メモ(mouse)

ただ一層、気持ち良くなりたい。灰色の筋繊維から解放されたい。人は、たまたま風向きが良かったり、悪かったりする。全ては偶然だ、と知っている人の方が幸福だろうか? 皆、偶然性に左右されて生きている。偶然性は、人間の都合の外にある。人間に出来るのは、偶然降りかかった天災に、対策を講じることだけ。自然に起こる全ては、人間にはコントロール出来ない。内面も外面も含めての自然。心の中に起こる嵐、無風状態、混沌、憂鬱、不安、怯え。人間関係の縺れ、社会的な自分の立場や、運命的に流れ着いた惨めな現状。抗えるものなんて無い。どう対処するかだけが問題だけど、どんなに努力したって晴れない雨はあるし、どうにかしようとすればするほど悪化する人間関係もある。気にしない、と言葉にして思っても、どうしても気にしてしまう。心の中のぐずついた土壌。僕に出来るのは、その土壌を均して耕すことくらいなのではないかと思う。賽の河原の石積みのように、それはただ途方も無い徒労感だけをもたらすかもしれないけれど。何だって結果論だ。努力出来る人は出来るし、出来ない人は出来ない。いくら好奇心が大事だ、と言っても、好奇心が湧いてこないものは湧いてこないし、では運命に身を任せて、雨が止むのをただ待とう、と腹を決めたところで、止まないものは止まないし、それは一生降り続けるかもしれない。それなのに、人間に出来る最上の対応は、ただ待つことだけなのだ、と僕は思う。
僕は今憂鬱だ。生きることに冷めてはいないと思う。けれどいくら呼吸しても、息苦しさが去らない。自分で選んだ道の上に僕はいるのだろうか? それはどうも違う気がする。かと言って、他人に選ばされた道でもない。僕の道は、僕が選んだものじゃないし、誰かに押し付けられたものでもない。鬱はたまたま降ってきた毒の雨。

昔は、父が全ての元凶だと思っていた。でも、父が元凶だとして、父を元凶のようにしてしまった、父には父なりの不幸な元凶があって、それは父の元凶が祖父だ、とかそんな単純な話ではなくて、もっと混み入った、社会全体の、どうしようもない悲しい欠陥を思う。誰もがその悲しさを感じていて、誰ももう胸を張っては歩けなくなっているのかもしれない。胸を張れない自分をなじり、少し胸を張った人がいれば、怪訝な顔をしたくもなるのかもしれない。

トム・ヨークを聴いている。もう10年以上も、毎日のように飽かず聴いている。ヘッドホンを付けているから、鳥も虫も鳴いていなくて、ただ指先の骨を通して、キーを叩く感触だけがダイレクトに脳に伝わってくる。大きな画面で書くのが、気持ち良くていい、と思っていたけれど、画面が小さいほど、脳を震わす文字の音は大きくなるのだと気づいた。今これを書いているのはmouseの15.6型のパソコンだけれど、14型でも良かったかもしれないし、mouseのラインナップには無いけれど、12型くらいでもいいかもしれない。内なる音。内なる音を聴くこと。

僕はここ一週間ほど、落ち込んで、不安になったり、ハイになって、未来は明るくてならないような気になったり、世界が萎んだり、拡がったりするのを、自分ではどうすることもできない。薬も、飲んだり、一日分をまるまる飲まなかったりする。でも薬を飲まなかった次の日には、大抵不安が続いて、前日の分の薬も飲んでしまうので、トータルでは大体処方された薬を、きっちり全て飲んでしまう。そして、通院日の前日には、大体薬が足りなくなっている。きわめつけに奇妙なことには、僕は、薬の足りない、通院日前日と当日は、大抵快活な気分でいる。薬を飲むと不安になるので、さらに薬を飲む、という悪のスパイラルが出来ている気がする。

薬を飲むと、もちろん頭が働かない。頭が働かない、ということに、必要以上に落ち込んでしまう。薬を飲むと眠くて、ぼんやりとして、不安も焦燥感も消えないくせに、現実にいる自分の立場ばかりが寒々と意識されてくる。それでも薬を飲むのは、大抵は、頭が働きすぎて混乱しそうだから、そして、寂しさに耐えられないから、だと思う。薬を飲むと、寂しい、という気があまりしなくなってくる。二錠目からは、一錠目の副作用(落ち込み、倦怠感)を一時的に和らげるために飲んでいる気がする。そして、以下三錠目、四錠目と飲むにつれて、ものがまともに考えられないし、何にも感じなくなっていく。惨めな気分になる。それが分かっているのに、見えない糸に引っ張られるように、自然な感じで、薬を続けて飲んでしまう。全然、気持ちいい薬じゃない。ODしてトリップできるような薬は、今は出されていない。

寂しい、という感情は、悪いものではないと思う。少なくとも、寂しさの中には、偽らざる自分がいると思う。でも寂しさをまともに感じることは、裸で風に打たれるようなもので、とてもリアルな感触ではあるけれど、長くは耐えられない。薬はもふもふの遮断膜で、心を包んでくれる。包まれた底で、心は微睡む。どちらかというと悪夢に近い微睡みではあるけれど。けれど最近、薬を飲んでいても、光を心に感じることがたまにあって、どんなに副作用が僕を苛んだって、それでも死なない心はあるんだ、と感じ始めた。僕には僕の、鬱の病巣があった。脳にか心にか知らないけど。鬱はフジツボのように心を閉じ込め、圧縮し、そして心に触れようとする指先を血まみれにする。最近は、あんまり鬱じゃないんだ。と、今現在はそう書けるけれど、今朝なんかは鬱の渦中にいたから、そういうときは、鬱はもう、虫歯みたいに不可逆的で、どんどんひどく、深く、痛みを増していく病気にしか思えない。鬱が引いている時間、次の鬱に怯えることも多ければ、ああ何もかも良くなる!、と人生のあらゆる障害が、きれいに洗い流され、未来にはまるで光しか無いような錯覚に陥ることもある。

トム・ヨークのアルバムが終わり、今はエイフェックス・ツインを聴いている。流れ星の、尖った欠片が、光りながら、宇宙一面に流れていくような音楽。音の宇宙にたゆたいながら、部屋の片付けをした。mouseのノートパソコンを買ったので、今まで机の上を大きく占領していた、デスクトップのパソコンをクローゼットに片付けた。机の上って、こんなに広いんだ、と気持ちいい新鮮さを感じる。いつかまたデスクトップ熱が出るときまで、さようなら東プレのキーボード。君ではずいぶん暗いことをたくさん書いたけれど、いつも僕の憂鬱に寄り添ってくれた。
ノートパソコンでは、暗いことや難渋なことや韜晦や言い訳よりも、もっと明るくて、スピード感があって、燦めいていることを書きたいな。

エイフェックス・ツインが終わり、次はブリアルの『Untrue』を、スピーカーで流して聴いている。地下鉄の構内で、真夜中にだけ、存在しない通路に現れる幽霊のような音楽。冷え冷えとした、都会のノスタルジックを感じる。昼の間も生きている、夜の幽霊の残影。

生きることに冷めていたくない。