雑記6

マイルズ・デイヴィスジョン・コルトレーンのラスト・ツアー(1960年)の音源を聴いている。マイルズの演奏はいつも通り味があって素晴らしいのだけど、コルトレーンの演奏が神がかっている。実際、コルトレーンは、1957年の7月、30歳のときに神の啓示を受けたらしいんだけど、その前後では、別人のように演奏の質が違う。啓示を受ける前に、マイルズと録音した『リラクシン』もたいへんな名盤で、僕は大好きなのだけど、一曲目から、コルトレーンの演奏は迷っているようで、あんまり良くないと思う。人間味があってなかなかいいんだけど。『リラクシン』を含めた4枚(他は『クッキン』『ワーキン』『スティーミン』)は、啓示を受ける前のコルトレーンの堪能出来て、今聴くと啓示を受ける前から、コルトレーンは十分に良いプレーヤーであることが分かる。けどやはり演奏には波がある、と感じる。昔はサックスの演奏なんてどれも同じに聞こえてたんだけど、今は、いい演奏はいい演奏だと、まあまあ分かる。いい音楽を聴いているといい音楽が分かるようになる、とは言えないだろうけれど、いろいろ聴いていていると、今まで分からなかった音楽が分かる(というか楽しめる)ようになってくるみたいだ。それは本当に嬉しいこと。歳を取るのもいいことだな、と思う。僕は10歳にもなってからやっと音楽ばかりを聴くようになって、特に20歳頃からは、意識して、分からない音楽でも、積極的に聴くようになった。その後23歳から8、9年ほど、音楽がほぼ全く聴けない期間を挟んで、32歳からぼちぼち聴けるようになって、やっとここ1ヶ月ほど、また昔のように音楽にどっぷりと嵌まり始めた。いい音楽が分かるようになった、というよりは、自分の好きな音楽が急速に分かるようになってきてる、という感じがする。音楽の世界に深く入るには、ひとつひとつの音楽に集中して、意識的に聴くのがいいと思うし、多分、意識的に音楽の幅を拡げていくことも大切だと思う。いきなりクラシックを聴いて感動できる人は、おそらくあまりいないと思う。取り敢えず聴いてみている内に、段々クラシックの面白さが分かるようになってくるのが普通だと思う。

僕は軽い軽い存在になりたい。ボブ・ディランジョン・レノンのようなハイ・バリトンで歌いたい。美しい、内向的な低音域(D2~B3のあたり)と、豊かな中音域(C4~A4のあたり)で歌いたい。中音域は、狭い音域だけど、ヴォーカルの個性が一番出やすいと思う。ボブ・ディランの歌唱法を意識すると割と全ての音域をすんなり歌える。低音域で美しく歌うことは難しくて、低音域が魅力のあるヴォーカリストが、やはり優れたヴォーカリストだと思う。僕は物憂い、ブルーな低音で、いつか歌えたらいいと思う。高音域(B4~F#5の辺り)は基本的に、僕はファルセットかシャウトでしか歌えない(この音域を楽に歌える歌手もたくさん存在する)。G5以上になると急に、声帯に無理がかかるので、多分滅多に使わないし、A5以上は無理した裏声でも出ない(つまりTKの歌はどんなにがんばっても歌えない)。けれど、これは僕の才能だと思うのだけど、シャウトでだとF6(『夜の女王のアリア』の最高音)くらいまで出せる。アクセントとして使うのはいいかもしれない。低音だとD2が、僕が無理なく歌える最低音だけど、まあ、これ以上低い声を要求される曲は、滅多に存在しないし、ちょうどギターをドロップDチューニングにしたときの最低音と同じ音程なので、ギターとの相性もいいと思う。(ちなみにRadioheadの歌の最低音はE2(『I Will』)で、これは普通のチューニングのギターの最低音と同じ音程。)C2の音も出るけれど、かなり喉の調子がいいとき以外は、多分、マイクがほとんど拾わないくらいの、小さな声しか出ない。ニック・ドレイクの『ピンク・ムーン』の最低音がD2で、ただしニックはほとんど発声できていない。僕はそれ以下の音もG1くらいまでは出せなくはない。ただし、殆どノイズ音みたいな声しか出ない。ジョン・レノンの(録音での)ヴォーカルでの最低音はB1だと言われていて、これは相当低い。ポールの最低音はA1とさらに低いのだけど、これも囁き声のような感じ。クラシックのバス歌手には、天性なのか、練習の成果なのか、G1という常人にはとても音にならない声を、浪々と歌える人も存在するらしい。驚異的だ。

僕はギターを弾いていたいし、ピアノを弾いていたい。歌っていたい。コントラバスは弾けたらいいなあ。チェロにも憧れ続けるだろう。サックスも吹けたらいいなと思う。トランペットは、聴くのは大好きだけど、多分吹かないと思う。いろんな楽器に憧れている。

そこにある具体的なものに対して、抽象的な言葉しか使えない、とはどういうことだろう?

