私の好きな50のこと

(本当は100個書くつもりでしたが、50個書いたところで疲れました。またその内100個書いた文章を書きたいと思っています。)

Radiohead(1)を聴いている。これから原稿用紙(2)に書き入れるために万年筆(3)にインク(4)を満タンにした。Radioheadの『KID A』はすぐに終わってしまった。『KID A』はひとつの小世界だ。何度も何度も、僕はそこを訪れる。小笠原鳥類(5)の詩(6)を書き写している。僕は写経(7)が大好きだ。筆で書き写す場合、筆って、ひとつの同じ筆で、一体何年くらい保つのだろう? インターネット(8)で調べてみると意外に短くて、1年くらいしか保たないそうだ。どれくらいの使用頻度で1年なのか、明記されてはいなかったけれど、僕くらいたくさん文字を書いていたら、多分数ヶ月も保たないだろうと思う。今僕が持っているアウロラの万年筆は、毎日毎日使い続けて、もう1年と7ヶ月近くになるけれど、新品のときより、ますます書きやすくなっている。夏目漱石のエッセイに拠れば当時(1910年くらい?)の万年筆は、大体2~3年くらいしか保たなかったそうだ。現代の万年筆の寿命もまた調べてみると、600万字くらいは書ける、とか、いやその数倍は書ける、とか、いろいろ書いてあった。600万字と言えば、400字詰め原稿用紙15000枚分。一日に仮に原稿用紙50枚ぎっしり書いたとしたら、300日しか保たない計算になる。けれど、もし書けなくなったとして、それはペン先が摩耗しただけのことなので、ペン先を修繕(研ぎ直し)するか、あるいはペン先そのものを交換してしまえば、文字通り、万年保つ。当たり前だけど。CD(9)を『Amnesiac』に換える。シャープペンシルと違う万年筆のいいところは、インクが乾いていくのが見えるところだ。
眼の奥には水平線・地平線があって、青い。感傷・人情を排すること。新しい世界(10)・生命はそこから始まる。少しずつ日本語(11)を吸収していく。
万葉集(12)は8世紀後半、古事記は712年に出来たらしい。日本語には少なくとも1300年もの歴史がある。写経などをしていると、もっとずっと古い頃から、何万年も昔から、言葉が存在していたことを感じる。眼の中には深海(13)があり、深海には全てがある。
全ては、風圧の中で繋がっている。全ては無(14)だ。
私は生物。感情を出来るだけ使わない。ただ正しい方向に泳いでいくだけ。この区画(15)の中で。外で。外へ外へぶれようとする働きが宇宙(16)だ。
それは身体。私は身体から抜け出るために身体を必要とする。水を飲み、砂糖を食べる。今この身体が死(17)んでも何の悲しみも無い。世界はただ消えるだけ。消えて、それからのこと。死後は無い。時間というものがそもそも無いのだから。私は消費(18)され、消耗(19)されていく。錠剤(20)を噛み下す。それは私の死を早めてくれるかもしれない。虫の声が永遠みたいに、刹那的みたいに鳴いている。夜中(21)の時間。私は煙草を吸っていて、タバコの葉は、燃えて煙になっても、濃厚に甘い。私は紙巻き煙草ではなく、安い安い葉巻(22)を吸っている。本当はモンテクリスト・No. 3を吸いたい。一本で2000円近くする。それをいつか、一日に10本も吸いたい。苦しんで死にたくはないけれど、だから私は拳銃が欲しい。‘Ruger SP101 2.25inch(23)’。日本円にして大体7万円から8万円くらいで買える。小さめのリヴォルヴァーで装弾数は5発。にも関わらず.357マグナム弾が使えるという、素晴らしい銃だ。でも、出来れば自殺ではなく、白く、眠るように、静かに、白い(24)ベッドの上で、「死ぬんだ」と思いながら死にたい。傍らにはノート(25)、万年筆、葉巻、それから何だろう、音楽(26)があってもいいかもしれない、ニック・ドレイク(27)をやっぱり最期にも聴きたい、それからもちろん中原中也(28)詩集、講談社文芸文庫の『中原中也全詩歌集(29))』の上・下巻。そのとき中也の詩集(30)はぼろぼろになっていて欲しい。それからギター(31)。赤い真っ赤なテレキャスター(32)と、弾き倒されたFenderアコースティック・ギター(33)。
