オルゴール


誰も私を知らない。
誰も私を買えないし、
私はどこにも売っていない。
私は、甘えている?
私は、小さな小さな私の国で、
冷たい風の匂いを感じている。

例えばそれは本の中に。
例えばそれはピアノの中に。
自然なんて滅茶苦茶だけれど、
私とあなたの自然は違うけれど、
私は自分の森を知って、街を知って、
私の心臓の、針の冷たさを知った。

ひとりきりであれるなら、
ひとりきりの冬の道で死ぬことは美しいこと。
私は本を読む。そして書く。とても小さな、私の時間。
これは私の小さな世界。
『音楽』の(音楽の、…音楽の世界、、、。
私が私であることの小さな、小さな、小さな世界。

記憶をバラして、構築して、ワープすること。
それが言葉であるならば、
言葉はいつも懐かしい山地と、
未来の街の狭間にある?
田舎や街の淡い色彩を離れて、
私はモノクロに、現在だけを生きたい。

世界が暮れていくことを知っているから、
私は、いつだって詩を知っている。
生死が関係のない山奥の黄昏と、
錆びた線路の冷たさを知っている。
そしてまた、知ってるから知っているというだけの記憶や、
日本語や、郷愁に固執する私の心を、不純だと思いもする。

私の中には不思議な感情があって、
生きるということも死ぬことも、
生活がうまく行かなくて、このまま多分遊んでは暮らせず、
野垂れ死ぬか働くか決めなければならない時が近いことも、どうでも良くなって、
私の生活の不可避な現状なんて、死んで避ければいいと思う時がある。
世界が美しくて、それは私の中でだけで構わなくて、
私の内側の美しさが、私の外の美しさの根拠なのだと思いながら。

詩や小説が、紙の上で美しいと思うことは、自分勝手な感情だけれど、
そして感情は時間の経過につれ消えるものであるけれど、
詩や小説はあらゆる自分勝手な世界を含み、含み続けて、
でも紙の上には依然として印刷された言葉が並ぶだけだろうし、
それだから私の心が遠ければ遠いほど、
もうため息を吐くだけで私の生は十分なのだと思う。



この小さな街で、
小さな呼吸をする。
標本のように。

曇り空の中を、
紙工場の側の橋まで自転車を走らせて、
流れる川と澱みを見ていた。
中州には丈の高い草が生えていた。
その川に携帯電話を投げ捨てたこともある。

大学図書館までニック・ドレイクを口ずさみながら歩いた。
誰とも会わず、誰とも話さない。
僕は死ぬ気でいた。それは今も変わらず。
そう思えば、僕の生にも僕なりの価値がある気がする。

小さな街で、小さな呼吸をする。
それだけでいいと思いもするし、
このまま暮れていく生をあまりに空しいと思いもする。

誰にも会わず、標本のように。
ただ息をして、部屋の周りにあるものを、
いちいち確認していれば、それでいい気もするんだ。



私は音楽の中で死ぬ。
死ぬから、ゆえに生きている。
エレキギターの黄色の中で目を開けたまま、
私は束の間、死を泳ぐ。

私は消えるんだ。
今日、私は消えるということが、はっきり分かった。
だから、愛しいものが愛しいということも、
愛しいものが悲しいということも分かった。
何故、死ぬまで生きるのか、
やっぱり私には分からない。
けれど死ぬことが喜びと恩恵の固まりであることは分かる。

今、私が考えているということは、
私が確かに存在しているということの証拠だけれど、
私は消失が愛おしい。

私が生活の中にいないとき、
それでも生活の中に言葉という形を残せることは不思議だ。
距離なんて、そんなものは無い。
私はもう、心なんて信じない。
心を弄ぶ人を信じない。



真っ赤なギターを持って、私は山に登る。
そこから世界を見下ろして、
スリーコードで人類を救うんだ。
私は宇宙。大きな空白。

私は私を捨てるための箱を探している。
無感覚な容積のためのゴミ箱。
沈黙していたい。
頭の芯まで。
みんなみんな捨ててしまえたら、
私は天国に心地よく迎え入れられるだろうか?

少しずつ貯めていくんじゃなくて、
部屋の中も、心の中も、頭の中も、
どんどんどんどん捨てていく。
私をどんどん失っていく。
そのことが気持ちいいんだ。
私は私に属する「あらゆる」を失っていく。

私たちは回り続けるオルゴールのようなもの。

いつか、こんな冬の日に、私も死んでしまうのでしょうか。



星から光が落ちてきて、
骨の奥から、
僕を光で満たしてしまう。
髪の毛の揺れる音がする。

――身体が軽い。

嬉しいことと悲しいことの区別も付かないまま。
電子音楽が小さく流れていて、
すぐに消えちゃうものたちだけが、
永遠の在りかを僕に教えてくれる。

一切が消える。終わるから、
生きていける。



僕は醜いものを嫌悪する気持ちがあった。
今はどうだ?

