メモ

 僕は書くという作業をとても愛していた。字のためのオブジェ。死語のための墓。頭の回転と混乱を想像によって得ること。それこそが僕の求めることで、僕は確信というものを全般的に軽蔑していた。意味に拘るほどに、僕は僕の世界を窒息させてしまう。確信は困惑を殺す。意味は音を殺す。信じ切っている人は自分が何を言っているのか分かっていない。ただ意志があるばかりで、彼らは音楽を失っている。屈折している方がいい。訳の分からない方がいい。

 静かな、透明でとろりとした夜を過ごすのが、僕は好きだ。活字は光っていて綺麗で、真夜中よりも暗い色をしているのに、とてもカラフルだ。

 日本語を読むことと、日本語を書くことさえ出来ればそれでいい気がする。キーボードを叩くことが、また快感になってきた。Bluetoothで音楽を聴いている。ヤマハのスピーカーからは、人工的なジャングルみたいなジェイムズ・ブラウンの、鋭角的な音の粒が流れ出している。デカルトを読んでいると、自分が今まさに世界の、歴史の真ん中にひとり、立ち尽くしているような気がする。
 言葉になら、どんな言葉にだって、溶けていけそうな気がする。哲学なんて無くてもいい。それは溶けていくための筋道。既に溶けられる私には必要ない。言葉の中で私は現実を離れることが出来るし、ひとつが同時に全てであることを知っている。要するに本とキーボードがあればいい。

 闇の深さに、濃い色の月が浮かんでいる。眼鏡を掛けないと僕の眼には、月の光が幾重にもぶれて見える。現在を生きている気もするし、同時に時間なんて関係ない、宇宙に無意味に浮かんでいるだけの気もする。窓を開けると、静かな、霊気のようなものが生きていて、夜の中に充満していているような、冷たい匂いがする。星のひとつひとつは、空の向こうにかき消えている。月の形は分からない。窓ガラスが無感情に、僕を全てから隔ててくれる夜が好きだ。
 宇宙にはもともと意味が無い。けれど人に嫌われるのは怖い。人に何らかの主張をしないと、誤解されそうだ。言えば言うほど、おかしなことになるけれど。会話で、ちゃんとした言葉が使えた試しがない。
 無意味とか意味とか言っている世界とは、無関係な世界にいることがある。全てのものが溶け合って、同時に、あるものは、きちんとそこにある、という感じ。頭が混沌としていて、同時に真っ直ぐに人を愛せる感じ。ジミ・ヘンドリックスのギターのように日本語が書けたらな、と思う。調和と混沌の合間を縫うような自由さを持った言葉。

 自分が自分でいられる、って、何て素敵なことだろう。そしてなんて稀有なことだろう。誰も演じなくていい、ということは。

 感動は病気みたいだ。

 友人のことを思うと、途方もなく懐かしい気分になる。彼が変わっていないので、僕も変わっていないと感じる。

 心の底の方に日本語があると感じる。たくさんの日本語を、毎日毎日、心の底に放り込んできたからだと思う。言葉を書きながら、落ち着いていられる境地に達したいな、と思う。世界は、美しい言葉で満ち溢れている。

 僕がここ十年で作り上げた最大の幻想は、生活の世界だ。僕は十年前、生活の世界をまるで持っていなかった。その代わり、音楽の世界と言葉の世界に入れた。現実での僕は幽霊だったけれど、音楽や言葉の中で僕は、完璧に目覚めていることが出来た。描くように、演奏するように、書くこと。ただそれだけを意識していたい。

 ひとりきりの世界でひとりきりの神さまを信じる。宗教なんて関係ない。私はキーをぱちぱちと打つだけ。自分の中の神さまを大っぴらに誇示してはならない。それは自分の中で毎日時間をかけて育んでいくものだ。私はパソコンを信じているし、ひとりで読むことの出来る本や、ステレオや、ディスプレイのカラフルな光を信じている。それから、夜中、ひとりで書くことの出来る時間を愛している。私は、眼で見えるものをあまり信用していない。

 個人的なエクスタシーとナルシシズム。つまりは宇宙に行くこと。それだけが私が望んでいること。

 本は、詩や小説を主に読むこと。思想は私を登らせようとする。私は私がいるこの場所を知るだけで十分だし、それが最善のことだと思う。私は自分以外の(または自分以上の)何ものにもなりたくない。自分自身でいることは、でも、今の私にとって、一番に望むことではあるけれど、本当に、一番に難しい。

 本は生命に満ちている。ひとつの有機体のように、それは私に何も教えてくれないけれど、私を内面から組み替える。あるいは私を柔らかく、電子に満ちた海のように変化させて、少しずつ私を静かな心地に誘ってくれる。理解するのではなく、言葉を、形として眺めること。

 心によって光を数える。ディスプレイの光のひとつひとつが星々だ。

 意味? 意味って何だろう?
(中断)