僕は小さな頃から選民思想を持っていると思う。僕は言葉(34)が好きだ。日本語と、英語(35)と、フランス語(36)が、今いっとう好きだ。ギリシャ語も好きになるかもしれない。古文(37)も好きだ。日本語の古文を読んでいると、とても深い、遠い気持ちになれる。古英語にも興味がある。
本当は僕は朗読をしたいのだけど、僕はとても滑舌が悪い。それに加えて、僕は興奮しやすく、興奮すると呂律が回らなくなる。上の前歯が4本とも無くなっているのも、滑舌が悪いことの、ひとつの原因かもしれない。特に英語で朗読をしたい。日本語の朗読にも興味があるけれど、日本語は発音は簡単でも、滑らかに読むには、もともとの滑舌の良さか、練習が要ると思うし、それにできれば声(38)も良い方がいい。でも悪声(39)の魅力も捨て難い。僕は今は、自分の声質に、割と満足している。バスとまではいかないけれど、全然テナーじゃなくて、喋り声はバリトン(40)か、ハイ・バリトン(41)だと思う。歌ではバリトンが歌いやすいけれど、ボブ・ディラン(42)の歌(43)の、やや高めの音域の歌も歌いやすい。ディランは多分ハイ・バリトンで、ジョン・レノン(44)もそうだ。けど、ジョン・レノンバリトンの声質であるのに、そのままの声でテナーの音域も歌えてしまう。高いところはシャウトで歌うことが多いけれど、高いソの音なんか楽々歌えてしまえて、羨ましいな、と思う。尤も、ジョンの場合は、感情が昂ぶっていたり、とてつもないリラックスの状態であるから高い声が出る、という感じがする。誰だって、本当に怒ったときや、悲しいときには、感情が昂ぶり、身体が震え、喉が開き、高い声が自然に出る。
感情の激しさは人を殺す。表面的にする。何故人は、感情の激しさを重要だと考えるのだろう? 眠ること(45)は大好きだ。
僕は同じヘッドホン(46)を10年と6ヶ月、使い続けている。僕の耳は、もうこのヘッドホンに慣らされている。Audio-TechnicaのATH-M50x(47)。今のは2代目だ。1代目はM50xではなくM50で、これはコードを交換できないタイプだった。5年と半年でコードが断線して、交換せざるを得なくなった。2代目は5年間使い続けたところで、やはりコードが断線したけれど、コードはサウンドハウスで、たったの1500円で買えた。日本ではソニーMDR-CD900STという黒地に赤のラインが引かれたヘッドホンが、まさにプロ御用達なのだけど、僕は使ったことが無い。一度、使ってみてから、Audio-Technicaと比較しようかと思うのだけど、もう身体の一部であるところのATH-M50xを、余程のことがない限り、交換することはないだろうと思う。タイトで、纏まりのある、しかも混濁しない、クリアな音。どちらかというとビートが少し重めの音がするらしくて、それは欧米のミュージシャンには気に入られ、日本のミュージシャンには敬遠される要因らしい。
身体の底から歌になりたい。あまり高い声は好きじゃない。やはりハイ・バリトンの音域が素晴らしいと思う。女声ならコントラルトがいい。スティーヴィー・ニックスやニコなど。僕がヴォーカルの師匠と仰いでいるのはチェット・ベイカー(48)とボブ・ディランだ。僕が思うところの名盤には、そのディスク特有の、独特の空気感がある。名著もそうだ。紙の本で、いい本には、ひとつの夢が、時間が閉じ込められている。……僕の声はまだ発展途上だと思う。声変わりからなかなか自分の声に慣れなかった。15年くらい懊悩していた。どうしてもテナーの声が良かった。何なら女性の声が良かった。マイケル・ジャクソンみたいに歌いたかった。あるいはジェフ・バックリーみたいに。40歳くらいで僕の声は完成するんじゃないかと思う。今はまだ発展途上だ。やっと声変わり後の低い声に慣れてきた。
磨り減っていくこと(49)が美しいんだ。アンチ・エイジングが嫌い。ストップ・エイジングや生まれ変わりは好き。生きることは消費すること。消費。減っていく。減っていく。
歳を取る(50)ことは素晴らしい。僕は100歳まで生きたい。
……