つまらないものの全てが美しいような気持ちで、静かに息をしていれば、
屋根の上には雨が降り、目蓋の上は青く霞んで、
嫌悪はきっと何も感じることのない僕ら全ての、街の解体工事のようで、
いつまでも続く疲れの、日々の全ての発掘作業のようで、また
針を無くした方位磁針の、ピアニストのいないピアノの
花の香りを求めるような、絶対的な尺度を探す人たちが、
左の腕に爪を立て、笑みを求めて泣くような、泣くこともまた
演じることであるような、――爪を立て、
爪を立て、本当の痛みを知って死にたくて、知りたくて、
美しいものを求める感情よりも、死ぬときに最後に残る感情は、
透明な赤い赤い血を、日々の全てのうそくさい言葉を捨てた文字たちを
赤く染まった指先で一文字一文字書くことだから、それでもそれを
黒く黒く染めたいといつか願った僕たちだから、
嘘じゃない感情が青ざめて、結果的には嘘になっても、
嘘じゃない心はいつも、意識の中に、嫌悪の中に、疲れの中に
冷たく冷たく残っているはず。

そう願う僕もまた日常の中で疲れて嘘を吐き、意地悪で、痛みを恐れ、
混乱し、自分を忘れ、僕は自分を取り戻したいとか自殺とか言いながら、
日々や未来や他人の意味や、命や傷を侮っていて、
綺麗なものを欲しがっては嘆いて、他人よりいいとか悪いとか気にしてて、
嘆きも段々平坦になり、求めるものは表面的で、結局は
楽になりたい気持ちばかりで、それも段々無くなって、
性欲も睡眠欲も、食欲も生命欲も、物欲も金銭欲も、あるようで無いようで、
空元気さえ無くなって、快感も安眠も無くなって、
疲れの中で、求めるものも人生の意味も何も全然分からなくて、
ただもじもじしたり、笑ったり、笑わせたり、茫然として、
死ぬまでに払わなければならない負債が貯まっていくのを、
他人のことのように感じて、それが自分のことと分かると、
自責の念と自分が何か分からない気持ちに逃げて、血を恐れ、
血を笑い、あざけりや、嘘じゃないけど、本当でもない
呪いみたいな人生を捨てたいし、捨てたくないし、
要するに生きるとは何なのか分からなかった昔より、
ずっと不安で疲れて逃げたいだけなのに、孤独な振りを続けてて、
迷信深くなってしまって、優しいだとか、丁寧だとか言われるけれど、
人に何かを言われたときは微かに僕を感じるけれど、
それも自分は、本当はそうではないと否定することでしか
自己主張できなくて、人に言われるままになるのはやっぱり嫌で、
でも人と話さなければ本当に空っぽになりそうで、
薬を飲んで、薬をあるだけ飲んでもどうせ死ねないと思ったら、
何もかも捨ててしまってきっぱりと死ぬべきだと思うけれど、
何をするにも疲れてて、僕はただ死を先送りすることでしか生きてない。


**
離れて見ればみんな美しい。
人は意識の世界で楽しくなろうとがんばりますが、
節度が人を駄目にします。
疲れて、疲れて、血を吐くまで、疲れればいい。
係累……流れて僕を青で包みます。
鋭い透明な赤を感じるまで、
疲れて、疲れて、血を吐くまで生き永らえて、
……青とも黄とも共に死ねない。

いつしか黒を望んだ僕は、
そろそろ赤に帰るときです。
嘘じゃない心はいつも意識の底に、
赤く鋭くやわらかく、透明に眠ってるはず。
雨がやんでも僕の心は灰色だけど、四角い窓の向こうには、
赤い夕陽の残り香が迫り、溢れる気配です。

誰も、誰とも、比較をしない。
誰も、誰とも、競争しない。
人それぞれの血管に赤く流れる運命を、
泣き笑いさえせずに僕は信じているのです。

僕は疲れて動けない。
遺書を書くみたいにキーを叩いていても、
何も感じることがなく。

ただ何もかもあるべき場所に収まって、静かに息を潜めてて、
エレキギターが流れてて、ギターと僕と部屋と言葉と
心拍が旅立つことを覚えてて、どろどろとした心の底で
この瞬間も、いつか心に刻んだ文字が、僕をまた
孤独で嘘の無い世界へと、ピンクの月に照らされた彼方の地へと
誘っていて、……歩いてきたよ、泳いできたよ、僕だけが知っている
過ぎ去る日々を、だからもう、ここへ真っ赤な文字を刻みたい、
残酷な、酷薄な言葉が僕の心を殺すまでに、また。