欠落を持病として生きていくしかないんだ。欠落も含めて、完全な僕なのだから。

哲学書を読んでも哲学は分からないのかもしれない。小説や、詩を読む方がいいと思う。

それにしても東プレの変荷重のキーボードはいい。最初使ったときには感触に慣れなくて、処分するつもりで2年間放置していたのだけど、慣れると今までのキーボードの中で一番自由にキーを叩ける。3000万回叩いても壊れない、というけれど、本当だろうか? 昔使っていた安いキーボードは1年も使うと壊れてた。3000万回だと、一日20000回叩くとしても1500日、4年以上も保つ。新しいモデルが欲しいから、もっと早く壊れてもいいんだけど。

たくさん書いていたらタイピングが速くなるかなと思っていたんだけど、半年ほど、全然速くなっていない。『寿司打』の最速記録は5ヶ月間更新されないままだ。精神があるモードに入ると、すごく速くなるんだけど。ともかく書きたいことに指が付いていかないのが、とてももどかしい。

光に満ちて、光に溶け合う。それが世界だ。

今日が最後の日だと思って生きること。

どう精一杯やっても出来ないこと。それが僕の個性だ。

誉められないところ。それが僕の長所だ。

狭く、深い道を行くこと。

世界を整然と整理していく。眼が悪くなっても、耳が悪くなってもいい。私は40歳までには死んでもいいから。でも、今のこの浅い感情のままでは死にたくはない。死ぬこと自体は全然嫌なことではないけれど。(「生きていたい」という不思議な気持ち。)

生活の世界に嵌まってはいけない。世界は宇宙だ。

宇宙には拡がりなんて無い。言葉と音楽が宇宙だ。

ボブ・ディランが弾くアコースティック・ギターも最近とても好きだ。おそらくGibsonのJ-45の音。ジョン・レノンの弾くGibsonのJ-160eの音もかなり好きだ。そもそもギターの音が大好きになったきっかけがジョンの弾くJ-160eの音だ。それからジョンの弾くエレキギター(主にエピフォン・カジノ)もものすごく格好いい。

僕は軽い軽い存在になりたい。ボブ・ディランジョン・レノンのようなハイ・バリトンで歌いたい。ボブ・ディランの、特に初期のアルバム(4枚…特に最初の1枚を除く3枚)は、ディランのアコースティック・ギターによる弾き語りが主体で、とても地味だと思っていた。でも今は、ディランの弾くギターに陶酔感さえ覚える。おそらく全てGibsonのJ-45の音。それからエレキギターを導入してからのディランの弾く、主にストラトキャスターによるリズム・ギターもとても好きだ。ディランを聴いていると、ディランの声と歌詞と、ディランの弾くギターだけで、他には何も要らないような気がしてくる。

この頃、ブログには音楽のことばかり上げているけれど、もっとずっと抽象的なこと、例えば自分の世界観についてのことも同じくらい書いてる。ただ、「自分の考え」というものに、今、とても疑いを抱いている。多分、英語を勉強し始めたからだと思うのだけど、当たり前だけど、英語だと世界についても、自分についても、殆ど考えられない。失語症のようになる。そしてその失語が気持ちいい。日本語だと、自分で考えているつもりで、実は見知った言葉をうまく並べているだけじゃないかと思ってしまう。僕にとって日本語には嫌な感情がべったり染みついていて、日本語で考えている(と思っている)限り、慣れた、暗い思考のループから逃れることは難しいのではないか、と思う。自分にとって、慣れた言葉を並べ立てている限り、散文も、詩も、まともには、本当は書けないんじゃないか、と思う。頭の中は、本当は言葉よりずっと自由だ。(数日経って、日本語を使うことが良くないとは全く思わなくなった。)