間が2時間以上続いた。誰もが僕を責めてるような、自分でも自分を駄目だと思うような。僕の中の熱量が冷え切っていて、あやふやで不安な時間。音楽に縋った。少し薬も飲んだ。Radioheadを相変わらず聴いていて、ここではない温かい世界に連れて行かれるようだ、と思う。薬は時々、感情の燃焼剤のように効く。今日は薬を飲んで、全然効かないなと思ったけれど、しばらくして、少し酔ったような感じになってきた。あれこれ気になって、冷たく混乱気味な身体が、少し楽になってきた。まだ、不安はあるのだけど。何にも出来ない、というほどではなくなった。

この頃のキーボードって、何でこんなにキーが薄いのだろう? 書いている実感が希薄だ。もっと、深いストロークで書きたいけれど、時代の趨勢には抗えない。MacBookだって、やはりキーは薄ぺたい。昔の、がががって書ける、素朴な感じのキーが良かったな、とは思うのだけど。けれど、時代の趨勢に、別に落胆はしていない。時代が、新しくなっていくこと、新しくなっていることを感じることは、僕は好きだ。薄いキーボードにだって、何か、新しさを感じる。新しい時代の感覚。

部屋を整理している。現代詩って本当、無意味だから、現代詩を書くことは、無意味を書き付けることの快感。でも僕は今、なかなか無意味さに入れない。全てが無意味にきらきらきらきら輝く時間に。いつも倦怠感に塗れている。何かに取り憑かれたように生きていられたらいいのに、いつも僕は裸で、骨だけで立たされている。ぎこちなく、卑屈にしかなれない冷たい風の中で。

 

12月19日(土)、
mouseのパソコンを買ってから三日経った。昨日までは、新しいパソコン、しかも久々のノートパソコンに、慣れなかったのだけど、今日やっと、自分のパソコンだと感じられるようになった。一度慣れると、書くのが楽しくて、薄ぺたい、しかし広々としたキーボードを、演奏するように叩くのがとても気持ち良くて、一日中だってぱたぱた書いていられるなあ、と思った。矢印キーが、癖のある場所にあるので、最初は何度も叩き間違えたけれど、指先の感覚が徐々にmouse仕様にカスタマイズされてきて、今は少しも不便さを感じない。
それにしても、持ち上げるたびにびっくりするくらい軽量なパソコンで、少し疲れたら、軽く向こうに押しやって、デスクにスペースを作るのに、何のストレスも感じないし、画面をぱたんと閉じるたびに、天板全体の鮮やかな赤が美しくて、うっとりしてしまう。キーボードの表面が、よくあるプラスチックの安っぽい感じじゃなくて、未だに、キーがプラスチック製なのか、マグネシウム合金製なのか分からない。多分プラスチックだとは思うのだけど、キーボード全体が、新素材で作られたタイル張りの壁のように上品で、キーのぐらつきが殆ど無い。あと、天板の中心に、かなり大胆に大きく描かれたチーズのマークが、アニメみたいにちょっとチープな感じに可愛くて、好きだ。おそらく、僕が買ったパソコンは、mouseの主力商品だと思うのだけど、色の選択が赤しか無くて、チーズのマーク入りのだけ、というところが何ともいい。スタイリッシュというよりはポップで、強気な販売戦略、というよりはもっとリラックスした、真面目な天然さを感じるデザインだ。お堅い仕事に使うには間が抜けてるし、一流のクリエイターが使うには性能が足りない。けれど普段使いをしていて、とても愛着を感じるデザインだ。外で、同じのを使っている人に出会ったら、少し恥ずかしいな、という感じもたまらなく好き。東プレと並んで、何となく応援したくなる会社だ。

夜、今朝はよく眠ったはずなのに、ふらふらするほど眠くなって、夕食を食べるのが難儀だった。ビールを少しだけ飲んだ。眠ろう。明日が来るのが楽しみだ。

夜、10時過ぎに眠る。