日記(とても個人的になれそう)

10月25日(土)、
一昨日の朝から昨日の午後まで友人が来ていた。ひたすらだらだらして煙草をひとり二箱以上も吸って、栓のない話をひたすら続けながら、明るい内はメタルをがんがん聴いたりして、夜が更けてからはヴェルヴェット・アンダーグラウンドをひたすら聴いていた。レディオヘッドニック・ドレイクなども聴いた。ビールをふたりでがぶがぶ飲んだ。のんびりしていて非常に愉快だった。

そう言えば、昨日友人がいるときにVOXのアンプが届いたので、ヴォリュームを絞って少しだけ弾いたら、素晴らしい音がした。友人も「小音量でもいい音だ」と言ってくれた。

三日前、生きられるか自信が無かったのが嘘みたいに、生きるのが楽しくなっている。

最近僕は「小人閑居して不善を為す」を地で行っていたなあ、と思った。凡人が引き籠もっていたって悪人になるだけだ(気が狂うだけだ)、という程度の意味の言葉だ。楽しいことなんて何も無い、と思っていたけれど、友人と一緒にいて、僕は本当に楽しかった。宝物のような時間を過ごせた。彼が生きていてくれる限り、僕は大丈夫だと思った。

僕には辿り着きたい場所がある。ずっと行けなかった場所。行けるかも知れないと思った。哲学を学ぶことではなく、ただ人間であることによって。理不尽な、弱い存在であることによって。ひょっとしたら、僕くらい幸運な、幸福な人間はいないかもしれない。ただ生きている、生きてきた自分を取り戻しつつあって、ただ単に僕であることが、僕には何にも代えがたい、大切なことに思える。友人とはもう26年くらいの付き合いだ。同じ団地で生まれ育ったので。でも小学校の頃は、遊び仲間ではあっても、そこまで親しい訳じゃなかった。友人と多分一番親しかった子と、僕もまたとても親しくて、でもその子を間に挟んで、僕と友人とはその頃はあまり話をしなかった。14歳のとき、フリースクールで再会してからは、僕が大学に行くまで、それから大学を一年で止めて帰ってきてからも、友人にはほぼ毎日会っていた。それで、いろんな場所に行った。僕は腕を切りまくったり、ODしまくったり、自殺未遂をしまくったり、持ち物や僕の痕跡を考え得る限り処分したり、彼の家に女の子を連れ込んだり、大体のときものすごくハイだったり、めちゃくちゃだったと思うんだけど、友人に対する尊敬みたいな心は、いっときも失ったことは無いと思う。そんな湿っぽい言葉は、一度も、彼には言わないと思うけれど、ブログにこっそり書くくらいは、多分許されることなんじゃないかな、と思って書く。何だか世界が滑らかに見える。僕は僕なんだ、って思う。僕が僕の頭の中をいくら探しても、僕は見付からなかった。僕の存在は、僕の中にではなく、僕と人との間柄の中にあるんじゃないか、とこの頃の僕らしからぬことを思って、それはつまり、彼が僕の名前を呼んでくれる、その中に、僕がいる、と思ったから。

生きているのが嬉しい。僕自身の気持ちにすとんと落ち着いている感じがする。とても個人的になれそうな気がする。